「香住でやらんな、意味無いやん」

CRUMB bread & coffee 本庄弘和さん 本庄裕子さん
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コロナ禍前の2020年はじめ、本庄弘和(ひろかず)さん(40)、裕子(ゆうこ)さん(38)ご夫妻が香住で「パン屋」をやろうと決めた時、奥さんの裕子さんから出た言葉「香住でやらんな、意味無いやん」

豊岡や城崎、竹野など、近くに観光商業地もたくさんある中、2人が香住で働く決断をしたのには、実はいくつもの理由がありました…。

( 美味しそうなパンが並ぶCRUMBのショーケース

(本庄弘和さん、裕子さん)

―いつかは香住に―

 弘和さんは香住生まれの香住育ちでしたが18歳から専門学校に通うため大阪で1人暮らしを始め、イベントの仕事などを経験。東大阪市に住む裕子さんと出会いますが、10年前に香住にUターンし、香住と東大阪の遠距離恋愛がスタート。Uターン当初は旅館の手伝いや観光ガイドなどをしていたけれど、次第に結婚を考えるようになり、豊岡で就職を決めた際に裕子さんを香住に呼んで結婚!すぐに長女を授かり、幸せいっぱいのご家族。コロナ禍の2021年1月、夫婦2人で香住駅前のパン屋さん「CRUMB bread & coffee」(クラム)をオープンされました。

「こっちで就職して頑張ってたんですが、このまま会社勤めで行くよりどうせなら自分たちでやってみたいなあって思ったことと、子どもの頃、香住の駅前通りもたくさんお店があったことを憶えてたけど、今は香住の町が段々と寂しくなっているのも気になってました。お年寄りや町の人が集まれるコミュニティが必要なんじゃないかなぁって。じゃあ自分たちにできることは何?って考えた時、せっかく奥さんがパン作りの技術を持ってるから、それを活かせたらいいなと…。」穏やかでおとなしい印象の弘和さん。大阪で暮らしている時にも「いつかは香住で暮らそう」と密かに思っていたとか。

―コネクション―

「Uターンで暮らすとしても、やはりコネクションは重要ではなかったですか?」との質問に、「高校卒業してから大阪だったし、帰ってからは豊岡勤めだったので、コネクションというのは正直少なかったです。でも、奥さんがこっちに来て、自宅でヨガ教室をしてくれたおかげで、同級生にも再会して、どんどんコネクションが広がった感じです。最初は『ヨガ頑張ってるんだなぁ〜』ってくらいで、一緒にやることも無かったですし、正直、あまりヨガには興味は無かったですからね(笑)」

「あとはそうですねぇ…、父が役場で、母が香住病院で働いてたので、実家の近所にある、このお店の大家さんの信頼はあったと思います。」裕子さんが香住に来てくれたことで、とても心強くなったと同時に、一家の主としての責任感も感じてきた弘和さん。奥さんの繋がりが、お店を開店するきっかけにもなったことに感謝。知識も経験もほとんど無かった「コーヒー」も、一から勉強したそうです。

 

―ヨガとパンー

 パンが好きで、パンのお店を開くのが夢だったという裕子さん。もちろんいろんな気持ちの時期も訪れ、26歳で営業事務の仕事を始めたり、いくつかの職種を経験したそうですが、やっぱり夢を捨てきれず、気づけばまたパン屋さんで働いていたとのこと。

また、大阪にいる頃からヨガにも興味を持ち、香住に移住して2ヶ月で自宅を使ってヨガ教室を始められました。「都会ではフリーランスの講師を企業などが業務委託してるパターンが多いですが、こっちはそういう企業も無いし、自分でやろうって思って。ライフワークとしてヨガを取り入れてもらえるようなスタイルで、自宅でやったり、生徒さん宅でやったりですね。」

ヨガ教室は都会にはありふれていても、田舎にはなかなか無い分野。自ら切り開いて続けていくのも大変だったのでは?と聞くと「香住だけじゃなくて豊岡でもレッスンをしていて、どちらかというと豊岡で知り合った人の方が多かったです。教室を開いてすぐに妊娠したので、大変なこともありましたけど、楽しくやらせてもらってました。このお店の2階でもヨガをやろうかと話してましたが、今はそれどころじゃないですね…(笑)」

