誰もが笑顔になる梨を求めて

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香住ブランドの梨「香住梨」。
地域が誇る特産品の1つですが、近年は担い手の継続が課題となっています。

香住梨の産地や生産技術を守るため、JAや町、各種団体が協力して始まった「香住なしの学校」。

その2期生である宮川司さん。
香美町に移住し、梨農家として就農を目指されています。

人生の転機に思い出された「梨」の味

宮川さんは長野県のご出身、17年ほど陸上自衛隊員として働いておりました。

色々な学びを得つつも、何か感じる違和感や自分の気持ちに正直でありたいという想いが積み重なり、次第に退職を考えるようになります。そんな時に心のどこかで小さく燻り続けていたのは、昔食べた忘れられない「梨」のこと。

二十歳頃の宮川さんは真夏日の休日、地元長野県の戸隠という地域で自主的にランニングに励んでいました。途中の自動販売機でスポーツドリンクでも買おうとしたとき、わずかに握りしめてきた小銭が、百円玉ではなく五十円玉であったことに気づきます。

仕方なく水道水や湧水などでなんとか喉を潤し、帰路につきますが、走っているうちにだんだんと熱中症の症状が強く出始めます。

異常な発汗や頭痛、目が回るような感覚がしながらもやっとの思いで帰宅し、部屋で休養することにしたました。しばらくの時間、体を休ませますがなかなか頭痛が引きません。

そんな様子を見た母親が気遣い、たまたまその時に家にあった「梨」を剥いて出してくれました。

それが驚くほど美味しい。宮川さんは、言葉では表現しづらいと言いながらも、その時の梨は「魂に響く味」だったと表現します。今でもあの時の感動は印象深く覚えているそうです。

 

「香住なしの学校」に入校、そして香美町へ移住

高校卒業後に入隊、「一度決めた道ならば、この職場で定年まで働き通したい」。
そう思っていましたが、気づけば変わってしまった本心がそこにはありました。

「この先も自分の気持ちに嘘をついて生きるくらいなら、残りの人生は自分の思うものを追い求めよう」その思いが背中を押して、新たな一歩を踏み出します。

この時、腹を決めると同時に、やるならば「梨」だと強く思ったそうです。

2年ほど自分の腹落ちできる形を探し、妥協することなく、求め続ける中で出会った「香住なしの学校」。

4回のインターンシップを経て、2期生の募集に応募します。

そうして入校が決まり、空き家バンクで住まいを見つけ、2024年の3月より香住での生活が始まりました。

 

 

人につながる日々の暮らし

「梨」がきっかけで香住の地と出会い、暮らし始めて1年半。
地域の青年部会や消防団などにも参加し、近所の方々や漁業関係の方、兵庫県外の農家さん、香住梨を栽培される地元農家さんとの交流を通じて、日々人の温かさに触れています。

その中でもいくつか印象深い思い出をお話くださいました。
「地元の子供たちはよく挨拶をしてくれます。横断歩道で止まった車に、上級生が下級生にきちんとお礼を言うように教えていたりしている姿は印象深いです。また、カメムシの被害に遭いながらも、初めて梨が収穫できた時はとても嬉しく、ついついご近所の方に配っていたら、冬にとても美味しい蟹になって返ってきた時には、驚きとともに胸がいっぱい。とてもありがたい気持ちになりました。」

 

農業高校を卒業してはいるものの、果樹栽培の知識はほぼゼロからスタートした宮川さん。

紹介していただいた梨園は香住区隼人、周りにもたくさんの先輩梨農家さんがいらっしゃいます。
「香住なしの学校」だけでなく若手梨農家の生産グループ「香住まったナシ」という枠組みや周りの梨農家さんたちのおかげで、ほぼ初心者でもここまで来ることができました。

以前の梨園の持ち主さんが辞めるということで「二十世紀梨」の木を切られた場所には「なしおとめ」の苗木を植えました。

元々あった木の中支柱も、古くなり腐ってくると病気の発生元にもなってしまう為、全て撤去したりしているとのこと。

以前の持ち主さんが栽培を辞められてから、何年か経過していた梨園でしたので、枯れた梨の枝や古い資材が残った状態からのスタートでした。

それでも「香住まったナシ」の方々にもご協力をいただき、片付けを手伝ってもらいながら、少しずつ、就農に向けた準備を進められています。

4月には花粉付けを行い、摘蕾、摘果、その後は実の発育を見つつ、小袋かけ、大袋かけ。
収穫の時期を終えたら、秋から冬にかけては剪定や誘引、花芽整理を行い、また春を迎えます。

合間には病気や害虫予防の為に農薬を散布しますが、特に夏場の暑い時期の散布作業はとても大変な作業に感じるそうです。

 

誰もが食べたら思わず笑顔になってしまう「梨」をつくりたい

梨を求めてこの地にたどり着いた宮川さん。

他の地域には、平坦な場所で作業環境にとても恵まれた梨園もありましたが、こうして基盤や仕組みがある地域は調べていて、なかなか他にはなかった為「香住なしの学校」を選びました。

目指している最終目標は「誰もが食べたら思わず笑顔になってしまう『梨』をつくること」。

ありのままの自然を感じながら、そんな梨を作れるように少しずつでも自分自身を成長させつつ、梨農家として就農を目指す宮川司さんの挑戦は、これからもまだまだ続きます。

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