香美でのチャレンジをバックアップできる存在に

香美でのチャレンジをバックアップできる存在に

 

2015年に立ち上げられたNPO法人TUKULU。地域の中でチャレンジが芽生えるとき、頼れる、話せる兄貴分がここにいる。理事長の松岡大悟さん。本業の傍ら取り組む「まちづくり」で、彼が大切にしていることは、さりげなく、それでも地に足の着いた着実な取り組みだった。

 

面白みのない日々が、ワクワクで一杯になった理由

 地域の「困った」に耳を傾けて拾い上げ、その課題解決のために動くNPO法人TUKULU。理事長の松岡大悟さんは、本業である塗装業に精を出す傍らで、まちづくりのために動く時間を惜しまない。日々の活動に「ワクワクがたくさんある」と語るものの、始めから楽しめたわけではないという。

 香美町香住区の塗装屋さんの長男として生まれた松岡さん。一度は進学を機に故郷を離れ、鳥取県の米子で寮生活を送る。初めての都会の生活はめまぐるしく、とても充実していた。それでも卒業後、「何となく家業を継ぐのかな」とすぐに帰郷。今と同じ塗装業に勤しむも、「30代までは、与えられた仕事を粛々とこなすだけ。決して楽しいわけではありませんでした」と語った。

 転機は商工会の青年部に入り、まちづくりに関わってまちの課題を肌で感じたこと。40代で青年部を卒業すると、「まちづくりは卒業、本業に専念して」と言われる。そこに松岡さんは疑問を感じたという。

「うちはまちの中にあるペンキ屋なのに、まちづくりをせず商売だけやるというわけにいかない。卒業したら町や地域と関われなくなる。じゃあ、何か任意じゃない団体を立ち上げてみるのはどうか、と」

NPO法人TUKULUのメンバー

 

 仲間に賛同者が現れ、2015年11月にNPO法人TUKULU立ち上げ。翌年には移住定住相談窓口の業務委託を受けるようになった。まちづくりに主体的に関わるようになったことで、日々はどんどん輝きを増していく。

 

仕事と両立する「まちづくり」の形

 移住相談窓口の業務を請け負うことになったとはいえ、「とにかく数多く移住者を呼びたい」とは考えていない。

「まずは、香美町と、香美町の人と関わってもらうことを大事にしたい」

 現在松岡さんは町外や県外の各地で空き家を利用したワークショップに、塗装ワークショップの担当として呼ばれることが増えている。

「ワークショップの中で『どこから来られたんですか』って聞かれて、『香美町、いいとこなんだよ』って自然に話せる。すると向こうも『行ってみたい』ってなる。本質的な移住の業務とは言えないかもしれないけれど、こういうやり取りが大切だと感じていて」

 香美町のことを紹介するときに、「まだ何も始まってないまち」と表現することがあるという。そしてそれこそが、香美町の魅力であると松岡さんは考える。

「行政でも民間でも、ぐいぐいと引っ張っていく人がいない。だからこそ今やりたいと思っていることが、何でもできる。行政は、ぐいぐい引っ張らないけれど、とても理解があって、その関係性がいい」

 何も始まっていないまち。そこで事を起こすのはハードル高く感じるかもしれないけれど、実はやりやすいフィールドでもある。

「僕たちは香美町で新しいものを創り出してくれる人を、中間支援できるようなNPOにもなりたい。40代、僕たちの年代がまちづくりの要になると感じてるので」

 帰郷して20年、今の自分だからこそできる役割がある。地域で長く生きてきた上の世代と、新しくチャレンジしたいと志を持つ若い世代をつなぐ、支援する世代として松岡さんのような「兄貴分」の存在は大きな意義を持つ。

TUKULUがある松岡塗装店の事務所二階。

チャレンジする若者と地域をつなぐために、大切なこと

 学生時代に住んだ「身近な都会」である鳥取には、今でも良く足を運ぶ。鳥取で松岡さんは、一度は寂れた駅前のまちが再始動する様子を、そしてそれを動かしているのが若者と40代の世代であることを目の当たりにする。そのことが、「中間支援する存在に」というTUKULUの柱の一つにつながっている。

 ワークショップを通して町内の中学校、高校に出向いたり、香美町出身の大学生たちと関わったり、「つなぐ」存在としての活動にも勤しむ松岡さん。

「家業を継ぐ場合も、家業を自分の代で新しくもできるし、家業を継がなくても、新しい仕事を始めて、商売を継がなくても地域を継いでもらえたらいい。そして何か始めたい、と思っている人はTUKULUに来てほしい」

