自分の力を信じて自ら輝く生き方 燻製を通して伝えたい

自分の力を信じて自ら輝く生き方 燻製を通して伝えたい

香美町村岡区、国道9号線沿い「道の駅ハチ北」近くにある燻製工房「香味煙」。代表取締役…ならぬ、「代表戸締役(お名刺より)」の井上利夫さんは、燻製の知識がゼロのところから一代で燻製工房をたちあげました。町外など遠方からもリピーターの多い香味煙。味わいや品質もさることながら、井上さんの人柄や言葉に触れるべく、人々が訪れ続けています。

生活工房 香味煙 外観

すべて失った自分に、怖いものはなかった

村岡区(当時の美方郡村岡町)に次男として生まれ育った井上さん。一度は故郷を離れ、大阪府茨木市で就職しました。ご実家は大規模な養鶏場の経営をしていましたが、外国からの安い卵の参入や飼料の値上がりなどの背景を受け経営が難しくなり、ある日井上さんは「一家離散するしかない」という手紙を受け取ります。一生懸命働く両親の姿を見、尊敬して育った井上さんは「故郷がなくなってしまってはいけない。親孝行がしたい」という思いで帰郷。その後結婚し、家業を立て直すために東奔西走しましたが、事業は傾いてしまいました。「海に飛び込み、保険金で賄うしかない……」極限まで追い込まれた井上さんでしたが、崖の上で佇むうち、マグマのような強い気持ちが湧いてきたのだといいます。
「人は、漠然と生まれて生きているわけではない。僕は事業に失敗したが、そのことで天は僕に何をさせようとしているのだろう。飛び込ませようとしているわけじゃない、なにか僕が生きている意味があるはずだ」
追い込まれた井上さんにとって、最後の力となったのは家族の存在でした。まず自分を支えてくれている家族のために頑張ろう。45歳から井上さんの新しい挑戦が始まりました。

井上利夫さん

自分の光を信じて ゼロからのスタート

「人の席を奪わず、人を押しのけず」という考え方を愛する井上さん。もう一度頑張ろうと決めた井上さんは、人の席を奪わない「但馬地域で他の誰もしていないこと」を仕事にしようと考えました。新しいジャンルの仕事を起こすことで、但馬に新しい文化ができたらという思いもありました。井上さんが目を留めたのは燻製。「ヨーロッパ的で、オシャレで、どこかエキゾチックな要素がある」燻製はまさしく当時の但馬地域にない、新しい文化でした。燻製についての知識は当時全くなかったと語る井上さんですが、一から独学で勉強。味も香りも良く、日本人にも親しみやすい燻製のレシピを自分の力で開発しました。

工房の中は煙の良い香りが漂います

一度追い込まれたあとで立ち上げた事業は、それまでとは心持ちが違いました。
「多くの貯金があっても、人を助けたり人の役に立つために使わなければ意味がない。お金という意味の豊かさはなくても、好きなことに一直線に挑むことに豊かさがある」
香美町のような自然豊かな環境で、自分の旗を掲げて生きること。それには自分の能力を信じることだと井上さんは言います。
「今自分のいる環境は他の誰のせいでもない。でも窮地に追い込まれたときに人は力が出る。惑星のように何かの光を受けて光るのではなく、自分自身が恒星となって輝くこと。光が当たらなくなったら暗くなるのではなく、小さくてもいいから光が出るまで強い思いを持つこと」
内側から光る強い熱い思いを胸に、井上さんは80歳を迎えようという今も挑戦を続けています。

香味煙さん取扱商品の一部。チキンや合鴨などの定番のほか、味噌やたくあん、梅干しなど懐かしくも新しい商品展開も

但馬地域を燻製王国にするのが夢

ゼロから自分で燻製の技術を身に着けた井上さんですが、現在燻製教室の講師も行い、自分のレシピのすべてを多くの人に伝えています。現在井上さんのお弟子さんは全国に70人いらっしゃるのだとか。
「面白いことに、燻製のレシピを100%教えても、作り手によって違うものができてしまう。燻製講座はボランティアのようなものだが、人を育てる、人との関係を作ることが大切だと考えてやっている」
そう語る井上さんの目標は、「但馬地域を燻製王国にすること」その第一歩が息子さんでした。息子さんもまた故郷を離れて暮らしていましたが、帰省の際に楽しそうに燻製をつくる井上さんの姿を見て「親父楽しそうだな。僕も参加させてよ」と、家族とともに帰郷してきたのだそう。5年間香味煙で修行したあと「男はスケールを大きくもたないといけない」という井上さんの考えのもと独立し、現在は燻製レストランを経営しています。

井上さんの人生訓が書かれた紙が、工房のいたるところに

「辛い時もあるが、絶えず喜ぶこと。それを見ていたら自ら『楽しそうだから、自分もやってみたい』と思う人が出てくる」
広い豊かなフィールドに自らの旗を立てて生きることの豊かさや楽しさを知ってほしいと願う井上さん。「せっかく生まれたんだから、自由に生きてほしい」と、お店に来る人やお弟子さん、出会う人達にエールを送っています。

