28歳で日本から飛び出しドイツ・ベルリンへ渡って13年。再び降り立った日本だが、その先は一度も行ったことのない香美町だった。

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ミュージシャン 藤田 正嘉さん

  

——–日本人ですが、ドイツからの移住ということですね。まず、音楽家としての始まりを聞かせてください。

生まれ育ったのは神奈川県茅ヶ崎市です。ジャズ好きな父親の影響もあり、子供のころからドラムをたたいて、バンド活動などをしている音楽少年でした。22,3才の頃から自分で電子音楽、(*1)アンビエント音楽を作りたいと思うようになり、そのためにはドラムだけでは限界がある、音を打ち込んでいく上で初めは(*2)ビブラフォン奏者を探していました。ある日初めて本物のビブラフォンの演奏を間近で聴いていてこれだと思い、その方のレッスンを2,3年受けました。その後は独学で自分のやり方を模索しながら音楽作りを続けてきました。模索は今でも続いてます。

(*1)環境音楽とも言われ、ゆったりと静かで揺らぎのあるものが多い(*2)ビブラフォン:大きな鉄琴のような鍵盤打楽器

撮影:藤田 正嘉  2019年 香港のライブ会場にて ビブラフォン

 

 

——–ドラムもビブラフォンも「打つ」という動作はおなじですものね。東京を中心に活動していた音楽少年のその後は。

東京を中心に少しずつ自分でイベントなども開催しながらコンサートや音源制作をしていました。同時に、妻と一度海外でも暮らしてみたいという希望もあり、ヨーロッパを下見旅行などして移住先を探していました。そんな中、作品のデモもいろいろなレーベルに送っていたのですが、ドイツ・ベルリンの音楽レーベルから良い返事があったことと、当時、ベルリンには世界中からアーティストやミュージシャンが集まっていて面白いことが始まっているという話を聞いていたので、行ったこともなかったんですが結局ベルリンへの移住を決めました。2006年、28歳の時です。

 

音楽を吸収するには刺激的で理想的なベルリン。

——-意気揚々とした滑り出しですね。ドイツでの暮らしと音楽面はいかがでしたか。

ベルリンでは好きなミュージシャン、個性的なミュージシャンたちも身近にいて刺激的で多くを勉強できました。活動としてはヨーロッパをベースにしたコンサート活動が多くなってきました。音楽の他にもアート・文化の層が厚く懐も深いという印象ですね。またそれらを発表する場、機会も多く国やその他団体からのサポートも多いです。

撮影 Daniele Ferraro  2018年にイタリア・モデナ サン・バルトロメオ教会にて

 

自分の音楽創作にとっては、ここでいいのか、自問。

———それは理想的な環境です。そんな居心地の良いドイツに13年住まわれて移住を考えた理由は。

近年、2014年くらいから特にですが、ベルリンは高級志向な観光客やお金持ちの移住者がものすごく増えて、物価も高く住みにくくなってきました。私の主観ですが、それとともに最初は新鮮で熱かった街のパワーも徐々に生のエネルギーが弱っているなと。また、ドイツ以外でも都会はどこも似たような印象を感じるようになってきました。日本の都会もそうですね。発表する場という意味で仕事するのはベルリンにいた方がやりやすいのですが、13年住んでも、常にどこかホームとして感じられない、アウェイ感というかそういう感覚がありました。そこに暮らすために許可(ビザ)を取らなければいけなかったり、言葉の問題もあったんでしょうが、その土地との繋がりを感じられない、根無し草のような感覚がありました。私が音楽を作るとき、自然がモチーフになっていることが多いのですが、自分は住んでいる土地に繋がりを感じられないという違和感が、個人的には一番大きかったです。

香美町の大自然から生まれる音楽を世界へ発信。

—–長年住んだが故の悩みでしょうか。移住先の候補地としての条件は音楽制作を第一に考えたとのことですね。

自然の豊かなところで音楽制作をしたいと思っていました。第二のふるさとになりうる場所、根を張ってずっと暮らす場所ですね。7才と3才の双子の三人の子供がいて、山や森がすぐ見え海や川で遊べるところで育てたいというのもありますが、父親である私自身が生き生きと自然の中で音楽制作をしたり生活しているのが子供にもいい影響を与えると思いました。また、以前から日本の地方が面白くなってきているのも感じていましたし、住みたい場所、妻の仕事などを探すところから始めました。

撮影:藤田 正嘉 村岡区柤岡にて

——-日本への回帰も壮大なスケールを感じます。しかし、なぜ香美町へ?また決め手は何でしたか。

一時帰国の時に、下見として実際に足をはこんだ町もありましたが、日本に帰るといってもドイツからの移住ですので、ネットで情報を探すのがメインでした。自然豊かなところで海も山もある町というのは意外と少なかったんです。そんな中で、香美町には多彩な自然がそろっていて食べ物も美味しそうでしたし、人も、地元愛を持ってやる気のある面白そうな人たちがいらっしゃるように思いました。結局妻が地域おこし協力隊の仕事が決まったのが最後の決め手でした。多少の心配はありましたが、実際に行って住んでみないとわからないことの方が多いと思い、あまり悩むことなく一度も足を運ばず決めました。導かれるままに身を任せやってきたという感じです。実際、今年の冬に香美町に初めて来ましたが思った通りでした。目をやるとすぐ近くに山や緑があって、海がある。大乗寺の裏山、三田浜、カエル岩、滝など家族と何度か行きましたが本当に驚きがいっぱいで目を見張ります。こういう環境が、自分の音楽制作にどういうふうに影響してくるのか楽しみです。

 撮影:藤田 正嘉 香住区今子浦海岸

お客として来たのではない。第二のふるさとで根を張っていく。

——–今後の音楽活動と、ご家族との生活面ではどのように進めていきたいか展望を聞かせてください。

今はロンドンのレーベル、Erased Tapes(イレースト・テープス)に所属しており、2020年秋に新しいアルバムをリリース予定です。通常だとその後各国をツアーをするんですが、今の新型コロナの影響でどうなるかはまだわかりません。しかし、根元の音楽づくりはこの香美町でスタジオになる場所を見つけて、自然あふれる理想的な環境の中で創作していきたいです。いつか町内でも発表する場ができればと思います。

生活の面ではお客さんとして来たつもりではないので、地域の活動にも参加しながら、家族5人でワクワクを求めてこの第二のふるさと香美町で長く暮らしていきたいです。

また、近くの豊岡や鳥取にも、演劇などが活発で面白そうな人や場所があるようですね。そういう町が近くにあるのも魅力です。

 

——-この記事を読んでいる、移住を考えている方へメッセージを。

ネット環境がここまで広がり便利になった現代、都会に暮らしていなければ、ということは少なくなっていると思います。特にクリエイティブな面では都会にはない良い面や環境もあると思います。自然から刺激を受けて、精神的にもリラックスする香美町は選択肢に入ると思います。人が優しいのも新参者にはうれしいですね。

グローバルな視点を持ちながら、自分軸をもった彼の生き方と音楽の持つ世界感、気負ったところのない姿勢はその音楽とともに香美町へ新しい風を吹き込んでくれるかもしれない。壮大な余韻のある彼の音楽を聴けば、なぜ彼が香美町へ来たか理由がわかるような気がする。                        (著者:香美町町民ライター)

取材に際して、新型コロナウィルス感染予防対策に配慮して行いました。

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