 その中でぶれずに大切にしているものは、「様々な活動をしていても、地元の小さな集まりには必ず顔を出す」ということ。

「まちづくりには広い目線も必要だけど、目の前のことを大切にすることの重点は大きい。一番小さい単位を大事にすることが必ずまちづくりにつながる。逆に、自分の目の前にある地区が崩れてしまったら、まちづくりは難しくなってしまう。自分が住んでいるまちに関わるということって普通のようで、実は関わる努力をしないと関われない。そこを意識するようにいつも気をつけています」

 目線は広く、町全体や町外にも足を伸ばしながらも、目の前のことを大切に取り組んでいく。ぶれない姿勢が地に足の着いたまちづくりへとつながっていく。

 

「香美町で挑戦したい人を、中間支援できるような存在になりたい」

何かを始めたいと感じている人は「TUKULUに来てほしい」と語る松岡さん。地域で育ち、自分の地区を大切にすることからぶれずに、まちづくりに向き合ってきたからこそできるサポートがある。あなたの挑戦を支えてくれる兄貴分が、ここにはいる。

地元の人の応援を受け、香住の魚の魅力を発信

地元の人の応援を受け、香住の魚の魅力を発信

香美町の住人が口をそろえて誇る、「海の恵み」。新鮮さとその品質が、食通の間で「トップクラス」ともささやかれる香住の海産物。海を間近に、魚とともに育った男性が、海の恵みと人とをつなげる仕事を選んだ。香住駅近くに位置する「魚や はらとく」は、現在香美町では珍しくなった個人店での海産物卸売問屋。2016年にオープンしたこの店に、店主の原田敦行さんがかける想いとは。

 

新天地に「駅前」を選んだ理由

 シックな色合いにシャープな造り、一見カフェを思わせる建物が香住駅徒歩0分と言える間近な場所に出現した。一歩足を踏み入れると、新鮮な海産物や水産加工品が立ち並ぶ、魚屋さんだった。

「実際、カフェと間違えて入ってこられる方もいらっしゃいます」と、原田さんは笑顔を見せる。

豊富に並べられた海産物コーナーの奥には、イートインスペースもあり、観光や仕事で香美町に来た帰りに立ち寄ったという人、また顔をよく知る地元の人たちも、ホッと一息ついていくことが多いという。

 

「僕自身、生まれも育ちも香住です。高校時代に3か月ほど、魚屋としての勉強をしに行った以外はずっとここで暮らしてきました」

 水産加工を営む家に生まれ、魚と暮らし、魚と営む風景は原田さんにとって見慣れたもの。魚に関わる仕事をすることは原田さん自身の夢でもあったという。高校卒業後は海産物店に20年余り勤め、2016年に独立、「魚や はらとく」をオープンさせた。

 

「夫婦だけでお店を構えるため、資金面は大きな壁でした。そこで香美町役場に相談を持ちかけた所、県の補助金の対象になることを知りました。この建物を建てるときはそれに助けられました」

 外観もさることながら、お店の内部も水槽の位置と店内とに段差がついていることで、清潔感を保てるつくりになっている。

「魚や はらとく」があるのは香住駅前だが、この周辺にはお店がほとんどない。インパクトのある外観のお店を構えることで、「ここをきっかけに、新しいお店が増えていったら」と、駅前を選んだのには、そんな理由もある。

「お客様が電車を降りて最初に見る風景。そして、最後に何か買っていこうかなと考えて下さる場所。駅の中の販売店も、駅前の小売店も次々なくなり、使いにくい駅や駅前になるのがずっと気になっていたんです」

 原田さんの独立には、ただ個人の夢を叶えたいという想いだけでなく、「地元を元気にしたい」という切なる願いがあった。

 

思い立ったら行動! 地元を元気にするために

 香美町をもっと活発に……。原田さんがその想いを持って動いたのは、これが初めてのことではない。2011年に友人とともにフリーペーパーを立ち上げ、2014年まで年4回継続的に発行。原田さんは香美町内の見どころを自ら情報発信すべく、編集作業に打ち込んだ。

「近隣の市のフリーペーパーは町内で見かけるのですが、香美町の情報がのったものがない。じゃあ作ったら、っていうところからスタートしました」

 

住んでいる人たちが身近な地元の魅力に気づき、それを発信するために自ら動く。まちに元気がなくなってしまったからといって、「ダメだ」と言っているだけでは何も始まらない。何かできることはないか考え、思いついたら実行に移す。その行動力がフリーペーパーとして表れた。

 

 

 また香美町には魚食の普及を図ることを目的とした通称「香美町とと条例」が制定されていて、推進活動を行う団体「香美町とと活隊」には原田さんも所属。魚食普及推進ののぼり設置、イベントの企画開催等多彩な活動を行い、海産物関係の多くの業種の方々が手を取り合っている。