井上さんを支える奥様 とみ子さんと
教育の世界から「隠れ家」へ、地域とつながり続ける場に

教育の世界から「隠れ家」へ、地域とつながり続ける場に

子どもとふるさとが大好きな森脇眞理子さん。教師になる夢を追いかけて香美町を離れ、兵庫県内の各地で教鞭をとったのち、30代で帰郷。その後50代で全く違う業種である飲食の世界へ飛び込み、地域内外の方の居場所でもある「森ちゃんの隠れ家」をオープン。彼女の人生のターニングポイントについてお伺いしました。

森ちゃんの隠れ家 外観

 

教育の仕事から離れ、癒やしの場「森ちゃんの隠れ家」オープン

森脇眞理子さん

村岡区で生まれ育った森脇眞理子さんは、高校を卒業後、夢だった教職につくために京都市の大学に進学。その後、兵庫県内で西宮市、加東市、三木市などで教壇に立ちました。帰郷後、村岡小学校、兎塚小学校、射添小学校に勤務。小代区出身のご主人も同じく教師として各地で活躍し、合併前の旧美方町の教育長を務めていました。

「主人は地域への思いが強く、住民と学校教育の連携を図る地域連携センターを作ったり、ふるさと教育を推し進めたり、学童保育を始めたりと美方町の教育を良くするために熱心に取り組んでいました」

しかし、市町村合併で教育長から離れ、ご自身の思う形で地元の教育に関われなくなったご主人は、「この地域に男の隠れ家、女の喋り場になるような場所をつくりたい」と一念発起。現在の「森ちゃんの隠れ家」に至る構想を練り始めました。自然豊かな香美町だからできる、庭木が豊かで薪ストーブもある、多くの人たちの癒やしの場。ご主人の構想を聞くうち眞理子さんは「今一番、主人が私を必要としている」と感じ、ご自身も教壇を離れる決意をされました。

開放的なテラス席

 

 

男の隠れ家、女の喋り場

落ち着いた雰囲気の樹や緑を身近に感じる内装、長居する人も多いという「森ちゃんの隠れ家」。「長居してくださったほうが、居心地がいいと思っていただけるようで、私たちは嬉しいんです」と眞理子さんは微笑みます。

入り口から左手には広いギャラリーがあり、地域の方の絵や手芸等の作品展やコンサートを開催、フラダンスのクラスも、眞理子さん自身がインストラクターとして行っています。生き生きとフラダンスを生徒に教える眞理子さんを見てご主人は、「根っからの教師やな」と評したのだそう。

寒い季節には薪ストーブが灯ります

 

2007年のオープンから数年後、一度は教育の現場を離れたご主人が再度香美町の教育長に就任することになりました。既に多くのお客様の居場所となっていた「森ちゃんの隠れ家」を守るため眞理子さんと、そして眞理子さんの息子さんのお嫁さんである里佳さんとでお店を切り盛りすることになりました。里佳さんは大阪で生まれ育った美容師さんですが、「田舎が好きだから」と快く移住。「森ちゃんの隠れ家」の隣に同じく美容師さんである眞理子さんの息子さんが美容院「Blum」をオープン。

美容院Blum外観

 

息子さん夫妻の移住のきっかけはお店のことだけでなく、教育長に就任したご主人が大病を患ったこともありました。

 

 

地域に「あってよかった」と思ってもらえる場所に

「一度『森ちゃんの隠れ家』のカウンターに入ったことで、主人はより良い仕事ができるようになったと思います」

地域の方と直接触れ合う機会が増え、香美町の教育に必要なものを再確認したご主人は、地域の灯りである学校をなくさないように『香美町学校間スーパー連携チャレンジプラン』を導入しました。

その他、障害のあるお子さんが地域で生きていくためにと、特別支援学校(兵庫県立出石特別支援学校みかた校)の開校にも尽力。しかし、2015年、開校を目前にして、地域の教育に情熱を燃やし続けたご主人は亡くなり、開校式には眞理子さんが代わりに出席しました。

「主人の話を聞いた特別支援学校の卒業生が親子で『森ちゃんの隠れ家』に来られ、『学校があるおかげで地元で生きていくことができるようになりました』と、感謝の言葉をいただきました。この店にも、香美町の教育にも、主人の仕事は残っていると思います」

ご主人は香美町でお店を開くことについて、「成功はお金儲けじゃない、家族やお店に来てくださるお客様が幸せじゃないと成功じゃない」という価値観を持っていました。

「同じ価値観を持ち、人との関わりや自然との関わりに幸せを感じたり価値観を見いだせる方であれば、香美町で楽しく暮らしていけるのでは」と眞理子さんは言います。

森ちゃんの隠れ家 全て手作りの週替わりランチ

 

眞理子さんやご主人の教え子が訪れたり、地域外からランチ巡りの一環でお客様が来られたり、地元の方のコミュニティスペースになったり、地域と繋がり続ける「森ちゃんの隠れ家」。「この地域にあの場所があって良かったな、と思ってもらえる店であり続けたら嬉しい」と眞理子さんは語っています。

左・次男のお嫁さん、里佳さん 右・オーナーの森脇眞理子さん
海と、魚と、人と、関わり続けること

海と、魚と、人と、関わり続けること

海とともに暮らしてきた人たちが、海のある暮らし、魚のある暮らしをこれからも続けていくために、魚とともに生きてきた日本の食の風景をこれからも続けていくために。

魚食普及の活動が地域に浸透し、各地学校等からのオファーが絶えない「香美町とと活隊」。隊長の濱上栄作さんもまた、海と魚介とともに育ち、香住を離れてから故郷に帰ってきた一人でした。

