地域おこし協力隊から漁師・庭師へ。3年間全力で地域と向き合い続けた男が出した結論

房安晋也ふさやすしんやさん
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地域が抱える課題に対して、その地域で暮らしながら地域協力活動を行う「地域おこし協力隊」。地域おこし協力隊の任期は最長3年ですが、その間に地域でたくさんの体験をし、地域の人と広く深くつながれるのがメリットの一つです。2021年3月末に香美町地域おこし協力隊の任期を満了し、新たな道を歩み始めた房安晋也さんに、地域おこし協力隊の活動で得たものと、これからへ向けた想いを伺いました。

房安晋也さん

 

一人の人間として、地方と向き合いたい。「地域おこし協力隊」という選択

房安さんが生まれ育ったのは鳥取県気高郡青谷町(当時)。小学校在学中、いわゆる平成の大合併により、気高郡青谷町をはじめとする8町村が鳥取市と合併し、気高郡青谷町は鳥取市青谷町に。小学校は町立から市立になり、房安さんの卒業と同時に閉校になりました。子ども心に感じた「地元がなくなっていく」という感覚は心の中に残り続け、その体験から大学では地域学を専攻しました。

卒業論文では、沖縄県の共同売店について研究。共同売店とは、地区ごとに村民が共同出資し共同運営する売店のことで、単なるお買い物の場としてだけでなく、地域のコミュニケーションの場としても活用されています。とりわけ、国頭村くにがみそん安田あだの共同売店「安田あだ協同店」(http://farmthefuture.jp/ada/index.html)の取り組みに、今後の地域活性のヒントを感じた房安さんは、安田地区に3週間住んで、集落の環境や人間関係、地域に根づいた仕事など様々なところに顔を出しながら調査をしました。体当たりで集落の人間関係に飛び込み学んだ経験から、「学生としての立場ではなく、一人の人間として地方と向き合いたい」と、地域おこし協力隊を志すように。

大学の先生に勧められ、知らないまちだった香美町へ。「育った青谷町も海や山があるまちでしたが、香美町はいちいちスケールがでかくて自然がガチ。その雄大さに惹かれました」

流れるように香美町の地域おこし協力隊に就任した房安さんでしたが、そこからの3年間はとても色濃い日々が続きます。

 

 

村岡高校教育コーディネーターを通して得た刺激と、新しい仕事へのビジョン

 
村岡高校教育コーディネーター当時の房安さん

房安さんの地域おこし協力隊としてのミッションは、地域おこし協力隊の中でも特に業務が多いといわれる村岡高校の教育コーディネーターでした。村岡高校では、全国募集の「地域アウトドアスポーツ類型」のうちの地域創造系で、地域の課題に積極的に取り組む授業が受けられます。また、総合的な学習の時間「地域元気化プロジェクト」では、地域で開催される「みかた残酷マラソン全国大会」や「村岡ダブルフルウルトラランニング」に全校生徒がボランティアで関わるなど、地域との結びつきが強い学びの機会があります。その学びのなかで、地域から多くの外部講師を招くことがあり、その外部講師と学校をつなぐのは教育コーディネーターの仕事の一つです。積極的に地域と関わりたい思いを持つ房安さんにはピッタリの任務でした。

「地域の外部講師の方と話すうちにだんだん自分のことを覚えてもらえるようになってきて、地域のことを考えている講師の方々や、地域で積極的に活動している方とつながることができました。コーディネーターの魅力の一つは、仕事を通じて何度も地域の人と関わることができ、深く、仲良くなれることです」

村岡高校の生徒たちには、「この地域をどうするか」を自然と考える雰囲気があり、その姿勢にも刺激を受けました。とりわけ、地域に関わる取り組み方に一目置いていた生徒から、「房安さんはまだまだ地域バカじゃないですね」と言われたことは大きな奮起となりました。

村岡高校協力隊時代の房安さん

 

「自分自身がダイレクトに、地域の中に労働者・生活者として入っていきたい」

村岡高校で働きながら、週に3度はプライベートで香住に行き、釣りをしていたほど釣り好きの房安さん。香美町の地域おこし協力隊も3年目になる頃、漁師として働くという夢が徐々に現実味を帯びてきました。協力隊の上司に想いを話すと、上司の知り合いの船長さんを紹介してもらえた上、たった5分の面接で採用決定。あっという間に夢が形になりました。

「たまたま縁あって来た香美町が、面白いところだった。香美町は広いから、面白い人が広範囲に点在しているので、本気で出会いに行くと、いろんな生き方や職業とも出会えます」

地域おこし協力隊の3年間の活動が、実は長期間の「就活」につながることもある。だから、香美町の協力隊になる人は、とにかく3年間真面目にまっすぐに香美町と向き合ってほしい、そう房安さんは語ります。

 

漁師、そして庭師。香美町で暮らすことを選んだ彼のこれからの挑戦とは

2021年の4月に漁師デビュー。房安さんが乗るのは底引き漁の船。6月から8月は禁漁で、取材日は8月のため、漁師として経験を積んだのは実質2ヶ月です。海底に底引網を沈め、引航して行う底引き漁は、非常に過酷な仕事だと言われています。

「4月5月は凪なので、朝出て、ホタルイカを取って、夜帰ってくるという生活サイクルでした。9月からは、一回の漁に2~3日かかり、先輩からは『地獄見るから覚悟しとけよ』と言われています。短期的な目標は、とにかく底引きの船の過酷さをまず経験して、乗り越えること。長期的には一緒に漁をする仲間が増えたらいいなと思っています。香美町だけでなく、漁師はどこも後継者不足という課題があります。でも、潜在的に漁師に憧れている人はいっぱいいると思っていて、思い切って飛び込んでくれる人が世に広がっていったらいいなと思っています」

禁漁の時期は、房安さんにとってお休みの時期……ではなく、大切なもう一つの仕事に取り組む時期です。教育コーディネーターの仕事を通して知り合った小林良斉かずひとさん(https://kamicho-ijyu.com/buyuden/)のもとで、庭師の見習いもしています。

「年間で2ヶ月しか関われませんが、庭師もとても面白く奥深い仕事です。もっと時間があったらもっと関われる分だけお世話になって、漁師と庭師、2本の柱として生きていけたら理想です」

香美町では、夏の間は牛飼いと農家、冬は酒造りというような、季節労働が昔から行われてきました。単なる出稼ぎと言ってしまえばそれまでですが、自分の経験と興味と縁で仕事をつなげて生活する土壌があるとも言えるのではないでしょうか。

「香美町での暮らしは、ふんわりした『田舎暮らし』ではなく、面白いことができて、厳しいことの中にも光るポイントがあります。香美町は輝ける場所が見つかるまちなので、世の中に不満があったり、くすぶったりしている人に向けて、香美町での生き方を広げていく人になりたいと思っています」

まずは秋から、厳しい底引き漁に挑む房安さん。数年後、漁師の経験を経てのストーリーをまた伺いたくなるようなインタビューでした。

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