ふるさと香住で人がつながる空間を!

ふるさと香住で人がつながる空間を!

凪。時に激しく荒れる海が穏やかになり、風も静まる穏やかな時間。海面はその日の空をそのままに映し、一瞬の静寂が時を止める。海と共に生きる漁師たちは、絶好の漁日和と海に繰り出す。
香美町の中でも漁師町として知られる香住区。ここで生まれ育った女性が、その好天気の名前を受けた食堂をオープンした。「柴山みなと前食堂 凪」オーナーの寺川和美さん。2016年11月にオープンした食堂には、地域の内外から幅広い世代のお客様が訪れ、話に花を咲かせる。

ふるさと香住でみつけた「私にできること」

「子どもの頃していた遊びはもちろん、海で泳ぐこと。それに、醤油を海に持って行ってウニを割ってその場で食べるとか(笑)」
 子どもの頃の思い出の片隅にはいつも海があり、柴山漁港があったと語る寺川さん。遊び方もダイナミック、レジャーを求めなくても多彩な楽しみ方が見いだせた。
 高校卒業後には、調理師学校へ進学するため離れた故郷・香住。その後神戸の飲食店等で経験を重ね、久しぶりに帰ってきた故郷に思ったのは、
「寂しいな。みんなで集まれるようなお店がほとんどない」
ということ。故郷に帰り似たような心境になる地方出身者は少なくないだろう。ただ寺川さんはただそれを思うだけでなく、
「私自身が、不平不満を言うだけではおさまらないタイプなので。何とかしたいな、自分にできることはないかな、何かできることがあるんじゃないか」と考え、行動し始めた。
「生まれ育った場所だけど、香住・柴山で働いている人はほとんどいない。地区外や町外に出て働く人が多いから、地元でのつながりが生まれにくいなと思って、人と人が出会って繋がれるような場所があったら面白いな、と考えました」

背中を押してくれた、隠岐の島での出会い

不足を不足で終わらせず、「できること」を模索し始めた寺川さん。ただ準備を進めながらも、気持ちの中では「本当に起業なんてできるのかな」という迷いがぬぐえなかったという。
「そのメンタルを鍛えるために、ひと夏の間隠岐の島のゲストハウスのお手伝いをしました」
 その出会いが寺川さんの追い風になった。ゲストハウスのお客様と一緒にご飯を作り、一緒にご飯を食べる。出会った人と食を囲む機会は寺川さんに改めて、自らがかかわり続けていた「食」が人と人とをつなげることを再確認させてくれたという。
「そこの女性オーナーも、力まずに経営をしていて、それを見て『起業って大それたことのように思っていたけど、全部完璧じゃなくてもいいや』と思えました。とりあえず、私にできることをやってみて、あとはやりながら考えたらいいかなって。同じような、女性で起業した人に出会えて本当に心強かったんです」
 思い立った寺川さんにタイミングが味方する。いい物件の情報も入り、ご両親のサポートも受けながら即決。
「何か知らんけど、不安とか二の足とかなかったんです。『やる!』『きっと大丈夫!』一色になっちゃって。行動し始めたら、後戻りできなくなったというのもありますね(笑)。もちろん、周りのサポートも必要だし、お願いすることもいっぱいありました。地元の方々にもいろいろと協力していただきました」

 起業はしやすかったと語る寺川さん。広いフィールドがあり、手つかずの場所や分野も多いからこそ、「自分ができるもので産業を始めたら、うまくいくような土地だと感じています。まだまだこれからのまちだから、様々な分野のお店やお仕事が生まれたら」と後に続く人を期待もしているという。