 

魚がずらりと並ぶまち、香住(浜貞商店)

濱上さんのご実家であり家業の「浜貞商店」道沿いの看板

 

濱上栄作さんは香美町香住区生まれ香住区育ち。現在ご自身が代表を務める魚類加工業「浜貞商店」がご実家でした。香住駅を出れば堤防にずらりとイワシが並ぶ、魚の存在感があり続けるまちのなかで、加工をはじめとした魚のお仕事をしているお家は珍しくありませんでした。

「子どものころの遊びはとにかく海で遊ぶこと。潜るのが得意で牡蠣やサザエを見つけたり」

浜貞商店 加工風景。シーズンの魚介類を惣菜や干物に

 

シーズンにはカニが食卓に並ぶことも日常で、ベニズワイガニの略称「ベニガニ」については、「またベニ?」という言葉が子どもから出るほど。今では考えられないような贅沢な話ですが、それほど魚やカニのある食卓が「当たり前」の風景でした。

進学を機に香住を離れ東京へ、大阪で就職。ふるさとの家族とともに「浜貞商店を閉めるか、続けるか」の決断に迷い考えた結果、奥様とともに香住にUターン。魚類加工職人としての新しい一歩を踏み出しました。

特注の網で手焼きに。昔ながらの変わらない美味しさと技術が光ります

 

魚食普及活動「香美町とと活隊」活動の喜び

 

濱上さんの子ども時代と、Uターンされてからの香住区はどのように変わったのでしょうか。

「漁師の数や漁船の隻数自体は減ってはいますが、平均年齢はそれほど上がっていないなというのが実感です。若い子が自分の船を持って漁に出る姿も見られます」

それでも、日本の食卓の風景はずいぶん変わりました。食卓のメインが魚でなく肉中心になり、データ(水産庁平成24年度水産白書)によると魚食の落ち込み率が最も高いのが30代から40代。「このままでは親から子へ連鎖してしまう」という危機感を感じたといいます。

平成26年4月に、『香美町魚食の普及の促進に関する条例(通称:香美町とと条例)』が制定され、毎月20日を「魚(とと)の日」と定めました。この条例の制定に伴い魚食普及を推進するための活動を行うボランティア団体として生まれたのが、「香美町とと活隊」です。

活動内容は小中学校向けの料理教室や子育て支援の場でのイベントの開催、お祭り等で出店し行うPR活動など多岐にわたります。

香美町とと活隊 活動の様子(とと活隊Facebookページより)

とと活隊の活動開始当初は、毎月20日に何を行うか悩む日々でしたが、現在は活動が住民に広く知られ、月に何本もイベントや料理教室の依頼が来るのだそう。海洋科学科のある香住高校とは常に連携を取り、水産物に興味のある高校生たちの学びの場になるとともに、海とともに生きる大人と高校生たちとの大切な交流の場にもなっています。

とと活隊の活動に喜びを感じるのは、生の反応が帰ってきた時。

「料理教室で教えたハタハタのレシピを早速その日の夕方家族に振る舞ったという話を聞いたときなど、手応えを感じて大きな喜びがありました」

魚に触れることから、食卓が少しずつ変わっていく。その実感がとと活隊の方の元気の源になっています。

香美町とと活隊 活動の様子(とと活隊Facebookページより)

 

 

魚とともにある暮らし 地域に居場所のある暮らし

 

とと活隊の活動を通して濱上さんたちが達成したいこともまた、多岐にわたります。

まずひとつは、魚が支えてきた、日本伝統の食生活の姿に戻っていくこと。そして魚食が普及することで「香住に帰ってくる、移住してくる若い人たちの仕事を作っていきたい」という想い。香住ならではの魅力的な海の恵みを少しでも多くの人に知ってもらうことを大切に考えています。

また、とと活隊の活動を通して地域の子どもたちと触れ合うことにも重要な要素があるといいます。

「せり体験なども行いますが、漁師さんたちもとても協力的です。子どもたちに気前よく魚やカニを持って帰らせたり。それは、地元の子どもたちが可愛くて仕方ないという気持ち、仕事場に子どもたちが来てくれるのがうれしいという気持ちもあるのではないかと思います」

地域にある仕事に子どもたちが触れる機会。そして、まちの中に顔を知る、話せる大人がたくさんいるということ。濱上さん自身、青少年健全育成のための補導活動もされていますが、

「関わり続けることが大切だと感じています。道端で話ができるおじさんたちがいることで、地域にその子の居場所ができる。継続した関わりがあれば、一度故郷を出ても、その事によって見えるものが変わってきて、この空気の中に帰ってくるのではないかと思っています」

特別なことではなく、地域の中で育まれる子どもたち。当たり前に魚がある、当たり前の風景を続けていきたいと願うように、いつも地域にある子どもたちの居場所づくりも、濱上さんにとって一つの使命となっています。

Information

濱上栄作さん

浜貞商店(水産加工業)

兵庫県美方郡香美町香住区香住1806-4

 

香美町とと活隊の最新の活動情報はこちらから

Facebookページ

https://www.facebook.com/totokatsutai/

 

 

 

