運命的な出会いで見つけた小代区茅野の古民家。 面白いことを求めて結集したチームワークで事業拡大中!

運命的な出会いで見つけた小代区茅野の古民家。 面白いことを求めて結集したチームワークで事業拡大中!

小代区茅野(かやの)。ハチ北の山が近くに感じるこの土地で、薪・ペレットストーブの販売、施工、サウナプロデュース、森林伐採などもしている会社『株式会社ヨキ』を経営する椎葉洋元しいば ひろゆきさんと、ここでゲストハウス『カヤノヒュッテ』を担当する筒井裕子つついゆうこさんのお話を伺ってきました。

蔵をサウナに改修した『ヨキサウナ』

 

「Twitter でたまたま見たのがはじまりです。この物件の家主さんの息子さんの、『誰かいい人に買ってもらいたいなぁ』というつぶやきを見て、ちょっと面白そうだなと思ってすぐに二人で見に行きました。それまで小代のことは全く知らなかったです。

見に行ってすぐに、ここでなら商売できるなぁって思いました。そんなにリフォームしなくてもいいし、すぐ事業できそうやねって話しました。僕も事業所を法人にしたいなって思ってたから、場所を探していたし、部屋もたくさんあるし、家も大きいから、こっちはゆうさんがやってこっちは僕やるわっていう感じで、大雑把に決まりました。」

そこからお二人の熱意が家主さんに届き、古民家を購入され、事業がスタートしました。現在ビジネスパートナーとして一緒に活動されている椎葉さんと筒井さん。お二人ともいわゆる移住組。椎葉さんは現在豊岡市竹野でご家族と暮らし、筒井さんは豊岡市気比でゲストハウスを営んでおられます。

ゲストハウス『カヤノヒュッテ』には大きな薪ストーブがあります

 

 

 

Q.そもそもお二人が但馬に来たきっかけと但馬に来てからここまでの経緯は?

(椎葉)「僕は8年前。子供が生まれて子育てがきっかけで、今の上の子が0歳の時に来ました。3.11 の原発事故が大きな転機になりました。原子力発電の溶接の仕事をしていたので、事故が起きたことがきっかけで、思い切って田舎で子育てするのも楽しいんちゃうかなーっと思って、移住しました。仕事に関しては来た時にざっくりと、でもある程度計画的に考えてました。今までは、建築系のゼネコンの仕事がメインだったから、1 番実績を活用できるのが、建築系やなと思い、建築系の仕事を探し、最初は豊岡市の建築住宅課の職員をしました。

仕事をしながら、古民家を買って自分達でリフォームしていこうと思ったんです。技術と道具を少しづつ揃えていって3年ほど時間をかけて完成させていきました。そこから工務店、薪ストーブ販売店などの仕事を経て、茅野の古民家購入とともに株式会社ヨキを立ち上げました。」

 

(筒井)「私は元々大阪と岐阜でゲストハウスを運営していて、岐阜でゲストハウスをしていた時に、城崎の旅館の女将せーへん?って、言われてこっちに来たのが移住の1 番最初。そして移住してすぐに小学生の息子と暮らす気比の家を購入。そこに薪ストーブをつける時に初めて椎葉さんと出会いました。大阪にも家はあるから、こっちは別荘使いにしてもいいしとか、いつかゲストハウスにもできるかなって思って。その後コロナ禍になり、旅館の女将を辞めたタイミングで大阪に帰ってもよかったんだけど、息子がその頃には田舎暮らしを気に入っていて、なら残ろうかなと思って。

そこから家を1 年くらいかけてDIYし、ゲストハウスをオープンさせました。その頃から椎葉さんとは物件友達で。私、物件見るのがすごく好きで、いろんな物件や岡山の方の田舎の山や、森林の調査や色んなところに行ってました。山も含めて、方向性とかやりたいことが似ていて、小学校の友達みたいにめっちゃ話すようになって、仲良しになって、お互い強い分野は違うけど、それぞれの得意分野がうまくマッチして、それが交りあった時に何か事業ができるなっていったんです。茅野の家はそのタイミングで見に行き、事業所拠点にできるなぁっとなり、私はここで一棟貸しのゲストハウスできる!と思って、それでもうゴーでした。物件を見てから事業はスタートしたけど、段々と地盤は固まっていってたんだろうね。」

 

ここまでの色んな時間があって、たまたまいいタイミングで物件と出会い、それがたまたま小代で、お二人の思いややりたいことが小代で結集できた。という感じなのですね。

 

Q.株式会社ヨキの中にはどんな部門があるんですか?