( ヨガの先生でもある裕子さん 今はパン作りに専念 )

―ベクトルの向きが同じに―

「今、子どもが通う保育園も満足していて、その繋がりを通して広がった仲間と町の活性化を少し意識するようになって、夢だったパン屋を香住でできたらいいなという思いが強くなりました。ヨガのつながりは豊岡の方が多かったから、豊岡でも考えましたが、他にもパン屋さんはあるし、どうせやるなら香住の特色を生かせるパンも作っていきたいとも思いました」町が寂しくなってきていると感じていた弘和さんと、町の活性化を考えていた裕子さん。2人が香住へ移住することで、自分たちの居場所が見つかり、ベクトルが同じ方向に向いたことが、お店をやるための大きな「きっかけ」となり、「目的」が明確になったと言えるでしょう。

―ふわふわした感じ―

2020年はじめ、新型コロナが蔓延、お店の構想段階の時には、1回目の緊急事態宣言が出されていた。最初は空き家バンクで探していた物件に決めようと思っていたが、莫大な費用が掛かることが分かり断念…。やっとのことで見つけた今の物件は、近所のつながりから紹介してもらえたとのこと。弘和さんが幼少の頃、たくさんお店が並んでいた香住駅前で「本屋さん」だった建物!自宅からも近いので、ここに決定!

改装工事は、町内の建築屋さんで弘和さんの同級生のMさんにお願いし「少しでもコストカットしたいならDIYは?」と提案され、床のシート剝がしなどから、ほとんどを自分たちでやることに。

「『え、これって全部人力でやるものなん?機械とかネットで探したらあるんちゃうん?』ていう工事でしたねぇ~、ホントに。こんな仕事してるM君大変やろなぁって…。天井の解体作業の時なんて、私らはゴーグルとかマスクで完全装備してコツコツやってたけど、それを見てたM君が『これは手伝ってやらんと間に合わへんわ』と思ったのか、おもむろに何の装備もせずに天井をバリバリ―ッ!って解体し始めたときはビックリ!(笑)しばらく2人でボーッと見学してました(笑)」世話好きな同級生Mさんに感謝です。

「壁のペンキ塗りも親戚や友達を誘ってみんなでやりました。本当はもっと公募してやりたかったけど、時間の余裕がなかったなぁ~」解体から施工、開店準備まで、お店ができていく過程を、ずっとSNSで公開して共有していたことも、みんなの注目を集め、集客に繋がったと裕子さん。

( 友人の助けも借りながらのペンキ塗りの様子 )

パン製造の機械は、新品同様の中古品を選択。購入前にお店に赴き、試作してから検討するのが本来の流れだけれど、コロナの影響などで断念。いちかばちかのLINEだけのやりとりで購入。「開店前の準備はいろんなことが同時に起こって、オープンした今でもなんか頭の中がふわふわした感じです。お店のコンセプトも最初は『カフェでパンを食べられる店』だったのが、コロナ禍で『テイクアウト』を意識するようになって『お茶ができるパン屋』に変更しました」

そして2021年1月16日にオープン!

「コロナに負けずにオープン!」ということもあり、各メディアにも紹介され、一気に町の話題に!

( 素敵な内装の店内 )

−「実感」−

オープン後はどうですか?の質問に、

「おかげさまで、いろんなところで紹介してもらえてありがたいです!SNSで『やってくれてありがとう』とか言われたときは嬉しかったし、少し驚きました。自分たちがやりたいなと思ってやったことが、そんなに周りの人のためになってるんだ!って」と裕子さん。

「最初は無かった『香住愛』『郷土愛』みたいなのが、お店をやり始めてだんだんと芽生えてきました。香住でやってよかったなと思います。昔はたくさんあった駅前の商店街の賑わいが少しでも戻れば…。あとは駐車場を確保できるようになればなぁって考えてます。」と弘和さん。

クラムさんには、地元の食材を生かしたパンなどもあり、これからも楽しみな要素がたくさん!

「香住でやらんな、意味無いやん」で、香住の町がさらに元気になれますように。

(町民ライター 池本 大志)

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