 

「活動が周りに知られてくると、料理教室を開いてほしいなど、オファーも増えました。とと活隊に援助したいという人たちも出て来られたり等、周りの人たちのお蔭で活動できています」

 地域を元気にしたいと動く若い力を、地域の人たちは全力で応援する。それは「魚や はらとく」オープンに関しても同じで、「近くに魚屋ができてありがたい」と毎朝買いに来る地域の方々に支えられているという。

「地域の中でなくなってしまったもの、寂しくなってしまったものがまた復活する、そういうところへの応援を強く感じます」

オープンしてうれしかったのは、観光客の方はもちろん、やはり地元の方、近所の方が顔を見せに来てくれたことだった、と原田さんは振り返っている。

 

 

人とともに、海の豊かな資源を発信したい

 生まれも育ちも香美町だったという原田さんだが、新しく地域に入りたいという人は、どうすれば人とつながれるのだろう。

「とと活隊のような有志の団体が各地、各分野にあるので、その団体に所属したら早いですね。とと活隊は会議や交流が多く、活動を通して人の繋がりが広がりますよ」

 そしてまた、外からの新しい風が吹くことも原田さんたちは望んでいるという。

「香美町には、海産物を始め大きな魅力がいっぱいある。でも、それをPRする力は弱いので、どんどん発信してくれるような人が香美町に来てくれたらうれしいですね」

 特に原田さんが関わり続けている海産物に関しては、毎回その豊かさに感動するという。

「高級な松葉ガニが有名なのですが、それ以外のお手軽な海産物も驚くほど品質が高いんです。普段づかいでこれだけの豊かな産物が食べられるという贅沢さ。どこに旅行に行っても食べ物では負けないなと思えるくらい、誇りにしています」

 今後は駅前のイベントスペース等でどんどんその海産物の魅力を発信できたらと語る原田さん。地域を愛し、地元のために一旗揚げた彼の挑戦はまだ始まったばかりだ。

 

「行動することで、地域の人が応援してくれた」

大好きなふるさとを元気にしていくため、人とつながり、人とともに行動を起こす。若い力のエネルギーは、地元の人からの温かい応援を受け、加速度をつける。そこにある素晴らしいものを活かすため、「はじめの一歩」を踏み出そう。

≪追記 魚屋はらとくさん、ランチ始めました≫

取材時にはなかったランチ営業が始まりました。

写真はお刺身定食です。

香住駅前、手軽に食べられる最高品質の海の幸をお楽しみください。

(11月、12月は繁忙期の為ランチ営業休・1月再開)

子どもたちが存在意義を感じられる教育環境を!

子どもたちが存在意義を感じられる教育環境を!

村岡小学校校長 石井先生

 町内の山にある木材をふんだんに使って建てられた通称「木の学校」と呼ばれる、香美町立村岡小学校。木の香り高いランチルームで、一堂に会して食べる学校給食。2017年度の児童数は88人という小規模校で、統廃合の危機と向き合いながら行われるきめ細やかな指導ぶりに、全国から取材や視察が集まる。香美町だから、村岡小学校だからこそできる教育とは何か。学校長の石井一彦先生にお話を伺った。

小規模校だからこそできること

 石井先生は香美町のご出身。進学を機に香美町を離れ、都市部、近隣市町で教鞭をとった後、ふるさと香美町で教育に向き合う日々を送る。都市部の学校と違い、村岡小学校のような小規模校でできる教育にはどのような特徴があるのか。
「都市部の教育環境としては、多くの人たちの中で切磋琢磨しながら成長していけるという良さがあります。対して田舎の学校は、全員が子どもの顔を知っている。子ども一人あたりの教師の数が多いので、個別の課題に合わせたきめ細かい指導ができます」

授業の様子

 教師も児童も顔を知っているふれあいの多い環境の中、教育課題はあるのだろうか。

「もちろん、人間関係が固定化されてしまい、コミュニケーション能力が育ちにくいという課題があります。それを解消するために、『香美町学校間スーパー連携チャレンジプラン』という取り組みをしています。香美町内の学校間を連携させて、多人数での授業を定期的に行っています。回数を重ねるごとに『学校対抗』のような形で競争心が生まれたり、コミュニケーションをとって仲良くなり友達が増えたりと、子どもたちの新たな成長ぶりを感じられますね」  

 この事業で効果を得られるのは子どもたちだけではない。教員たちも、それぞれの学年の様子について話し合い、学び合うことにより、資質が向上する。このような先進的な取り組みを積極的に取り入れるのには、教育に携わる大人たちの、地域を愛する強い想いがある。

