余部鉄橋と山陰海岸ジオパーク 但馬の魅力を撮り続けて60年

千﨑せんざき 密夫みつおさん
  • 地元
  • 香住
  • 町民ライター
ギャラリーあまるべで開かれていた千﨑密夫展の会場で

近頃はお歳を召していても、とても元気な方が多いと言われますが、このお方もその中のお一人に間違いありません。

アマチュア写真家「千﨑密夫さん」は、香美町香住区長井地区の生まれ。学生の頃から「カメラ」の虜となり、約60年という長い年月、余部鉄橋だけでなく、香住の漁師町の日常生活や、周辺の自然、特に山陰海岸ジオパークの風景なども含め、実にドラマチックな写真を撮り続けてこられています。

 

「月給が7~8千円の時代に、ニコンのカメラが大体5〜6万しましたかね。親父にせびったら『撮るなら世間の役に立つ写真を撮れ!』と言われました。さて、世間の役に立ったかどうか…。いやはや、ただの道楽ですよ」と話す千﨑さん。お話を聞かせていただいた場所は、自身が手掛けた受賞作品が並ぶ個展の会場。気遣いもさることながら、実に謙虚で明るく優しいお方、現在90歳を越えておられます。

 

鉄橋にも写真にも物語が

(千﨑密夫 写真集「驚異の原風景 山陰ジオパーク」より)

 

「あれは昭和33年ですね。余部に養子にくることになってから、鉄橋を撮り始めました。昭和34年に余部駅が出来ましてね、それはもう嬉しかったですよ〜。余部駅のない時は、みなさん隣の鎧駅まで、鉄橋を歩いてトンネルを通って通勤してましたからね。トンネルの中に待避所があって、汽車が来たらそこに入って、じっと待っててね…」

郵便局の外周りの仕事の時などは、橋を渡り、トンネルを通って鎧駅まで郵便物を取りに行き、またトンネルを通って橋を渡って帰っていたとのこと。地上から約41メートル、鉄橋の上からの光景はさぞや恐ろしかったでしょう。

 

今や観光名所となった余部橋梁ですが、鉄橋時代には悲しい過去もあります。

昭和61年の年末、お座敷列車で知られた観光列車、特急「みやび」が鉄橋を通過中、強風に煽られ客車が橋から転落、真下にあった水産加工場や民家が下敷きとなり、6名が犠牲となりました。

「事故の時から被害者の方や遺族の方々が気の毒で・・。それから10年ほど、鉄橋にカメラを向けられなかったですね…」

カメラから離れていた期間、何かに取り憑かれたかのように木彫りに専念。何事にも真正面から取り組み、そこから生み出されるものは、技巧溢れる素晴らしい作品の数々、人並外れた集中力をお持ちです。

千﨑さん手作りの木彫りの書

「平成16年頃ですかね、コンクリート橋梁に架け替える話が出てきて、鉄橋が見れなくなるって思うと、自然に写真に収めたくなって、再び撮り始めました」

水田に鏡のように映し出されている鉄橋の写真は、風が止むのを静かにじっと待ち、その瞬間を逃さずにシャッターを切る・・・。

好きな時に好きなだけシャッターが押せて、撮ってからすぐに写真を確認できる今のカメラとは違い、撮影後に現像して、写真になって初めて確認できる時代だった。それだけ写真は時間もお金も掛かるものであり貴重。シャッターを切る瞬間の「喜び」、現像して初めて得られる「感動」が千﨑さんの心を今でも鷲掴みにしているのは事実です。

 

「どんな写真が撮れるかな?と考え、それに合わせて行動するんです。思った通りの納得のいく写真を撮るために最低5〜6回は訪れてね。動かない被写体でも1〜2時間はそこにいる。現像して反省して、また撮りに行ってという日々でした。やっぱり写真にはそれぞれ物語があります」

今から10年ほど前、80歳前後の時にデジタルカメラが流行し始めましたが、それでもずっとフィルムでの撮影にこだわり続けます。

 

「鉄橋だった時は、汽車が通ったら時間がわかって、駅に迎えに行く時間だとか、地元にとっては生活の一部だったけど、今は橋梁になってからは、汽車の音が聞こえてこないね〜。寂しいというか・・・」

