田舎暮らしできなさそうな私が田舎に引っ越してみた話

2022.12.28

       

「田舎に憧れる」と言った。

「いやいや、絶対無理!絶対できないタイプやって!笑 

遊びに行くのと住むのは違うで?遊ぶとこないで?

想像してる何倍も不便やで?自炊とかするん?コンビニ遠いで!」

実際にいろんな人から言われた。

笑って楽しく酒を飲みがら冗談まじりに言われたその言葉も、心配してくれる本気の言葉も、

私はいつも軽く笑って受け流してはひとりで過ごす夜のふとした瞬間、その言葉ひとつひとつを思い出した。

こびりついた言葉たち。

かさついた指先の逆剥けが気になって仕方がないような、

なんとも言えない気持ちだった。

 

 

私は大阪市の下町育ち。

両親共に大阪市出身のため田舎のおばあちゃんも田舎の親戚もいない。

田んぼと畑の違いも知らず実際に見たこともないまま大人になった。(無知すぎる)

ないものねだりなのか、気付いた頃には田舎に憧れがあった。

そして純粋に田舎で幼少期を過ごした人の人生経験や価値観に興味があった。

でも田舎に移住って夢や目標があったり、行動力の塊のような人がするもんでしょ?と思っていた。

そんな私が今、寒い寒いと灯油を買いにわかばマークを貼り付けた車を走らせながら雪が降ることを心配していること自体、不思議でたまらない。

"海の近くに住みたい"

2022年11月。

運良くご縁が重なり香美町香住区に引っ越してきた。

タマゴの賞味期限が今日までだ。食べきれなかった。4つも余っている。

こういうときに1人だと気付かされる。

嫁いできたわけでもないのに27歳という妙齢の女が”海の近くに住みたい”だけでそこそこ便利な地元大阪から1人でここ香美町という町に越してくるというのは不思議なことなのかもしれない。

 

移住してみて

今までと違うと感じた事といえば”他人様の家をお借りしている”という感覚だったこと。

空き家バンクを通してお借りした一軒家。

「アパートの契約」とは訳が違う。家主様と直接お会いし、

まだ少し生活感が残る家主様のご実家をお借りして私が住むのだ。

大きな神棚やご先祖様のお仏壇もそのまま。

住まわせていただきありがとうございます。とお線香をあげさせてもらったり、どんな暮らしをされていたのだろうと考えることもある。

 

とは言ってもまだまだ新鮮なことばかり。

畳は腰が痛いし足はすぐ痺れる。

でも床の間は冷たくてスリッパがないと歩けない。人生初こたつは最高。だってどこにいても寒い。

お風呂場も脱衣所も寒い。先にお湯を出して湯気で浴室を暖めている間にアイドルの早着替え並の速度で服を脱ぐ。熱めのお湯で手足がじんじんする。

 

毎日車に乗る生活なのにまだGoogleマップを頼っているし、駐車はいつも斜めだ。

インターホンはない。部屋数が多いため電気を消す順番を間違えると何にも見えないまま寝室まで辿り着けずおろおろする。

初めて夜道で大きなツノのある鹿と出会った時の衝撃は忘れられないし、

これを書いてるうちに初雪を経験した。向かい風の霰は恐ろしいし憎らしいけど大量の流れ星の中を掻い潜っているみたいな感覚だった。

 

些細なことに感動したり幸せを感じながらここで暮らしていきたいなと思う。

香美町に来たきっかけ

高校時代から仲の良い友人が気付けば香美町小代区に住んでいた。

私からすれば自由で行動力がある彼女だからこそ出来た素晴らしい選択で、

すごいなぁ!すごいなぁ!と言っては

小代に何度か遊びに行った。

とても楽しくあたたかいひとたちに囲まれて幸せそうに暮らす彼女を羨ましく思ってはいたが、こびりついた言葉と固定概念が私を引き留めていた。

「香美町にも海あるよ!遊びに来たら?」そう言われた瞬間から既にドキドキしていた。

 

そして日本海を見て胸が高鳴り、帰りたくなくてどんどん都会に近づくバスに揺られながら涙が出たことを思い出す。

 

住みたくなった。

 

移住したと伝えると皆んな

「すごいね、なかなかできない選択だよ」と言う。

私がそう思っていたように。

でも私の場合、全然すごくもなんともなかった。無職だし。全然悩むし。

何も変わってない。どこに住んでいても私は私でしかないのだ。

だけど、好きなところ、心がときめくところ。

毎日通る道がふと愛おしく思える、今までとは違う匂いのする町に住めた。

どうせ悩むなら好きなところで暮らそう。

そう思ってここ香住へ来た私の選択は今のところ大正解だ。

何も誇れるものがなくても自信がなくても、来ちゃえばなんとかなる!

そう思うだけで毎日は健やかであると私は信じている。

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