想いをカタチにする仕事を小代でもっと心地よく

想いをカタチにする仕事を小代でもっと心地よく

小代の美しい風景や素敵なスポットを一冊にぎゅっとまとめたパンフレット「恋するおじろ旅」。小代の魅力を「小代愛」全開で表現したこのパンフレットを始め、小代地区内、はたまた香美町内外のあらゆる業種についてチラシ、パンフレット、ウェブなど多彩な方法で「伝える」ことのお手伝いをするデザイン事務所が小代地区にあります。古民家を改装した「デザイン紡」にて、クライアントの想いの聞き取りから企画、制作とトータルでものづくりを行う中村美和子さんにお話を伺いました。

 

小代地区にゆるやかに生まれた「デザイン紡」

中村さんは大阪府生まれ。小学生から高校時代までは和田山町(現兵庫県朝来市)で過ごしました。幼少期を都会で過ごしていたからか、緑豊かな環境に馴染みにくかったという子ども時代でしたが、結婚・子育てを機にご主人の実家のある小代区に。和田山町以上に大自然を身近に感じる環境で、はじめは「ここに住めるかな」と不安が大きかったといいます。

(ご自宅兼事務所のある古民家)

大学卒業後は豊岡市にて、地域の情報誌を作るデザイン会社に所属。営業に向かい自らカメラを構える日々に、「想いを伝える」ことの楽しさを知りました。またチラシやパンフレットという媒体で「誰かの想いを形にする」ことにやりがいと喜びを感じていました。

「何もないところから企画を作り上げていくのが好きで、何をしていても楽しい仕事でした。でも、小代に来たらこんな仕事はできないのかなと考えていました」

小代区の自宅で子育てに励みながらも、知人の依頼などで個人的に制作の仕事をこなしていく中、地域のネットワークから中村さんの仕事ぶりが話題に。やがて多くの案件を抱えるようになり、末の子どもさんが幼稚園のときに「デザイン紡」の屋号を名乗るようになりました。

「『よし、やるぞ!』という気概があったわけではなく、ゆるく流れに任せていたら今の形になったという印象です」

心地よい風に吹かれるように、軽やかに好きな仕事をする、そのために環境を整える……、中村さんの想いの旗は、とてもゆるやかに小代の地に根付いたものでした。

 

好きな「ものづくり」の仕事と、日々の生活が溶け込んだ暮らし

自宅で働くことは、中村さんにとってメリットの大きいものでした。

「家にいることができるので、子どもたちにも安心はあったのかも。制作の仕事は夜が遅くなることがあるけれど、自宅なら一度切り上げてご飯を作ることもできる。仕事と家庭の区切りをあまりつけずに曖昧にしながらも、夕食から寝るまでの時間は子どもたちとたっぷり一緒に過ごすことができました」

また母親として小代の子育て環境についても中村さんは太鼓判を押します。

「みんなここで子育てしたらいいのに、と思うくらい。保護者だけじゃなく、地域に子どもたちを知る大人がたくさんいるからか、子どもたちが素直に真っ直ぐに育っているように感じます。競争心が育たないのでは?という心配もありましたが、目指すものがあれば大学にも行けるし、競争心より大きなものを育んでくれたんじゃないかな」

小代区に住む方に見られる「小代愛」は子どもたちの中にも確実に育ち、進学等で離れても「やっぱり小代が好き」と、故郷を肯定して育つのが小代の子どもたちなのだそう。当初住むことに不安のあった小代でしたが、

「思わず撮影したくなるような美しい風景がいっぱい。人も本当に親切なので、たくさんの方が移住してくれたら嬉しいです。『地方には働くところがない』というイメージがあるかもしれませんが、そこでできることを探して仕事を作るくらいの感覚をもってもいいのかも。私も実際やってみて、『意外と一人でできるんだ』と感じました」

と、今では同じようにこのフィールドで何かを始める仲間を待っています。

 

小代の地でもっと想いをカタチにしたい

「小代では一人とつながったら、地域のネットワークで一気につながりますよ」

仕事が人のつながりであっという間に広がったことをこう振り返る中村さん。

(作品は地域に根ざしたものから遠方のもの、業種も多岐にわたる)

 

「色々させていただいていますが、でも、まだまだだなと感じてます。小代を盛り上げている人のお手伝いをもっとしたいし、それだけでなく様々な地区の様々な業種の方と制作の仕事を通じて関わっていきたいと思っています。新しいことを始める人のエネルギーに触れるとき、話を聞いているときが一番ワクワクするので、想いのある方とどんどんつながりたいと思っています」

また、事務所のある古民家をフォトスタジオにしたい、せっかくある広いスペースを有効活用したいと、現在している仕事以外にも夢がどんどん広がっていく中村さん。写真撮影、チラシやパンフレットの制作、ウェブづくりなど想いを伝えることをオールマイティにこなす中村さんは、小代というフィールドでますます楽しみを広げていきます。

 

どの季節にもある、香住の魅力に触れられる場所に

どの季節にもある、香住の魅力に触れられる場所に

 

香住浜海水浴場近くにある、アメリカのポートランドのような空間、「KAN=ICHI」。お土産にも最適なライフスタイルショップと、新鮮な香美町の味覚を味わえるレストランスペースは、いつも観光のお客さまで賑わっています。「KAN=ICHI」を立ち上げた香住出身の松下弘行さんに、海と暮らす香住の魅力をお伺いしました。