(椎葉)「ヨキの中にサウナがあり、ゲストハウスのカヤノヒュッテがあり、森林伐採もある。主軸は薪ストーブの販売。」

薪ストーブの販売・設置 お客さまが購入された薪ストーブの初めての火入れ、着火式

 

 

 

Q.森林伐採はどんなことをされているんですか?

(椎葉)「家主はいるけど、手付かずになっている山林が多くなっている。上手い活用方法がなく、どうしたらいいのかわからない山がなんぼでもある。でも都心だと山林が欲しいって言う人もあるので、そう言う人を繋いだり、道もなくなってたりするので、道をつけたり。山をリフォームして、使い道を広げたい。僕らは薪を作るって言う大前提があるから、道が近かったら入っていける。」

(筒井)「森林を伐採というと、知識がないと悪いイメージで聞こえるかもしれないけど、すごい大事なこと。手が入ってない山は、暗くなって、食べ物も無くなり、熊とか獣とかもどんどん里に出てきちゃうし、あと根がちゃんと張れず木が細くなっちゃって、間伐されてないと、細い高い木が増えて下の方が生えなくなっちゃう。本当は間伐するっていうことはすごく大事なことなんだっていうのは、椎葉さんから聞いて、なるほどと思った。」

(椎葉)「小代や村岡は木の種類も面白いから、森林セラピーみたいなのもしてみた い。」

Q.サウナ部門についても教えてください。

(椎葉)「ここは薪ストーブのショールーム兼宿っていう設定で、薪ストーブを実際体感して泊まれる場所。そして蔵を改装して作ったサウナは、薪ストーブの熱で温める本格的なサウナになっています。サウナ部門のプロデューサーをしているのは、東京の会社に所属して化学系の研究をしている翔太くん。全然違うタイプやけど、持ち味が生かせるチームワークでやっています。彼はサウナが大好きなんですよね。そもそも自分が楽しむ究極のサウナを作るっていうのがコンセプトやったんです。そこら中のサウナに行ってたんだけど、もういかなくなった。ここに究極のサウナができて大満足で。蔵の2階ではホットヨガ体験もでき、薪ストーブを多くの人に体感してもらいたいなぁって思ってます。」

 

 

サウナの入り口。蔵の扉の奥はおしゃれなサウナ空間。

 

Q.小代の魅力や、良さを感じることはありますか?

(椎葉)「人やね。人がいい。めっちゃくっちゃ優しい。そして野菜貰える!やっぱり気にかけてくれてるんやんなぁって思う。そして、新聞とかでここが紹介されたら、『嬉しい』って言ってくれる。水も豊富で、ここの地区水とかも水質検査したらAAAで本当に美味しいんです。」最後に今後の展望を尋ねましたが、お二人はここで満足してとどまるわけではなく、『次々に進んでいきたい』と。自分達の『0から1 を作り上げるエネルギーを楽しみたい』と。 「任せられるところは人に任せて、次に繋げていき、また物件探しして面白いことをしていきたい。そして、ただのゲストハウスだけやったら面白くないから、強みを持たせるために何かプラスアルファがあった方がいいと思ってる。サウナありますよ、ストーブありますよ、雪で遊べますよ、みたいな、なんでもいいけど何かプラスした方が面白いし、可能性もある。そんな風に、面白いことを求めて動いていくと思います。」

 

(著者:町民ライター 中村美和子)

 

 

「このままでいいのか?」自身に問いかけて切り開いた海の世界。

「このままでいいのか?」自身に問いかけて切り開いた海の世界。

金閣寺の見える京都から、香美町に移住してきた渡辺さん。50 歳の節目に立ち止まり、「これからの人生も、このままでいいのか?」と考えたのが起点になりました。移住は夫婦で場所や環境、仕事も考えて少しずつ進め、最終的に夫婦そろって同じ目線が決めてになりました。それは釣りが好きでキレイな海に魅かれたこと。今は、海上タクシーで活躍し、趣味の釣りも謳歌しています。