 

毎回が冒険だった「ジオパーク」

香住区余部東港から突き出た「さわりの鼻」付け根あたり。泥岩や砂岩の地層がダイナミックに映し出されている。

(千﨑密夫 写真集「驚異の原風景 山陰ジオパーク」より)

 

断崖絶壁をはじめ、奇岩や洞門、洞窟もさることながら、透明度抜群の美しい海岸線が広がる「山陰海岸」は、ユネスコ世界ジオパークに認定されるほどの高いポテンシャルを持つ海岸です。千﨑さんにとっては、遊び場だった山陰の海岸線。千﨑さんは、ジオパークに認定される前から、あらゆるシーンをカメラに収めてこられていました。香住の漁師の日常風景や、断崖絶壁に棲む鳥や野生の動物、風景の中に人や動物が暮らしている、動きのあるその光景にこそ価値があるといいます。

 

「この周辺一体が国立公園になるんだと聞いて、こりゃもっともっとアピールしていかないとって思いました。一般的なアングルじゃなくて、藪の中に入っていったり、木に登って高い位置から撮ったり、光の入り具合とか見ながらですね。かすみ丸さんにも協力してもらった。色々苦しいこともありましたが、そりゃあ楽しかった!」

一枚一枚に千﨑さんの冒険が詰まっていて、どの写真も魅力的な瞬間が切り取られている

 

香住沿岸にある、アメリカの原住民の横顔に似た「鷹巣島」に鷹(ミサゴ)が止まっている写真などは、それはそれは大変なエピソードが・・・

「少しでも写真に動きを取り入れたくてね、近くのオッパセ浜から、タイヤのチューブを板にくくりつけてカメラを載せ、海に浸かりながら、カメラを濡らさないようにゆ〜っくりと岸に沿っていきました。近くの岩へよじのぼって、鷹巣島にミサゴが止まる瞬間をじーっと狙って撮ったんです。」

「毎回が冒険でしたし、失敗もたくさんあった。木から落ちたこともあったし、カメラが波にさらわれたこともあった。鉢伏山の『昇竜の滝』の雪のあるところを撮りたいって思って、沢登りをしてたらね、滑って転んで膝の骨が見えるほどの怪我してしまって・・・。血だらけになって運転して帰ってきたこともありました。奥さんはもう呆れ果ててましたね…」

お話の中で出てきた「昇竜の滝」と同じ村岡区の「猿尾滝」の天然の石仏群 (千﨑密夫 写真集「驚異の原風景 山陰ジオパーク」より)

 

4〜5年の歳月を掛けて様々な山陰海岸ジオパークに関する写真を撮り続け山陰海岸ジオパークの写真集「驚異の原風景 山陰ジオパーク」が完成。関係者の方々にプレゼントしたそうです。「かなり喜んでもらえました。民間も頑張ってるんだという認識を、少しは持ってもらえたんじゃないかな?」

右 千﨑さんの写真集はギャラリーあまるべで販売されている。
ギャラリーあまるべ

 

地元の人のおかげ

「でも、いろんなところをこうやって撮影させてもらえたのは、その地元の人のおかげです。私に土地勘がなくて危ないからと、本当に皆さん親切に案内して接してくれたんですよ。それがとっても嬉しかった。本当に涙が出るくらい。ごっつい忘れられません。今はもう膝が悪くなって、写真を撮りに行けない。私にできることは認知症予防くらいで…」

写真を撮りに行けなくなってからは、般若心経を日々綴っておられるそうです。

趣味の域を超えた「作品」とも言える般若心経

 

千﨑さんがこれまで撮影してきた写真の数々は、いつまでも余部鉄橋やジオパーク、但馬の風景の素晴らしさを伝えてくれることでしょう。

 

「世間の役に立ってるかどうか…。いやはや、ただの道楽ですよ」人柄が滲み出ている、この言葉がとても印象的です。

(町民ライター 池本大志)

 

  • 店名
    ギャラリーあまるべ
  • 営業時間
    10時~16時
  • 定休日
    毎週火曜日
  • TEL
    0796-20-3617(道の駅あまるべ)
  • web
  • 料金
    大人:100円/人 子供は無料
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