観光の仕事を手伝ってきた子ども時代を経て

松下さんのお祖父さんの代までは、家業は農業中心でした。時代の流れと共に観光業にシフト、お父様が海の家と民宿を開設。松下さんは、海と共に観光の仕事に励むご両親の姿を間近に見て育ち、子どものころからお仕事のお手伝いをしてきたと言います。
「お友達は休みの日にいろんなところに行っているのに、私だけは海の家のボート番。他の子のように遊べないというコンプレックスは常にありました」

(KAN=ICHI ライフスタイルショップ)

高校卒業後、外の世界を見てみたいと、松下さんは旅に出ました。沖縄で3か月間、アルバイトをしながら暮らしたり、高校時代から好きだった波乗りの仲間たちと四国や九州を旅行したり。旅の経験を経て、松下さんは一つの気付きを得ました。
「様々なお店に行き、それまでになかった発想が出てきました。お店という箱があればいいのではなく、デザインが本当に大切だと知りました」
(さだ助 外観)
先代から受け継いだ旅館「さだ助」の建て替えを、30歳の時におこないました。昔ながらの、ふすま一枚で仕切られていた客室や、フロントのない会計スタイルから、プライバシーが保護されるよう客室をトイレ付にし、従業員もおそろいの作務衣を着せるなど、当時の香住の観光としては最先端の試みでした。
(さだ助 フロント)
(さだ助 大浴場)

「KAN=ICHI」で新たな挑戦を広げる

旅館の経営だけでなく、レストラン・ライフスタイルショップをオープンしたのは、より多くの人に気軽に香住に来てもらうためでした。「それまでは日帰りで、香住の美味しいものを食べられる場所が少なかった。お客さまが来られた時に、案内できるような場所になれば」。お客さまに新鮮な海の幸を提供するため、店主の松下さん自ら早朝競りに出ます。それらをすべて「KAN=ICHI」にてお刺身や干物、魚料理として、安心安全に加工しています。「新鮮な『ほんまもん』の海の幸だからこそ、ストレートに、豪快にシンプルに召し上がっていただきたいです。島国日本人として魚介の美味しさを知り、もっと親しんでいただけたら」と、香住の魅力を伝えることに、松下さんは熱意を見せます。
(干物の加工場にて 松下弘行さん)

香住と言えば、カニというイメージが強く、4月からは観光客が減ってしまいます。でも実は、4月以降も香住には様々な自然の恵み、味覚があります。4月からはのどぐろ、6月からは活イカ、夏の岩ガキも絶品で、岩ガキ漁の様子は「KAN=ICHI」からも見ることができます。「冬だけでない、春から秋の香住の魅力を多くの人にぜひ知ってもらいたい」という思いで、様々な発想を形にしている松下さん。
缶詰作り、干物作りの体験や、地引網を引く体験は、観光客だけでなく、地元の小学校や商工会等の団体にも利用してもらえたらと考えています。また、2018年初夏からは自然環境の中でホテルのような快適なサービスが受けられる、新しいキャンプスタイルとして注目されている「グランピング」も開始予定。より多くの人に香住に訪れてもらうために日々アイディアを形にしていきます。
「同じようなお店をするなら、都会の方が経営的には楽ですが、そうしたら香住に来てもらえなくなる。ここが、香住に来る目的の一つになってもらえたらうれしい」
近隣市外からも気軽に来てもらえるスペースになればという思いが「KAN=ICHI」に込められています。
(朝とれ魚魚魚(ギョギョギョ)ランチ。新鮮な魚介のお造りがメイン)
(旬の魚介の干物をメインにしたランチも女性に人気)

香住の一番の「課題」に向き合うために

「KAN=ICHI」と「さだ助」両方の経営に携わり、日々大忙しの松下さんですが、それだけではなく代々受け継いできた農業にも携わっています。「日本人の丹精込めてものづくりをするという気持ちの基本にあるものは、やはり農業だと思っています。心の中にあるものづくりの気持ちを大切にするために、農業は続けていきたい」。自家製のお米は都度都度精米され「KAN=ICHI」や「さだ助」で提供され、お客さまにも好評です。
松下さんが香住に人を呼ぶために頑張る、その原動力は何でしょうか。
「海は見ているだけで心が穏やかになり、日々表情が違うという魅力があります。灯台から見える漁火など、魅力的な風景も、美味しい食べ物もたくさんあります。従業員にはよく、自分のゲストを招くつもりでお客様と接してほしいと伝えていますし、そのために研修や地元の魅力を知る機会も設けています」


その一方で課題に感じていることは、人手不足。「特に25歳くらいまでの女性は少なく感じています。求人を出してもあまり来られないので、若い方が香美町に増えて、観光を盛り上げてくれたらと願っています」。香美町にある若い力を、人を呼ぶ力に変えていけるためできることを探る松下さん。ほんまもんの魅力を知り、外に伝えていける力を求めています。

KAN-ICHI

〒669-6546
兵庫県美方郡香美町香住区七日市308
TEL.0796-39-1147
FAX.0796-39-1047
E-mail kanichi@dolphin.ocn.ne.jp

