「音学、音が苦… でもやっぱり音楽」

こんぴら一座
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― 町の一助になる存在 ―

「チンドン屋 枯野と言えど 足踊る」加藤楸邨

「チンドン屋 吹かれ浮かれて 初嵐」吉屋信子

田舎道の哀愁漂う風情を連想させる俳句ですが・・・

そもそも「チンドン屋」とは?

『白塗り化粧や仮装を施し、地域のイベントや店舗の開店時に「チンドン」と呼ばれる、鉦(かね)と太鼓がついた楽器やクラリネット・サックスなどを鳴らして人を集め、街を練り歩く、宣伝請負業者のような存在』

町の小規模店舗から大イベントにわたって活躍する「町の一助」になる存在です。

現在、日本各地で「チンドン屋」は意外に多く、女性だけのグループやプロ意識の高いグループなども存在し、全国大会も催されているほどです。この兵庫県にも姫路や高砂、但馬などで数グループあると言われており、香美町香住区にも「こんぴら一座」というグループがあります。

今から約30年ほど前(途中解散期間あり)、メンバー3名で結成されました。

隣町で開かれたジンリキソニックでの公演の様子

 

 

― もうひとりの自分がそこに ―

きっかけはリーダーの田淵さんでした。

ミュージカル映画にも出演経験のある田淵さんは、香美町の某神社の神主が本職。東京の某神社に奉職されていた時に、神主の仕事絡みで某ミュージカル劇団との付き合いが始まり、その劇団所属の宣伝部隊の「チンドン屋」と出会ったのがそもそもの始まりでした。

「何が魅力だったかって、その人たちと話をすると、メンバーの職業が公務員とか刑務官や高校の女性教師とか、みんなお堅い仕事の方ばかりでね〜。なんかこう、変身願望というか、もうひとりの自分みたいなのが出せるというかですね〜。これは面白そうだ!って思いました」

自身もどちらかというとお堅い職業だったことで親近感が湧き、気付けば自分も参加していたとか。「昔、表参道がホコ天(歩行者天国)の時、今では懐かしいタケノコ族やら色々いた中、私達も扮装して、チンドンで堂々と練り歩いたことがありました。あれは気持ちよかったですよ〜」

しかし、たまたま、その行列を見かけた旅行中の香住の方がおられたようで、後に帰郷した際に「あれは田淵さんだったのでは?」と尋ねられた事があり、自分じゃないと説得するのに必死だったとか。

「懐かしい。そんなこともありましたよ。その後帰郷して色々音楽活動をする中で、いろんな意味でやっぱりチンドンは面白いなぁと…、それで当時香住で『ふれあいコンサート』を一緒にやってた、この2人に声を掛けたんですよ」

声を掛けられた1人、中村さん

「ふれあいコンサートもそうだけど、他にも音楽のイベントをいろんな施設で始めた時期だったんで、これは面白そうだなと思った」

高校生の頃からギターやバンジョーを手にさまざまな場所で演奏し、メンバーの中で最も場数を踏んでいる中村さん。

「チンドンでいろんな施設をまわって、扮装して演奏したら、みんなが今まで以上に笑顔になって喜んでくれてね〜、それが嬉しかった!」聴衆の反応が何よりも「やり甲斐」や「やる気」に繋がるとか。

スラっとした容姿の中村さん。顔面白塗りで女性の着物を纏い、静かにバンジョーを持って立っていた時、その姿は何とも「不気味」とも言える一面があり、一部のファンから密かな人気でした。

 

そして田淵さん、中村さんに比べて若手のメンバー、寺川さんは、メインとなる「チンドン」担当。

メンバーの中でも「お笑い担当」でムードメーカー的存在です。

「変わったことがやりたいなという気持ちは、ずっとあった。」

高校生時代からブラスバンド部とフォークソング部に所属するという二足のわらじで活躍。最初は「モテたかった」から始めたドラムも、いつしか楽しさが勝ち「好き」になっていたとか。今でも香住高校吹奏楽のOBとして、様々な地元の音楽の場に出向いておられます。

ただ、当初こんぴら一座ではムードメイクに専念するあまり、肝心のチンドンが「未熟」と指摘され、脱退の危機に!一座の活動が休止した期間もあったそうですが、修行に修行を重ね復帰!