 

—— 金閣寺近くの、まさに京都らしい京都から香美町に移住して来た渡辺さん。そのきっかけは

京都市内で内装(リフォーム)の仕事を自営でやっていました。住まいは金閣寺近くと二条城近くにありましたが、そこを売って香美町・佐津へやってきました。

リフォームの仕事は長年してきたので顧客もあり、やりがいもありましたが材料が高騰しているのに施工料金と合わない、などの悩みもありました。また、子どもたちの独立など、周りが変化してきた50 歳のときに、「このままでいいのかな?」と立ち止まって考えるようになったのです。これからは、ガツガツせずスローライフを楽しんでいけたら、本当にやりたいことをしていけたらと。

子どもたちとは距離が遠くなるし、仕事のことを考えると自信はなかったですが、妻から今がちょうどいいタイミングかも?と提案され、現実に移住することができたと思います。

また私の母が香美町香住区・奥安木の出身で、「故郷へ帰りたい」というようになったのも大きかったです。子どもの頃から夏休み毎に香美町の海で泳いでいて、馴染みがありました。

 

—– 住まいは、「空き家バンク」で。他に候補になった地域は

妻は大阪出身ですが子どもの頃、臨海学校で香美町香住区訓谷や、隣町の竹野の海を泳いでいて海の美しさに感動したと言っています。その体験から将来は海に関わる仕事がしたいと、スポーツ系専門学校へ進み在学中にダイビングインストラクターライセンスを取得しました。与論島で修行後、八重山諸島でガイドインストラクターをしていたこともあります。夫婦ともに、海が好きというのが共通していますね。

なので移住先に沖縄方面はもちろん選択肢にありましたが、但馬の四季の風景、雰囲気は最高だと感じていたので、但馬の物件にしぼって豊岡、竹野、城崎も見て回るように。住まい探しはなかなか決め手がなく苦労しました。結局、小さなスーパーや佐津駅、郵便局も近いですが静かな雰囲気の今の家に決めました。周りも穏やかな人が多いです。築70 年ですが、土台はしっかりしていたので、大工さんに入ってもらいキッチン・風呂などの水回りを全て取り替え、床の貼り替えもしてかなり本格的に。元々内装業だったのである程度自分でできました。2020 年秋頃から通いながら少しずつリフォームして、2021 年6 月には完全に移住しました。

購入した時の空き家 改装前

改装中

改装後1
改装後2

——– ずっと温めていた、本当にやりたかった事とは。

京都にいる時から夫婦共に釣りは大好きで自前の船を車で牽引して、琵琶湖でバス釣りなど楽しんでいました。趣味でしたが、いつかは船に乗る仕事をと思っていました。

なので小型船舶免許は元々持っていましたし、それが縁で海上タクシーに雇ってもらえることにつながりました。ゆくゆくは、日中は海上タクシーで観光案内、夜は釣り船でやっていけたらと夢を持っています。

 

——- 仕事については、どのように決めましたか。

たまたま入った香住の古民家カフェ「岡見亭」のマスターと、船の仕事ができたらなあ、くらいに世間話をしていたところ、海上タクシーの組合長をされている方に引き合わせてくれました。自分のやりたかった船のこと、小型船舶免許を持っている事などを話して、組合長を筆頭に周囲のお力添えと地元の方がたくさん応援してくれた縁によって、船を持つということが実現できました。地元の海で仕事する上で、環境のルールや海の危険についても学ぶため、カヤックとSUPの基礎指導者研修を夫婦で受講し、基礎指導者を取得しました。4 月中旬~10 月中旬まで、海上タクシーの舵をとり小さな船でしか行けない香住の海の秘境へ行き、観光のお客様に楽しんでもらっています。また『香住ジオクラブ』では、お客様が自分で楽しむカヤックのガイド補助のお手伝いもさせていただいています。

海上タクシーのオフシーズンは、主に地元の海鮮市場スタッフとして働いています。これも移住者である自分を後押ししてくださった人からの紹介で勤めることになりました。この仕事もまた、魚のこと、カニのこと、観光のお客様を中心に相手をするので、販売の仕事をしたことがない自分にはとても貴重な情報収集源となっています。

