山に住んで暮らし方について考えた
2024.01.16
季節の味を楽しみに暮らす
山菜、野菜、ザクロ、フキ、みょうが、とちの実etc・・・。
「今日は疲れたから、今からこんなに皮を剥いたり煮たりできないよ」「週末でいいかな」
なんて言葉は、こっちの人の辞書には無い。
たくさん採れたら、その日のうちにさっさと即処理、即料理!
きっと、採れる頃合いもわかっていて、少し前からウォーミングアップしているんだと思う。
同じ材料、同じ料理だけど、作る人によってそれぞれ違う味になる。
例えば、村のみんなに人気の「あの人の作る栃餅」。
「あんなふう(あんなに美味しく)に作れないんよ」と噂される。
すごい。
私にとってはまだそれは天上人達の暮らし方なのです。
地域密着型の神仏
私は「お祭り」と聞くと、神社の境内に並ぶ出店が楽しみということに終始する。
それ以上に関わる機会が無かった。
そういえば、一部の子が子ども会でおはやしの練習をしていたなあと思い出す。
家に仏壇は無く、ご先祖のお墓参りは夏休みに親に連れられて遠くの村へ行く。
神社の人も、縁日の人も、お寺の人も知らない人だった。
香美町内のそれぞれの地区で行われるお祭りは、いつの間にかやっていて、そして終わっている。
私は香美町へ移住してから暦もつけてないし、コロナ禍と情報不足で行き逃し続けていたが、4年目にしてようやく行くことができた。
室町時代から続いているという三番叟も見に行くことが出来た。
舞台での舞(踏み)、うたい、笛、太鼓、拍子木の音に加え、秋の夜の竹林を揺らす風の音、揺れる炎、裏の山からの鹿のお嫁さん探しの声とが三番叟と一体になっている。
見に来ている人は、地域の人が20人前後。
みんなOBなのか三番叟をよく知っていて、「あそこがどうだこうだ」と真剣に言い合いながら見ている。
騒ぐ風と森、力強く続く三番叟・・・。
私はすっかり観客気分で来ていたけど、これは神様に捧げる為に舞っているんだと分かり腑に落ちる。
神様もとても喜んでいるような夜だった。
そして翌日の昼間に行われた奉納本番は、子ども神輿+三番叟+餅まき+大人神輿で海にinという大変なお祭りの全容があることを後に知る。
神仏や自然との暮らし方
春・秋の例大祭、夏の盆踊り、大晦日やお正月のお参り。
これに係る準備や清掃、練習、お金、時間・・・。
私は自分の家のことだけでも、指の間からやるべきことが溢れてこぼれ落ちているような日々だけど、ここに神仏に密着するとなると、こんなに仕事があるの!?と驚いた。
自分の仕事と、家庭、祭事、PTAすべてできるのだろうか。個人の休みはあるのだろうか。
休憩中のお神輿の担ぎ手のおじいさんに、こんなに祭事があるんだということを聞いて
「そんなに行事があったら、今まで大変だったでしょう?」
と聞いたら、
「え?いやあ~?」
長い人生できっと忙しい頃もあったろうに、苦ではなさそうなその態度からおじいさんのポテンシャルの高さにも驚いた。
私の住んでいる地区の人もそうだが、おじいさんおばあさんと呼ばれる年齢の人たちの体力・気力がすごい。
田畑をやっている人が大粒の汗をかきながら淡々と動き続けられる様を目撃したり、年に何度もある祭事を苦とも思わない姿勢とか、実はそれらは時に私を焦らせていた。
「私はそんなにタフじゃないけど、本当にここに暮らしていけるのだろうか?」
「諸先輩方の様でなければ、ここでの暮らしは務まらないんだったらどうしよう?」と。
しかし、山で自然を眺めながら暮らしているうちに最近は逆ではないかと思い始めた。
私は今までオフィスに居過ぎた。室内で生き過ぎたのかもしれない。
室内が大好きだったが、冷暖房の効いたオフィスで肩を落としてパソコン画面ばかり見ていた。
自分で食べるものを育てて、暦と供に祭事と密着して暮らせる、それが出来る働き方・暮らし方を模索するべきじゃないかしら。
そっちの方が自然界の一部の人間らしい暮らし方なのかもしれない。
暦と祭事、神様仏様からかけ離れコンクリートジャングルで生まれ育ったけど、やっとそう思う移住4年目。
きっと、香美町の人はとっくに知っていたことなんだろうなと思う。