「一番最初に持ったチンドンはすごく重くってね〜。座長手作りの2台目は軽量化したから演奏しやすくなったわ〜」と嬉しそうに話す寺川さん。

― あの頃な、この頃な。 ―

大阪や都会ではプロのチンドン屋もあるという世界・・・

田淵:「チンドン屋もやはりプロと言われる世界があって。自分達もそう捉えていないと、聴いてる方も楽しめないんじゃないか?って思ってましてね、私もサックスを吹きながら後ろに歩く練習や、演奏しながらの階段の上り下りなんかも練習しましたよ。最近は、年のせいで足元は・・・危うい・・・階段もしんどい・・・」

中村:「ひとつのバンドと一緒だから、それぞれ思惑やスタンスも違ったりしてね、でもそんな一生懸命な時期もあったな〜」

 

中村:「でも、定期的にボランティアで一座をやってたけど、どこだったか、老人ホームでやった時、聴いてくれていた人が、涙を流して喜んでた時は『やっててよかった〜っ!』て思えたね」

田淵:「そうだね〜、やっぱり昔懐かしいチンドン屋に親しんで、喜んでもらえることが『やり甲斐』につながるし、相手を元気に、そして自分も元気をもらえますよ」

 

その後の3人の会話からは、あれやこれやと数々のエピソードも出てきます。

「依頼されたイベントで、大好きなカレーの店があって『出番の後、ギャラ代わりにご馳走します!』と言われて頑張ったのに、出番終わったら売り切れて食べられなかった時の『恨み節』」だとか、

「白塗りの顔で幼児がみんな泣きだして大騒ぎ」やら、

「Y村の〇〇一座よりもウチの演奏の方が上だ!と自負したいと思ってる!」などなど・・・。

 

 

「実はこんな少人数でも、それぞれの仕事の関係、音楽の指向の違いなんかで、チンドン屋から少し離れた時期もあったのですが・・・。でもなんでしょうねぇ〜、歳をとるにつれ、考えが似てきたのか、仕事とか妻とか?それぞれいろんな事から解放されてきたからなのか、そんなこともお互いにあって、再結成できたんじゃないかなぁ〜って思ってます」と、どこか嬉しそうに話す田淵さん。

 

しかし、以前は様々なイベントで依頼もあったのですが、残念ながらこのところ披露する場も減ってきました・・・。

 

寺川:「早くコロナが収まって、なんの遠慮も無しに皆が集まれるようになりたいよね」

田淵:「『あのコロナ、このコロナ』という昔話に1日も早くなっ・・・んあ、ちょっとわからんかww」

中村・寺川:「・・・・・・?」

― 後継者問題? ―

そんな「こんぴら一座」にも、多分に漏れず高齢化(平均年齢6?歳)の波が押し寄せています。

寺川:「チンドンを持ってたら足元が見えないから、階段とか段差がもう、怖くて怖くて・・・」

田淵:「その前に、私なんか演奏してる間に、憶えてたはずの曲が途中からわからなくなる・・・」

中村:「あ〜そぉ?僕もたいてい危ういけど、まだそこまではないかなぁ〜・・・」

田淵:「本当?コード進行が怪しかったこともあるぞぉ〜?」

中村:「あ!途中で違う曲になってた事もあったな〜」

 

「こんぴら一座」の後を継いでくれそうな方とかは?

例えば、この記事を見て「やってみたい!」って方が来られたら?の質問には・・・

 

寺川:「そりゃ!メンバーに入りたいって、言ってくれる人が居たら大歓迎!」

田淵:「でも、居なかったら、もう終わりぃ〜って事になってしまうなぁ」

中村:「そりゃ寂しい話やなぁ〜」

田淵:「だって年寄りくさい口上※を創って述べられるような人も、なかなか居ないでしょぉ・・・?」
※口上・・・芝居で舞台の上から、襲名披露、出し物の説明などを述べること

中村:「口上ができなくても、やる気ある人だったら・・・・・ねぇ!?」

寺川:「そりゃもう『こんぴら一座』を懸けて応援する!特に女性だったほら!・・・ね!?」

 

田淵:「・・・・・」

田淵:「まぁ・・・・でも・・・、やっぱウチら、高齢者集団だからそろそろ・・・」

中村:「あ、そうね、僕らはもう年金もらってるから・・・(笑)」

 

寺川:「えっ⁉︎ 僕まだ50代ですよ〜」

 

本当に仲が良くて、ユーモア溢れる「こんぴら一座」。

コロナ禍を吹き飛ばしてくれる存在です。あなたもぜひ!

「こんぴら一座」の出演依頼、メンバー応募のお問い合わせは「古民家喫茶 岡見(0796-34-8815)」まで

 

(町民ライター 池本大志)

 

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