 

—— プライベートの楽しみ、趣味などは

京都では和太鼓保存会に入っていましたし、せっかく移住したので祭りなど地域活動にも参加したいのですが、住まいから職場まで少し離れています(JR だと2 駅)。土日が休日ということはないので、なかなか住んでいる佐津の人たちとまだ交流できないのが残念です。少しずつ交流の場を広げていきたいです。

もちろんこちらでも釣りは続けています。メジロ、カンパチなど釣果をあげて、漁協で自分の釣った魚を競りに出すのが次の目標です。あと雪があるシーズンは、おじろスキー場でスノーボードを楽しんでいます。四季を通して、この但馬地域はアウトドアが充実しています。

——– 移住を考える方へ向けて、また移住を受け入れる町に向けてのメッセージを。

 

香美町は本当に風景や四季折々の顔があり抜群に良い! そのキレイさに、日々の生活の中でふと景色を眺めるだけで、ハッとします。それにお米、但馬牛、魚もこれみんな香美町の?と、びっくりするくらい美味しい。

海上タクシーや、海鮮市場で町外のお客様と触れ合うことが多く、話していても「移住したい」と言われる方は結構おられます。しかし、現実にはよほど香美町が好きでないと難しいかもしれません。

今までの暮らしのルールがあって閉鎖的な感じは少しありますし、仕事が限られていることもネックになっているのかなと感じます。私たちは人が密ではなく自然の多い場所での暮らし方、やりたいことやご縁があってうまくやっていけそうですが、年々、人が減っているという話を聞くので人口減少は深刻だと思います。

もっと移住者を増やすなら、町が主導してカニなどの従来の特産に頼らず企業誘致するなど、新しい方向を考えて雇用を生むためにも、変化を嫌うことに対しての概念を、少し間口を広く持ってもらいたいです。ずっとこの土地で暮らしている方々が、自分たちの暮らす町はとても魅力のある町だと自信を持って声を上げてもらいたいです。個人の力では難しいので、仕事がもっと色々あれば広がる可能性は大きいと思います。魅力的な場所ですからね。

故郷のない私たちが香美町へ移り住みました。いつかこの町が自分たちの町と言えるように、そして「お父さんたちの好きな生き方をしたらいいやん」と、私たちの背中を押してくれた、生まれも育ちも都会で故郷のない息子たちへ、「ふるさと」と呼べる場所を作ってやりたいと思っています。

 

〜〜インタビュー終えて〜〜

人生のターニングポイントって誰にでもやってくると思うのですが、そのポイントで大きく舵を切ることができるのは自身の思いきりだけでなく、周りの環境、家族、仕事、お金など色々と壁があるものですね。特に年齢を重ねると壁は厚くなってくるかもしれません。その壁を砕き、先の世界に行くには「これでいいのか?」と向き合う強い思いと、ご縁や巡り合わせも大事ですね。渡辺さんとご家族の実行力にエールを送ります。

(2023.1.21 筆者:香美町町民ライター)

余部鉄橋と山陰海岸ジオパーク 但馬の魅力を撮り続けて60年

余部鉄橋と山陰海岸ジオパーク 但馬の魅力を撮り続けて60年

ギャラリーあまるべで開かれていた千﨑密夫展の会場で

近頃はお歳を召していても、とても元気な方が多いと言われますが、このお方もその中のお一人に間違いありません。

アマチュア写真家「千﨑密夫さん」は、香美町香住区長井地区の生まれ。学生の頃から「カメラ」の虜となり、約60年という長い年月、余部鉄橋だけでなく、香住の漁師町の日常生活や、周辺の自然、特に山陰海岸ジオパークの風景なども含め、実にドラマチックな写真を撮り続けてこられています。

 

「月給が7~8千円の時代に、ニコンのカメラが大体5〜6万しましたかね。親父にせびったら『撮るなら世間の役に立つ写真を撮れ!』と言われました。さて、世間の役に立ったかどうか…。いやはや、ただの道楽ですよ」と話す千﨑さん。お話を聞かせていただいた場所は、自身が手掛けた受賞作品が並ぶ個展の会場。気遣いもさることながら、実に謙虚で明るく優しいお方、現在90歳を越えておられます。

