海の香住での思い出と、山の村岡への引っ越し
2022.07.27
防災行政無線という存在
「今日の夜、どこそこで天体観測会があるんだって。行ってみたら」
「昨日、あそこで火事があったって」
同じ情報を違う人から聞くこともあり、皆の情報収集能力が高いのは、それだけつながりがあるということなのだろうか?と思っていた。
早々、その問いに対する応えが出た。実は、「防災行政無線」というものがあり、手続きをすれば、町から無線機を貸し出してくれ、家に居ながらにして、防災・防犯情報、行政からのお知らせを聞くことが出来るという画期的な存在があったのだ。住民に周知することを目的に設置されるシステムで、行政からのお知らせだけではなく、お昼のチャイム、子どもたちの下校の時刻には校歌のメロディが流れ、自然と香美町出身の大人が校歌を口ずさみだすのだ。猿が出没した地域では、戸締りなどしっかりしてねとアドバイスもしてくれる。
防災行政無線の他に、毎月第二木曜に配られる、町発行の「ふるさと香美」という広報誌もあり、こちらもまた香美町情報を厚くしてくれるツールだと知る。
東京にいたときよりも、町の色々なことを身近に感じさせてくれるのが、防災行政無線や広報誌という存在。
早朝のサイレン
眠りが浅いレム睡眠の時だったのだろうか、突如、窓の外からサイレンが聞こえた。
「すわ!何事だ?!」
と、飛び起きた。
ウーー、ウーー、というサイレン音はしばらくすると止んで、耳を澄ましてみるもそれ以降何も聞こえない。
1、2秒の間に駆け巡る思考。心臓が急ぎだし、体はすぐ行動出来るように臨戦態勢に。
「サイレンに気が付かず、いつまでも寝ている家族を今すぐにたたき起こすべきか」
「仲の良いご近所さんも気が付かず寝ていたらいけないからピンポンしようか」
「何を持って逃げよう。一体どこへ逃げよう。」
携帯で町のホームページや兵庫県の防災情報をチェックするも何も上がっていない。
少しすると、あまりの静けさに今度は「あのサイレンは本当に鳴っていたのだろうか?」と自分を疑い始める。
そのまま、いつもの朝がやってきた。私以外は家族も町も穏やかにいつもの朝を過ごしている様だった。
後で人に尋ねたところ、毎日開かれるのではないが、サイレンは漁港での競りの始まりの合図のサイレンなのだと言う。
漁師さんや水産関係の知り合いが少なかったので、実感が薄かったけど香美町の香住はそうです、漁師町!
引っ越し 香美町の海から香美町の山の上へ
2年間香住の潮風を嗅ぎながら、潮は体に良いような気がして得をした気分で過ごした。
かねてより検討していた、夫の職場がある村岡区の山の上に引っ越しを決めた。
2年間の香住区香住の生活は、とても便利で自然も近くにありながら、ぬるま湯の様にぬくぬくだった。
いよいよ、自分たちでなんでもやる為の場所へいざ町内引っ越し。
香美町は、海と山の方では、冬の雪の量が違うので引っ越し後の生活を心配してくれる人もいた。
仲良くなった香住のご近所さんたちと毎日の様に会えなくなるのはとても寂しかったが、山の上に遊びに来てもらおうと自分とご近所さんを励ました。
海から
山へ
空き家の片付け、出来るところは自分達でDIY
空き家バンクで見学した中古の家を購入し、リノベーションしてから入居することにした。
まずは、残っていた元家主の家財を処分。一見、物があまりない家のように見えていたけど、押入れや屋根裏、物置部屋から次々に出てくる荷物に、少し途方に暮れる。
お皿もたくさんあり、「使える」「使えない」で選別していると、残すことになる物が多くなってしまうので、自分が「いいな」と思うものを残したが、それでも大きな段ボール3箱くらいになって、結局また物置部屋にそっと収納した。残りは片道1時間のごみ処理場に持ち込むために何度か通った。
リノベーションをしたくて、大工さんに頼む。節約と楽しみも兼ねて出来るところは自分達で。
古くなった畳をはがし、大工さんにフローリングにしてもらう。
大工さんに時間をもらって、床下が露出している間に湿気予防の為の調湿剤を撒く。加減が全くわからない。
壁には下地材と珪藻土を塗りつけた。
ちなみに引っ越した今も、DIYの部分は今だに完成していない。
なんとか、サグラダファミリア化は避けたい。
【次回 山暮らし一年生をお届けする予定です。】