営業時間
レストラン
ランチ 11:00~14:30
ディナー 17:30~21:00 ※要予約
ライフスタイルショップ
9:00~17:00

子ども本来の能力を引き出す活動「森のようちえん」

子ども本来の能力を引き出す活動「森のようちえん」

全国にも誇れる豊かな自然のある香美町。「自然の多い環境で子育てをしたい」「子どもに自然と触れ合わせてあげたい」と思っていても、どのように子どもと自然との接点を持てばいいのかというのは悩みどころです。

香美町小代区にある尼崎市立美方高原自然の家「とちのき村」では、子どもと親とがともに豊かな自然を楽しむイベント「みかたの森のようちえん」が行われています。2011年4月に開園、3歳児から就学前の親子を対象に、自然の中で季節に応じた多彩な活動を行ってきました。

写真は2018年3月に行われた「みかたの森のようちえん」雪遊びプログラムの様子です。


受付を済ませた子どもたちは、道具を手に屋根のある炊事場へ。はじめの会では、指導者からの、森の様子や森で暮らす生き物にまつわる絵本の読み聞かせもあります。


午前中は、親子で雪遊び。親子でそり遊びをしたり雪だるまをつくったり。また、子どもたちがめいめいに自分の創造性を発揮して作品づくりや、そり遊びなどを楽しむ横で、大人の雪遊び「雪のテーブル」作りが始まるという場面も。

雪のテーブルを囲んで、お昼ご飯を食べた後は、


大人と子どもが分かれて活動をします。大人同士でのコミュニケーションの時間でもあり、子どもにとっては自分たちの力だけで冒険を楽しむ時間でもあります。


つららを発見し、自分の手で取ってみたり…


温かい飲み物を飲んで、絵本の読み聞かせを楽しんだり、


沢まで下りて、またそこから自分の力で這い上がってきたり、子どもたち自身の可能性を広げる挑戦が、自然の中にはたくさんあります。


冒険の後は、暖かい焚火に当たりながら、マシュマロをあぶって食べるというおやつタイム。一日たっぷり遊び、おわりの会を行って解散しました。

普段の子育ての現場ではなかなか経験できない、チャレンジフルなプログラム。森のようちえんで子どもたち、そして関わる大人たちはどんな学びを得ているのでしょう。美方高原自然の家の田中誉人所長にお話を伺いました。

香美町小代区で生まれ、ご自身も山の中を走り回って育ったという田中所長。ネイチャーゲーム、ツリーイングなど、様々な体験型環境教育事業を行う傍ら、野外での指導技術、リスクマネジメント等「森のようちえん」に関わる指導者養成にも尽力されています。

「3-4才のうちから自然の中で遊ぶことで、自分の体を認識し、空間を認識する力が育ちます。親から離れ、子どもたちだけで森の中に入った時、子ども本来が持つ人間としての力が発揮されるのです」
年長の子どもが年少の子どもの手をひいて斜面を登る。自然の中の困難な状況に、力を合わせて自分たちの力で挑もうとする。身近にある自然や季節との付き合い方を肌で感じて学ぶ。室内中心の環境では学びきれない、自立や共生を促す土台となる学びが、確実に培われていきます。


また、基本的な体作りには、山の斜面での活動が大きく寄与します。
「建物や道路などは基本的に平面で、足の前面の筋肉が育ちにくい環境です。初めて森のようちえんの活動に参加する子どもたちは、山の斜面を登るのに大変苦労します。ですが、経験を重ねることで、斜面を満面の笑みで、全速力で駆け下りてくるようになります。様々なスポーツの技術は後からでも身に着けられますが、3-4歳のうちにその元となる素養を身に着けることで、基礎に裏打ちされた運動能力を育てることもできます」


みかたの森のようちえんのプログラムでは、子どもたちが自分の手足を使って斜面を登ったり、バランスを取って穴の中を覗いたり、火を使ったりと多くのチャレンジがあります。安全面はどのように考えられているのでしょうか。

「大切なのは『見守ること』です。見守れば、子どもの限界が見えてきます。子どもたちはトライをしながら自信をつけていきますが、度を超すと危険になるので、見極めがとても重要です。例えば蜂の巣がある場合、あらかじめ取り除くのではなく、『あそこに蜂の巣があるね、どうしたらいいかな』と、子どもと共に考える機会を作ります。そのため運営者側には、何が起きうるかという想定とシミュレーションを前もって行っておき、危険なものを見抜く力、場を守る力が重要になります。」
チャレンジをしながら小さなけがをすること、服が汚れてしまうこと等についても、保護者と指導者という大人同士の共通理解が重要です。枠を広げながら、小さな痛みを感じることで、子ども自身の危険への認識も高まります。非日常の空間の中で、今までできなかった新たな挑戦に触れる子どもたちに、保護者からも「この子にこんな力があったんだ」と嬉しい発見の声が聞かれるそうです。


2018年度からは、活動頻度を月2回に増やし、拠点を都市部からのアクセスのがよい小代区の中心部に移転。「みかたの森のようちえん」は、宿泊施設の裏山を拠点とした、宿泊型のイベントとして新しいスタートを切ります。より参加しやすく、子どもたちの生活リズムに合わせた活動になりますので、ご興味のある方は下記までお問い合わせください。