 

鉄橋にも写真にも物語が

(千﨑密夫 写真集「驚異の原風景 山陰ジオパーク」より)

 

「あれは昭和33年ですね。余部に養子にくることになってから、鉄橋を撮り始めました。昭和34年に余部駅が出来ましてね、それはもう嬉しかったですよ〜。余部駅のない時は、みなさん隣の鎧駅まで、鉄橋を歩いてトンネルを通って通勤してましたからね。トンネルの中に待避所があって、汽車が来たらそこに入って、じっと待っててね…」

郵便局の外周りの仕事の時などは、橋を渡り、トンネルを通って鎧駅まで郵便物を取りに行き、またトンネルを通って橋を渡って帰っていたとのこと。地上から約41メートル、鉄橋の上からの光景はさぞや恐ろしかったでしょう。

 

今や観光名所となった余部橋梁ですが、鉄橋時代には悲しい過去もあります。

昭和61年の年末、お座敷列車で知られた観光列車、特急「みやび」が鉄橋を通過中、強風に煽られ客車が橋から転落、真下にあった水産加工場や民家が下敷きとなり、6名が犠牲となりました。

「事故の時から被害者の方や遺族の方々が気の毒で・・。それから10年ほど、鉄橋にカメラを向けられなかったですね…」

カメラから離れていた期間、何かに取り憑かれたかのように木彫りに専念。何事にも真正面から取り組み、そこから生み出されるものは、技巧溢れる素晴らしい作品の数々、人並外れた集中力をお持ちです。

千﨑さん手作りの木彫りの書

「平成16年頃ですかね、コンクリート橋梁に架け替える話が出てきて、鉄橋が見れなくなるって思うと、自然に写真に収めたくなって、再び撮り始めました」

水田に鏡のように映し出されている鉄橋の写真は、風が止むのを静かにじっと待ち、その瞬間を逃さずにシャッターを切る・・・。

好きな時に好きなだけシャッターが押せて、撮ってからすぐに写真を確認できる今のカメラとは違い、撮影後に現像して、写真になって初めて確認できる時代だった。それだけ写真は時間もお金も掛かるものであり貴重。シャッターを切る瞬間の「喜び」、現像して初めて得られる「感動」が千﨑さんの心を今でも鷲掴みにしているのは事実です。

 

「どんな写真が撮れるかな?と考え、それに合わせて行動するんです。思った通りの納得のいく写真を撮るために最低5〜6回は訪れてね。動かない被写体でも1〜2時間はそこにいる。現像して反省して、また撮りに行ってという日々でした。やっぱり写真にはそれぞれ物語があります」

今から10年ほど前、80歳前後の時にデジタルカメラが流行し始めましたが、それでもずっとフィルムでの撮影にこだわり続けます。

 

「鉄橋だった時は、汽車が通ったら時間がわかって、駅に迎えに行く時間だとか、地元にとっては生活の一部だったけど、今は橋梁になってからは、汽車の音が聞こえてこないね〜。寂しいというか・・・」

 

毎回が冒険だった「ジオパーク」

香住区余部東港から突き出た「さわりの鼻」付け根あたり。泥岩や砂岩の地層がダイナミックに映し出されている。

(千﨑密夫 写真集「驚異の原風景 山陰ジオパーク」より)

 

断崖絶壁をはじめ、奇岩や洞門、洞窟もさることながら、透明度抜群の美しい海岸線が広がる「山陰海岸」は、ユネスコ世界ジオパークに認定されるほどの高いポテンシャルを持つ海岸です。千﨑さんにとっては、遊び場だった山陰の海岸線。千﨑さんは、ジオパークに認定される前から、あらゆるシーンをカメラに収めてこられていました。香住の漁師の日常風景や、断崖絶壁に棲む鳥や野生の動物、風景の中に人や動物が暮らしている、動きのあるその光景にこそ価値があるといいます。

 

「この周辺一体が国立公園になるんだと聞いて、こりゃもっともっとアピールしていかないとって思いました。一般的なアングルじゃなくて、藪の中に入っていったり、木に登って高い位置から撮ったり、光の入り具合とか見ながらですね。かすみ丸さんにも協力してもらった。色々苦しいこともありましたが、そりゃあ楽しかった!」

