村岡地域局のほど近くにお店を構える「やまざと」。まちの本屋さんや、階段を降りて入るタイプの、ほっとできる喫茶店。そして、「ご当地アイス」を中心としたアイスクリームの卸売・ネットショッピングを主な事業としています。今回お話を聞いた田中輝明さんは「やまざと」の四代目。形を変えながら家業の暖簾をつないできた、その内にある想いを伺いました。
「家業を継ぐ」ことへの葛藤と戸惑い
「やまざと」でアイスクリームの販売を始めたのは輝明さんのお祖父さんでした。自家製アイスキャンディを作り、自転車で地元の人に販売。当時はたくさんの子どもたちが、お祖父さんの作るアイスを楽しみに待っていたといいます。先代・お父さんの代からはアイスの卸売販売を開始。冷凍車はなく、保冷車で地域のお店に配達していたお父さんですが、アイスを食べ頃のままに小売店に運ぶ、その手際の良さには定評がありました。
「やまざと」の長男として生まれた輝明さんは、当たり前に自分がこのお店を継ぐものなのだと考えていたといいます。村岡高校を卒業後、進学を機に神戸に移り、就職はそのまま神戸でアパレル関係に。やりがいのある仕事に刺激的な毎日、神戸で暮らす田中さんの暮らしには輝きがたくさんありました。いずれ村岡に帰るという思いはありながらも、阪神大震災からの立て直しなど目の前のことも忙しく、神戸で12年社会人生活を送った後帰郷します。帰郷後初めの2年は子どもと奥様を神戸に残して単身赴任のような生活。気持ちが落ち着く場所がなく、また家業にどのように携わればよいかわからず、戸惑いの多い日々だったといいます。
ご当地アイスを通して笑顔を届けたい
迷いながらの事業承継でしたが、「アイスクリームが好き」という思いはずっとあったと話す輝明さん。旅行等で地方に行くたびにアイスを食べ歩き、美味しいアイスに出会えたら「地元に帰ったらこんなアイスを取り扱いたい」と思い描くこともありました。また、先代がアイスの卸売をしてきた中にあった丹波篠山の黒豆アイスが好評だったこと、お客様からリクエストもあったことから「他の地域からもこだわりのアイスを仕入れられたらいいな」と考えるようになります。
仕入れやセレクトは、食べ歩きやネット取り寄せで、美味しいと思ったメーカーさんに直接アタック。都会で長く勤務していた経験があるからこそ、それまでの働き方が通用しなくて戸惑ったこともあるといいます。
「今思えば良くない態度を取ってしまい、取引を断られてしまうこともありました。一年経って反省し、再度お願いしたら『そこまで思ってくれるなら』と取引がスタートし、とてもありがたかったです。家業で生きていくに当たって謙虚であることの大切さを学ばせてもらいました」。人と人がつながる中で、輝明さんは新たな学びを得ていきます。
輝明さんが自らの目と足と舌でセレクトした極上のアイス。ただ卸をして販売をするだけでなく、バレンタイン・ホワイトデーなどイベントに適したセレクトセット、ヘルシー素材や美容にいいアイスのセット、小豆づくし・抹茶づくしの食べ比べセットなどのオリジナルセレクトセットとして販売しているのも注目ポイントです。
少しずつ取り扱いを増やしていった結果、やまざとは全国のご当地アイスを取り扱うようになりました。主に都心部や関東圏を中心に、人気を博しています。
「ご当地アイスと一口に言っても、それぞれ味が全く違い、個性があります。ぜひそれぞれ味わいながら食べてもらいたいです。アイスを食べながら怒る人はいません。アイスを食べるというのはあくまで過程で、それぞれの家庭の中にいつもアイスがあり、食べた人みんなが笑顔になる。そういう瞬間を提供したいと思っています」
雪国のアイス屋さんの奮闘ぶり
自分らしい形での事業確立に向けて
行き詰まる時に支えてくれるのは村岡の同級生や仲間たちの存在。今、主に喫茶を営んでいる奥様のはからいや人となりもあり、もともとの地元の友人だけでなく、帰郷してから更に人とのつながりが広がったといいます。集まる時には特に商売の話をするわけでもなく、楽しい話でひとときを過ごし、それがまた次への活力へ繋がります。
「今、長男は香美町を離れています。でも、もし長男がここに残りたいと言っていたら、『外に出てこい』と言ったと思います。今自分は、ここで取り組んでいる事業を確立させて、若い世代が『こんな仕事ができるならここに住みたい』と言ってもらえるような事業者になっていかないといけないと思っています」
お祖父さんが提供してきた地域の中での楽しみ、お父さんが築き上げてきた定評だけでなく、地域の人に「あんたがちゃんとやっている」と認めてもらえるように、このまちで事業を確立していきたい。それが今の輝明さんの中にある想いです。
「ずっとアイスに囲まれてきたんで、これからもアイスに囲まれてやっていくんだと思います」。自分らしい形での事業継承を見つけた輝明さん。コロナ禍で今まさしく時代が変化していく中、常に新しい事業や発信に目を向けながら進み続けます。