とちのき村
〒667-1532
兵庫県美方郡香美町小代区新屋1432-35
公益財団法人日本アウトワード・バウンド協会
尼崎市立美方高原自然の家
電話:0796-97-3600
http://www.obs-mikata.org/

白熱!『ハチ北スキーフェスティバル』感謝の想い

白熱!『ハチ北スキーフェスティバル』感謝の想い

2018年3月3日~4日、香美町村岡区大笹の「ハチ北高原スキー場」にて「ハチ北スキーフェスティバル」が開催されました。4日に開催された「雪玉積選手権大会」は、今年で開催12年目を迎え、昨年のリベンジを果たしに県内外から来たリピーターや、周辺宿泊客を中心に大盛況でした。

(ハチ北高原スキー場の様子)

雪玉積選手権は、雪合戦で作るようなソフトボール大の雪玉を、制限時間内(5分)にどんどん積み上げ、高さを競うというシンプルなルールで行われます。簡単に聞こえるかもしれませんが、実に奥が深く、高く積み上げるには技術や作戦が必要です。

それぞれのチームの自己PRを紹介後、決められた板の位置につき、開始の合図とともに雪玉積みが始まります。

高く積み上げるには、土台をきっちりと作ることが大切ですが、土台に時間をかけすぎると、高さにかける時間がなくなってしまうので、上手に時間の分配をするのがそれぞれの腕の見せ所。また、制限時間内であれば崩れても何度も積みなおすことができます。


限られた時間の中で周りのチームより少しでも高く積むための真剣勝負が繰り広げられます。後半戦になり残り時間が少なくなると、

一つでも二つでもたくさんの雪玉を積み上げたいところ。また、積みあがった雪玉が崩れないように細心の注意を払います。どのチームが勝つのか、最後の最後まで判断が付きません。制限時間終了後は、ハチ北高原スキー場のPR等を行うご当地アイドル「ハチ北Girls」
による計測タイムです。

中には、計測直前に雪玉が崩れてしまった惜しいチームもあり、またハチ北Girlsの計測結果が発表されるたびに、参加者は一喜一憂。僅差で勝利できなかったチームからは「悔しい~!!」の叫び声も聞かれました。
1位から3位までに入れば、香美町の特産品が贈呈されます。地元の棚田米「とろかわの恋」、但馬牛肉、松葉ガニなど味も品質も間違いない商品獲得を目指し、大変白熱した雪玉積選手権でした。

大人から子供まで楽しく参加できる、この雪玉積選手権を企画・運営するのは地元若手有志による「ハチ北スキーフェスティバル実行委員会」の方々。20代から40代の15名のメンバーが「少しでも地元をよくしたい」という思いで取り組んでいます。

実行委員会の方が思う、村岡区・ハチ北の魅力ってどんなところでしょうか。ハチ北スキーフェスティバル実行委員会会長の西山正美さんにお話を伺いました。
「スキー場もあり、たくさん遊べる場所だということです。子どものころから、学校から帰ってきたらよく滑りに行ってました。10代で一度都会に出る仲間も多いのですが、ほとんどが帰郷しています。やっぱり、ハチ北が好きという思いがあるからではないかな」
地域の人が仲良く話し合える関係があり、スキーフェスティバルの企画も全員で話し合いながら決めます。メンバーの中から「こんなのやってみたい!」とアイディアが出てきたら、それもみんなで積極的に検討。市町村合併により香美町となった2005年からは、商品に香住のカニを提供するなど、他の地域ともつながりながら企画を練っています。

このような楽しい企画をするのにはもちろん、地元をよくしたい、そして地元のPRをしたいという思いもありますが、それより強い思いがあります。
「ハチ北に泊まりに来て下さっているお客さま、今まで何度もハチ北に来て下さってるお客さまに、来てくれてありがとう、という気持ちを込めてみんなが楽しめる企画を行っています」
また、春や夏には「アクティブクラブ」として、このフィールドで楽しめるアクティビティを企画するなど、シーズンオフにも多くの人にハチ北を楽しんでもらえるよう、創意工夫も重ねています。

雪玉積選手権で惜しくも敗れてしまったチームや希望者の雪玉は集められ、ハチ北高原スキー場に大きな「白い巨塔」が作られます。これも毎年、昨年度より高いものを目指して作られ、全員で一つのものをつくる達成感や、「また、ハチ北に来たい」という気持ちを高めるものにもなります。感謝の気持ちを込め、地元の人も、外から来てくれた人ももっとハチ北を好きになれるように、実行委員の方たちは結束を固めて力を尽くします。

ハチ北高原スキー場(ハチ北観光協会)
所在地:〒667-1344 兵庫県美方郡香美町村岡区大笹
電話:0796-96-0732
http://www.hachikita.jp/

香美の子育てをもっと楽しむ子育てサークル

香美の子育てをもっと楽しむ子育てサークル

香美町への移住を考えている若年層の方にとって、気になるのが子育て環境。

こちらの「育てる」のページで香美町での子育て全般についてご紹介し、また小学生の学習環境については、村岡小学校の校長先生のインタビューでも取り上げました。

今回は、主に就学・就園前のお子さんたちと保護者の方々が利用するスペース「子育て・子育ち支援センター」の活動をご紹介します。

「子育て・子育ち支援センター」とは

香美町の子育て・子育ち支援センターは、香住区、村岡区、小代区にそれぞれ1つずつあります。保護者やお子さん同士がともに交流し、子育てについて考えるための施設で、地域で安心して子育てできるよう、子育て講座や子育て相談、子育てサークルの育成支援を行っています。