一枚一枚に千﨑さんの冒険が詰まっていて、どの写真も魅力的な瞬間が切り取られている

 

香住沿岸にある、アメリカの原住民の横顔に似た「鷹巣島」に鷹(ミサゴ)が止まっている写真などは、それはそれは大変なエピソードが・・・

「少しでも写真に動きを取り入れたくてね、近くのオッパセ浜から、タイヤのチューブを板にくくりつけてカメラを載せ、海に浸かりながら、カメラを濡らさないようにゆ〜っくりと岸に沿っていきました。近くの岩へよじのぼって、鷹巣島にミサゴが止まる瞬間をじーっと狙って撮ったんです。」

「毎回が冒険でしたし、失敗もたくさんあった。木から落ちたこともあったし、カメラが波にさらわれたこともあった。鉢伏山の『昇竜の滝』の雪のあるところを撮りたいって思って、沢登りをしてたらね、滑って転んで膝の骨が見えるほどの怪我してしまって・・・。血だらけになって運転して帰ってきたこともありました。奥さんはもう呆れ果ててましたね…」

お話の中で出てきた「昇竜の滝」と同じ村岡区の「猿尾滝」の天然の石仏群 (千﨑密夫 写真集「驚異の原風景 山陰ジオパーク」より)

 

4〜5年の歳月を掛けて様々な山陰海岸ジオパークに関する写真を撮り続け山陰海岸ジオパークの写真集「驚異の原風景 山陰ジオパーク」が完成。関係者の方々にプレゼントしたそうです。「かなり喜んでもらえました。民間も頑張ってるんだという認識を、少しは持ってもらえたんじゃないかな?」

右 千﨑さんの写真集はギャラリーあまるべで販売されている。
ギャラリーあまるべ

 

地元の人のおかげ

「でも、いろんなところをこうやって撮影させてもらえたのは、その地元の人のおかげです。私に土地勘がなくて危ないからと、本当に皆さん親切に案内して接してくれたんですよ。それがとっても嬉しかった。本当に涙が出るくらい。ごっつい忘れられません。今はもう膝が悪くなって、写真を撮りに行けない。私にできることは認知症予防くらいで…」

写真を撮りに行けなくなってからは、般若心経を日々綴っておられるそうです。

趣味の域を超えた「作品」とも言える般若心経

 

千﨑さんがこれまで撮影してきた写真の数々は、いつまでも余部鉄橋やジオパーク、但馬の風景の素晴らしさを伝えてくれることでしょう。

 

「世間の役に立ってるかどうか…。いやはや、ただの道楽ですよ」人柄が滲み出ている、この言葉がとても印象的です。

(町民ライター 池本大志)

 

すっぽんを捌いて、食す!!!!!体験イベント開催

 【一泊二日】すっぽんを捌いて、食す!!!!!

 

但馬牛の産地として有名な兵庫県北部 香美町小代(おじろ)区。

1975年頃に町の活性化を目的に住民有志で出資して温泉を掘り当てたのがきっかけで、
「町の特産品をつくろう」と温泉水を利用したすっぽんの養殖を試みました。

 

そんなすっぽん養殖場の事業継承のために、地域おこし協力隊が着任しました。

そこで今回は、地域おこし協力隊と一緒にすっぽんの養殖作業体験・捌く・食す!ワークショップを開催します。

ひとり当たり約一匹のすっぽんを捌いて頂く予定をしておりますが、苦手な方はできる範囲での調理でももちろん大丈夫です。

ぜひご参加ください!!

 

日時 2022年10月1日(土)~10月2日(日)

場所 小代物産館集合・スミノヤゲストハウス解散

 

詳しくはこちらから
【一泊二日】すっぽんを捌いて、食す!!!!! | 移住スカウトサービス SMOUT(スマウト)

 

香美町発チルイベント開催!「夏の空き地ルアウト」

 

子どものころ遊んでいたあの空き地をちょっとだけおしゃれにしつらえて、夕涼みにぴったりのゆったり過ごせる空間にしてみます。

誰かの手仕事や選りすぐりに出会えるちいさなマルシェも開催予定!