「凪」が人と人とをつなぐ場所であるように

「隠岐の島で本当にいい出会いがあり、『このまま住んでもいいかな』と思ったこともありました。でも、人生の節目、何かあるたびに帰ってきたいと思うのはなぜか、故郷の香住だったんです」
 無条件にある、「生まれ育った場所だから」こその香住への想い。寂れていくまちに人が集まる場所をと「凪」をオープンしたことで、「地元の人たちは、『ようやった』みたいに言ってくれます。お野菜や魚を頂いたり、『頑張ってるか』って見に来てくれたり。はじめは『変わったことをしてる』って思われるんじゃないか不安もあったたんですけど、可愛がっていただけてるので」さらなるやる気がわいてくると、寺川さんは笑顔を見せる。
 外から来た人にも開かれて、中の人たちも仲良く集まれる場所。真面目な話も大切だけれど、ゆるい空間の中で出る話の中には光るアイディアが眠っていることもある。
「凪がオープンして半年たったんで、そういう場所にできたらいいなって思ってます。漁師さんもたまにお店に来てくれるし、漁業に興味を持つきっかけになったりしてもうれしいなって」
 お店を持っていなかったら出会えなかったような人と、たくさん出会えた。そのことが一番の喜びだと話す寺川さん。地区の内外の人が集まり、食を囲むことで繋がれる場所としての「凪」の可能性を、楽しみながらも模索し続けている。

「完璧でなくてもいい。自分のできることをすれば、うまくいく」

寂しくなった故郷をただ嘆くだけでなく、その中で「わたしにできること」を模索し続けた寺川さん。未開拓のフィールドを思うように使い、実現する、その土壌が、香美にはある。

極めたい牛飼いの仕事、深めたい人とのつながり

極めたい牛飼いの仕事、深めたい人とのつながり

 広がる田畑、家の横でゆったり時を過ごす牛。香美町小代区(旧美方町)に生まれ育ったものにとって、「牛のいるくらし」は日常的。進学のため故郷を離れるも、「いつか帰ってくる、と思って出たんです」と語る小林さん。若干27歳で独立、牛飼いとしての旗を掲げる彼が、畜産の仕事に、そしてふるさと小代に抱く想いとは。

「牛飼い」の仕事に魅力を感じて

 小林一樹さんは、香美町小代区育ち。大学への進学を機に小代を離れ、卒業後は神戸の牧場で経験を積み、小代にUターン。大学進学時には、畜産ではなく農業機械の方面への進路を見据えていたという。大学で同時に畜産も学ぶうち、牛飼いの仕事に「面白さ」を感じるようになったのだとか。

「頑張ったら頑張った分だけ、牛が返してくれるんです。餌のやり方や飼い方によって肉質が変わってきますし、愛情をかけた分だけ良い牛に育ちます」

 高級品種の和牛として知られる「但馬牛」。実は、その発祥はこの香美町小代区。「田尻号」と呼ばれる種雄牛は日本全国の黒毛和種の母牛の99.9%以上がその子孫であるといわれ、和牛の系統作りに貢献した。和牛のふるさとである小代区の牛肉は、きめ細かく濃厚な味わいで、脂の融点が低いためとろける舌触りが絶賛される。  

 小林さんは大学卒業後、神戸の牧場に就職し経験を積む。

「神戸にいる2年間は、研修の気持ちでした。牛飼いの仕事をするなら、実家で、新しい牛舎を建てて……と思っていたので、いつか帰ろうという気持ちでいました。自分の場合、そのタイミングは早めに来ました」  

 帰って独立しようと考えていた小林さんに、畜産農家「上田畜産」の方から「手伝ってくれんか」と声がかかった。

 

牛飼いとして学び、独立へ   

 種付・出産された子牛を月齢9か月まで育て出品する繁殖農家、その子牛を買って月齢28~32か月まで育てるのが肥育農家と呼ばれる中、「上田畜産」は繁殖も肥育も一貫して行っていて、規模も300頭前後と多くの牛を飼育している。独立する前に、その上田畜産で経験を積むことで、自分にさらなる学びがあるのではないかと考えた小林さん。