高井子育て・子育ち支援センター外観

この日は、村岡区耀山にある「高井子育て・子育ち支援センター」での子育てサークル「ラッコの会」の活動日でした。

高井子育て・子育ち支援センターを拠点とした子育てサークルは3つあります。季節のおやつや手作り料理を作る「スイーツの会」、ヨガで健康づくりをする「キララの会」、お母さんと子どもの健康や安全について学ぶ「ラッコの会」です。

その他サークル活動のない日でも、平日の9時から17時は遊戯室、園庭、情報コーナー、絵本コーナーを開放しているので、親子で自由に利用ができます。香住区・村岡区・小代区すべての子育て・子育ち支援センターが合同で、大人数での遠足やイベントを楽しむ機会もあります。

広々とした遊戯室では多彩な活動ができます

出産前の女性でもサークル活動等に参加可能で、出産前から同年代の友人とつながることで出産後も安心して子育てすることができます。

子育てに役立つ情報を学ぶ「ラッコの会」の活動

子育てサークル「ラッコの会」は、親子の体調管理や避難訓練など、子どもの安全や健康に関する学習会を中心に月に一回活動。この日は、豊岡カイロプラクティック整体院 十風堂から整体師の義本学さんをお招きしての骨盤体操教室が行われていました。

豊岡カイロプラクティック整体院 十風堂 整体師 義本学さん

「子育て中のお母さん方は、どうしても自分のことが後回しになりがち。出産後、骨盤のケアができないまま、家事や育児で体に無理をかけてしまうことが多いので、自分の体を振り返る時間にしてもらえたら。」香美町の育児サークルに出張するようになって3年目だそうです。

講座の中では実際に体を動かして変化を感じたり、忙しい毎日の中でも実践できる骨盤ケアや、体の話を聴いたり、普段の生活でなかなか使わない体の部分を使ったりすることで、お母さん方がそれぞれ自分の体の状態に向き合います。

終始リラックスした和やかなムードの中で、笑顔がこぼれる場面もいくつもありました。

傍らで、慣れた環境の中リラックスして遊ぶ子どもたち。最後は義本さんから一人一人の体の状態を見てもらい、ゆったりした時間を楽しみました。

 

 

香美町での子育てを楽しむ参加者の方たち

参加していたお母さん方は、香美町で生まれ育った方も、結婚等を機に香美町に移住してきた方もいます。子育て中に同年代で気軽に話し合える場として子育て・子育ち支援センターを積極的に利用しています。サークルの活動日でない日も誘い合って利用することがあります。

ラッコの会代表の 西谷南美さん、家前祐子さん

子育て・子育ち支援センター以外では、各地にある公園や「木の殿堂」等のスポットに遊びに出かけることも。子育て中の親子が出かけるのにオススメのスポットをまとめた「子育てマップ」の掲示もありました。

海も山も、冬季は雪山も近くにあるので、アウトドアレジャーが気軽に楽しめ、町内でもイベントが活発に行われているので、休日も近場で楽しく過ごすことができます。

町外から来られたお母さん方は口をそろえて、「香美町の人は優しい」と言います。

「近所を歩いていたらおばあちゃんたちが声をかけてくれます。自分だけでなく、地域の皆さんで子どもを見守ってもらっている感じがして心強いです」

「同居している夫の両親が田んぼ・畑をしていて、そこの傍らで子どもが遊ぶんですけど、それだけで喜んでくれます。畑でトンボを捕まえて、それを図書館で借りた図鑑で調べてトンボについて詳しくなるなど、子どもの興味を広げられる環境です」

「一番いいのは水が美味しいこと。都会に住んでいた時は、浄水器がないと何も食べられなくて、肌荒れもしていました。時々都会に遊びに行きますが、あまり恋しいとは思わなくなりました」

などなど、自然豊かな香美町での子育てや毎日の暮らしに、満足している様子。ですが、

「同年代の子どもたちが、もっとたくさんいてくれたらうれしいなって思います。子連れで移住してくる人大募集、同級生大募集です!」

ということで、子育てを通して交流できる仲間が増えることを願っています。


香美町 子育て・子育ち支援センター

  • 香住子育て・子育ち支援センター

香住区森31-1香住地域福祉センター内 0796-39-1507

  • 高井子育て・子育ち支援センター

村岡区耀山7-2 0796-94-0402

  • 小代子育て・子育ち支援センター

小代区忠宮287小代高齢者生活支援センター「いこいの里」内 0796-97-3377


 

香美町PR動画を公開しています!

日本海から山間部までの多様な環境を持つ香美町の魅力を感じていただける動画を公開しています。
雄大な自然とそこに暮らす人々の日常や、香美町でチャレンジする人たちの思いをつづったストーリーとなっています。
 

ぜひ一度動画をご覧いただき、香美町に住む人や自然の魅力を感じてください。

 

素朴だけれど豊かに生きる子どもたち、ひたむきに働く大人、チャレンジする移住者。

それぞれの暮らしの中でチャレンジを楽しみ、自分だけの旗を立てる人を香美町は応援しています。