少し涼しくなった夕方から、飲み物を片手におしゃべりしたり、音楽を聴きながらゆっくり過ごしたり。

夏の夜のチルアウトを楽しみませんか?

 

「夏の空き地ルアウト」

日時 2022年8月13日(土)17:00~20:00

場所 若松ゲートボール場

 

<当日の楽しみ方>
◎ゆったり過ごせるスペースを用意しています。ぜひ、お気に入りの飲み物やおつまみ、お菓子を持って遊びに来てください!

◎ちいさなマルシェを開催します!誰かの手仕事や選りすぐりとの、その日限りの出会いをお楽しみください!

 

詳しくはこちらから(外部サイトにリンク)
イベント!『空き地ルアウト』 – 一般社団法人HiCO-BAY

 

おじろに恋する移住体験ツアー@スミノヤゲストハウス

おじろに恋して移住した、私に会いにきませんか? 〜1泊2日の移住体験ツアー〜

 

香美町唯一のゲストハウスが小代区貫田(おじろくぬきだ)にあります。

その名も「スミノヤゲストハウス」。

 

そんなスミノヤゲストハウスのオーナーである田尻さんが移住体験ツアーを随時開催しています。

「おじろに恋して移住した田尻さんに会いに行く移住体験ツアー」です。

 

滝を見ながら湧水で淹れたコーヒーを飲んだり、狩猟見学に行ったり、空き家リノベハウスを見学したり。

ただの旅行では出会えないおじろに出会えるツアーとなっています。

気になる方はぜひご参加ください!

 

詳しくはこちらから(外部サイトにリンク)
おじろに恋して移住した、私に会いにきませんか? 〜1泊2日の移住体験ツアー〜 | 移住スカウトサービス SMOUT(スマウト)

 

漁師町を体験!早起きは三文の徳ツアー

漁師町の朝は早い!『早起きは三文の徳ツアー』

 

「海のある暮らしをしてみたい!」

「地方移住に興味があるから話を聞きたい!」

 

でも、海沿いの町ってどこがいいか分からない。

とりあえず行ってみて地域の空気を感じたい。

○魚が好き!
○海が好き!
○海のある暮らしがしたい!
○漁業、水産加工に興味がある!
○料理が好き!

そんなあなたに、香美町を知ってもらうキッカケとなるようなツアーを準備しました!

 

その名も「早起きは三文の徳ツアー」!!

せりが行われる平日限定のプレミアムツアーです。

 

漁師町「香美町香住区」の、ここでしかできない生活を体験してみませんか?

 

詳しくはこちらから(外部サイトにリンク)
漁師町の朝は早い!『早起きは三文の徳ツアー』 | 移住スカウトサービス SMOUT(スマウト)

 

たじまの仕事と暮らし見学バスツアー

 

この夏、但馬地域の仕事と暮らしを体験できるツアー「たじまの仕事と暮らし見学バスツアー(ものづくり編)」が開催されます。

ぜひご参加ください!!

 

「たじまの仕事と暮らし見学バスツアー(ものづくり編)」

日  程  2022年8月24日(水)~26日(金)の3日間

募集人数  各日12人(1日だけの参加可)

参 加 費  無料(昼食各自負担、交流会は食事代実費2,000円程度を徴収)

チラシダウンロード

 

【1日目】

(株)由利(豊岡市):鞄の製造

カネカソーラーテック(株)(豊岡市):太陽電池の生産

【2日目】

まちあるき:カバンストリート(豊岡市)

香住鶴(株)(香美町):日本酒の製造

(株)トキワ(香美町):調味料の製造

夜:焚火NIGHT@神鍋高原

【3日目】

(株)オーシスマップ(養父市):地図の製作

(株)NEOMAX近畿(養父市):希土類磁石の製造

 

詳しくはこちらから(申し込みもこちらから可能です)
たじまの仕事と暮らし見学バスツアー | たじまUIターン情報サイト|ひょうご北部で暮らす (tajimalife.jp)

 

お問い合わせ先
たじま田舎暮らし情報センター
電 話 0796-24-2247
メール tjm-furusato4@tajima.or.jp