「実際、たくさんの牛に触れることで、お産や病気など、牛の様々な様子について見て、経験することができました」

 上田畜産には、小林さんと同年代の方もいて、独立を目指している方や、遠方から畜産の技術を学びに来る方など人との出会いも多いのだとか。

「上田畜産は、学びたい人を受け入れてくれるんです。小代も畜産農家が減ってきて、高齢化しているので、若くて志がある人を育てたいと思って下さっているようで」  

 小林さんは、多くの学びを得た上田畜産で現在もアルバイトしながら、2017年春に繁殖農家として独立。将来的な目標は、50頭規模で経営を行い、良い牛を作ること。小林さんの考える「良い牛」とは。

「僕は繁殖農家なので、買ってくれた肥育農家の人が、大きく育つとか、病気にならないとか、喜んでくれるような牛です。肉の質をあげていくように試験的な飼育設計も行っています」

目標に向けて、試行錯誤しながらも、牛に愛情をかけて「良い牛」を作ることに全力を注いでいるという。

 

一度離れたからわかる、ふるさと「小代」の良さ

 地方に生まれ育つと、進学・就職等で都会に出るとき「もう田舎には帰ってこない」と決意する若者も多いと聞く。その中、「いつか帰るという気持ちで小代を出た」小林さん。彼にとって、小代の魅力はどういったところにあるのか。

「ありきたりだけど、自然があって、空気がきれいで。あとはやっぱり人じゃないですかね。外に出たからこそ感じるんですけど、人に温かみがあるんです」

 お知り合いの中では、スポーツの全国大会に出場した時に地元総出で応援してくれた、そのことがうれしかったからと、Uターンの道を選んだ人もいるという。

「帰ってきたときに、『お帰り』というムードはありました。同年代や少し年上の人は、『一緒に飲もうや』って誘ってくれました。小代は、世代間の区別がないんで、歳の離れた人でも付き合える雰囲気があります」

 

 地域内の付き合いがあるのが面白いと語る小林さん。それは、小林さんが地元出身者だからなのか。

「Iターンでもどんどん仲間に入ってますよ。たとえば、大学の時にゼミで来てた人が、そのまま地域おこし協力隊とかで来てくれたりとか。小代の人を好きになったからIターンしたっていう人も良く聞きます」  

 若い人が一人で移住してきたと聞いたら、「一緒に飲もうや」と声をかけて仲良くなったり、その人がSNSで都会の友人に小代の情報をシェアすることで、田植えを手伝ってくれる人を呼んだりしたことも。小代という、団結力もあり、外にも開かれた地域で、小林さんは人とつながり、関係を深めていくことを楽しんでいるようだ。

 

「学びたい人も、地元の人も、Iターンの人も受け入れる雰囲気があります」

人の温かみがあり、仲間を大切にする傍ら、外からやってきた人にも声をかけて人との付き合いを深めていく。小代という場所で、夢も人付き合いも深まっていく。

 

「紙漉き」とつながる、自然の中の営み

「紙漉き」とつながる、自然の中の営み

神戸生まれ神戸育ちの女性が、縁もゆかりもない香美町村岡区へ。村岡区の長須地区でかつてくらしの道具作りとして根ざしていた「紙漉き」 それを復活させることで地域を元気にする「集落サポーター」として移住した本多秋香さん。慣れ親しんだ神戸から離れ、「ものづくり」の形を追い続けて、初めての田舎ぐらしに挑戦。彼女がその中で出会ったものはチャレンジフルな「日常」そのものだった。

問い続けた「ものづくり」の形

 20代~30代のころ、地元神戸の下町で服飾関係のお店を開いていた本多さん。生まれ育った場所でのものづくりの中、「これでいいのか」という疑問がぬぐえずにいたという。

「震災を機にその疑問が強くなって、お店を閉めて、車で東北や三重、四国などに旅に出ました。街でのくらししか知らなかった私にとって、畑を耕すかたわらでものづくりをする人、里山と共にくらす人との出会いは刺激になり、こんな生活が自分にもできたらと」  その後神戸市内でのまちづくりゼミで学び、まちづくりや地域コミュニティに関わりたいという気持ちが高まったころに出会った「集落サポーター」という仕事。地域支援を現地密着型で行うことにより、地域の活性化を図るこの仕事を知った時には、既に「村岡区長須地区で、紙漉きを復活させる」という内容が決まっていたのだとか。