「児童数が減っていくと、統廃合という話が出がちですが、地域の子どもは地域で育つということを大切にしたい。そのために私たちができることは、地域の人が『残したい』と言ってくれるような教育を提供していくこと。私たちにとって、とてもやりがいがある状況です」

 

 

 

子どもが地域を愛し、地域で育っていくための取り組みは、主に過疎地域からの視察の対象になっているという。異年齢でもともにスポーツを楽しむなど、幅広く学び合い、成長する子どもたち。そのたくましい成長を支えるものが、香美町にはある。

 

村岡小学校には幼稚園も併設
地域の農産物を使って様々な体験が行われている。この日は幼稚園児たちがエンドウ豆の皮むきに挑戦

 

自発的に、「地区の一員」として育つ子どもたち

「一学年当たりの人数が少ないと、フットワークが軽くなります。近所の面白いもの、珍しい生き物など、気軽に校外学習・体験学習で見に行くことができます」

 生活が便利になるにつれ、子どもたちにとっては危険となってしまう環境も増え、子どもが「体験する」ことに対するハードルが上がってしまった昨今、香美町の学校ではそのハードルをやすやすと飛び越えることのできる規模感がある。そして人とのつながりを強く感じられる環境が子どもを高める。

「自然学校等で町外に出ると、町内の学校の子どもたちがそろって挨拶の良さをほめられるなど、香美町の子どもたちは、基本的な生活態度が良く育っていると感じます」

 そんな香美町の子どもたちと過ごす日々は、石井先生にとって「感動の連続」だという。

「以前の運動会は、小学校の運動会というより地区の運動会としての色が濃かったのですが、子どもの発言を受け、子どもが主役の運動会に変えようと職員会議で話し合いました。『子どもたちが自分たちで作る、子どもたちが拍手をもらえるような運動会を作りたい』と、地域の方に理解をしていただきました。そうしたら、子どもたちが本当に自発的に動くんです。準備や片づけなど、種目以外の大変なところも率先してするようになりました。組体操などの難しい技にも諦めずに自発的に挑戦し続けて、努力の結果、本番でうまくいくと本当に感動していました。もちろん私も感動しました。午後から地区の運動会が始まると、子どもたちが自分の地区の人たちを本気で最後まで応援します。自分たちが地区の一員だという思いがあるのだと、その姿にまた感動して、本当に幸せな気分になります」  石井先生は「地域の一員としての存在意義」こそが、香美町で育つ子どもたちにとっての大きな力になると考える。

そこにいるだけで喜ばれるまち 香美町

 自分が誰かの役に立っている。自分の存在が誰かに喜ばれている。石井先生が考える「香美町ならではの存在意義」とは。

「現在、キャリア教育ということが盛んに言われています。それは、自分が何のために生きているのかということが、自分の中で、すとんと腑に落ちていない若者が多いからだと考えます。いい学校に入っていい会社に入る事が素晴らしいと言われていた図式が崩れてきている中、『自分がどんな人生を歩みたいのか』それがわかる子を育てることがキャリア教育です。その意味で、香美町という環境はとても魅力的です。子どもが、若者が、いるだけで地域の人は喜んでくれるんです。香美町は自分の人生の目標・生き甲斐が分かりやすい町なのです。自分の存在意義が常に感じられる町なのです」

 地域への愛はあっても、就職の段階で就職先が見つからず離れてしまうケースは多い。その中で諦めずに好きな地域で住みたいと言える子どもを育てたいと願う。 「どんなに失敗してもあきらめないたくましい子、反対されても、その反対意見を練りあって新しいものを生み出していく子。それが今の学校教育目標にもつながっています。どの子も居場所があって、認められて、その上で地域が好きという骨太な気持ちがあって、くじけずにここで暮らしていく……地域の元気の源に、村岡小学校はなりたいのです」

 自分がどんな人間で、どんな人生を送りたいのか。その上で地域貢献ができるということが一人一人の人生をより豊かにする。そのことを教育を通して子どもたちに伝えたい。石井先生の想いが「木の学校」で実を結んでいく。

ランチルーム。ここで全学年の生徒たちが給食を共にする

「どの子も居場所があって、認められて、その上で地域が好きな子どもを」

地域の中で一人一人を大切に育てられる子どもたち。だからこそ地域の一員としての自覚を持ち、地域の中での自分の存在意義を見出すようになる。個人的な進歩だけでなく、所属する場所の中で貢献していくことの豊かさを、広く考えられる子どもに育つ。その環境が、香美町にはそろっている。