「ここには知り合いもいない。神戸から3時間かかるし、友達と飲みに行けなくなるし、不安もありました。でも任期は1年間だけ。とりあえず行ってみようという気持ちで」  同じ兵庫県での移住。でも、時間地図上では、旅で訪れた三重県よりも遠い。ただ初めての長須地区で2泊ほどしてみたところ、「季節も景色も良くて、何だか『私ここで楽しくくらせそう』って」うれしい予感がわいてきた。

 

「紙漉き」を通して地域を元気に

「最初は、『住むのが仕事だからね』って言ってもらえて。それで、一生懸命住んだわけですよ」   

 当初の仕事内容として聞いていた紙漉きすぐに出来たわけではなく、まずは10年間使われていなかった旧長須地区の公民館を使える形にするところから。5月に移住し、改装されたのが12月ごろ。紙漉きについて独学で学ぶほか、研修に行くなどして試行錯誤、これから地域の人たちと紙漉きをしていきたいというところで集落サポーターの任期が終了。ただ同時に香美町の地域おこし協力隊の募集が目に留まった。もっとこの地域で頑張りたいという思いを面接で伝え、3年間の任期で地域おこし協力隊として紙漉きに携わることに。

 

「村岡高校の生徒たちと一緒に紙を漉いて自分たちの賞状を作ったりとか。マラソン大会の賞状を作ってほしいという依頼を受けて50枚、高校生を鬼のように働かせて紙作りをしたりとか」

 その他、都市部での出前紙作りワークショップや、地元のお店でのワークショップ、魚介を入れた紙漉きなど、斬新なアイディアを紙漉きと繋げて実現させる。

 

 

「でも私、興味のあることが多すぎて、紙漉き一本には絞れなかったんです」  

 村岡でのくらしは、紙漉き以外にも、彼女に数多くの刺激を与えた。

探究心を触発される 村岡でのくらし

「田舎ぐらしは初めてだったけど、ほんとしっくり。長須地区は20世帯で60人の住民しかいなくて、何やっても筒抜けなんです。それが、煩わしいって思う人もいるかもしれないけど、神戸で育った私には逆に新鮮。程よく放っておいてくれて、程よく気にかけてくれる。それが私にはちょうど良い具合。そうそう、来る前は飲みに行けなくなるのが心配だったんですけど、ここでは堂々と公民館でおじいちゃんたちと飲める、楽園みたい」

 地域の人の見守りを受けながら、紙漉き以外の分野にもどんどん挑む。狩猟の免許を取り、村の人と一緒に鹿を追う。山道のルートを発掘する。電気をなるべく使わないくらしに挑戦するべく、薪でお風呂をたく。

「猟を通して、地域にある素材や自然を生かす、利用するってごく当たり前のことなんだと感じました。薪については、始めはお茶一杯沸かすのに2時間かかるとか、うまくできなくて。それがだんだん、ご飯もたけるようになって」

 昔からある知恵や、自然にある恵みを利用すること。季節によって変わるくらし。現代の人が置き去りにしてしまった営みを、これから続けていきたいという想いを抱いて彼女は進む。香美ならば、夏は豊かな緑が、冬は白銀の世界が取り囲む。都会にいたころに見えなかったコントラストがここにはある。

「薪で火を起こした灰は、畑にもまくし、紙漉きにだって利用できる。くらしのすべてがつながってる。これからもつながっていくこと、つながっていきたいことがまだまだたくさんあるんです」

初めての田舎ぐらし、彼女が挑んでいきたい分野は、フィールドのあちらこちらにまだ潜んでいるようだ。

 

「程よくほっておいてくれて、程よく気にかけてくれる、ちょうど良い具合」

神戸から知り合いもいない香美に移住、様々な分野に挑戦する彼女をいつも見守り、程よい距離感でつながる。見守り、受け入れてくれる地域の人の存在が、彼女の挑戦を後押しする。