街から山へ 街の喧騒と夜のネオンが好きだけど移住してみた

2022.11.29

       

漂着

移住ってのは正気の沙汰じゃないなと家中に散らばった段ボールをみて思う。

どこもかしこも人のもので、虫とかしんでるし、奥の方とか未知で怖いし、電気から異音もするし、謎の塵だまり、謎の小部屋、とにかく底の分厚いスリッパを履いていないと床も歩けない。

虫の声が近くてゾッとして、家の中にふつうにいるヤモリにゾッとして、ふと気づくと電波が一本しか立っていなくて、これはたいへんなところに越してきてしまったのでは、と思った。

(写真に写っているのは夫のムッティーです。)

ふつうに便利が好きでふつうに整備された場所が好き でも今ここにいること

2022年8月、生まれてこのかた離れたことのなかった京都から、夫とふたりで越してきた。

兵庫県美方郡香美町、村岡はハチ北。

田中愛美、31歳、現在無職。

 

玄関先で小さくなっていたあの日からもう三ヶ月が経ち、人間ってばアッという間に慣れちゃうもんで、虫よりヤモリのほうがましだし、窓の向こうで虫を捕食しているヤモリを見てかわいいとまで思うようになった。

そういう柄かと思ったら全面カビてるだけだった風呂はママニコニコをベタ塗りしたらまっしろになって、残置物がたくさん詰まっていた食器棚は中身を全部出してきれいに拭いたら今ではいちばんのお気に入り。

Wi-Fiひいても家の中で電波が一本になるところがあるけど通じるだけまだいいか。

虫はまだぜんぜんいやで、街中で見たことのある10倍くらいのサイズのゲジゲジは虫というより海老寄りで、関節がくっきりとしていて、あああなたたちってこういう構造をしていたんですね、そりゃこんなのが突然視界に現れたら大声もあげるわ。

限りなく自然に近いというか、外と中の境界線があやふやというか、そうか家って所詮人の手で建てられたもので、密閉されてもいないし劣化もするし、神の手による万能なる創造物ではなかったんだ……という再発見。

 

ハチ北はその名のとおり鉢伏山の北側に位置していて、ハチ北スキー場がすぐそこにある地域、つまり山だ。

山間に作られた民宿街の一角にわがやは建っている。

故にどこもかしこも坂だらけ、平らな場所なんてぜんぜんなくて、山を降りるたび「平らだ!」「住みやすそう!」と感動する。

 

白状すると、「地方移住」とか「田舎暮らし」とか、あまり興味がない。

ふつうに便利が好きでふつうに整備された場所が好きで、街の喧騒や夜のネオンに親しみを抱いていて、そういう人間がとつぜんここにいること。

湿気がすごくて除湿機は24時間まわしっぱなしだし、川の音で毎朝起きるたび雨が降っているのかと思う。

洗濯機の揺れが家に響いて地震かと思うし、あちこちに虫がいてギャーとなるし、夜はまっくらでシカの鳴き声がとどろき、車がないとどこにもいけない。それでもここにいること。

いやだと思うことをできるだけ覚えていようと思う。きっとそのうち忘れちゃうから。

 

なんやかんやと言ったが、縛り付けられて監禁されているわけでもないし、ここに住むのがいやなら別の場所に行けばいい。ただそれだけのことだ。

実際にハチ北やここでの暮らしが嫌いかと聞かれるとまったくそんなことはなく、山のすきまで愉快であたたかな人たちに囲まれて、のんびりたのしくやらせてもらっているのだった。

 

ハチ北にきた ここにきた経緯

縁あってハチ北にきた。

すべてのはじまりは「ハチ北ミュージックフェス」だった。

夫や京都で周りにいる人たちがハチ北ミュージックフェスに関わっていて、その関わりの中で、私も2019年からカメラマンとして参加させていただくようになった。(2022年のポスターの写真、私が撮りました!)

 

2019年はフェスの前準備として月に一度はハチ北へ訪れた。

夫にははじめから「とてもいい場所だから好きになってくれたらうれしい。来年か再来年には移住しようと思ってる」みたいなことを言われたと思う。

2020年、新型コロナウイルスの感染拡大により話は一時中断、それでも数ヶ月に一度ハチ北に足を運んだ。

2021年には「2022年の夏にハチ北に移住する」として準備を進めた。

そうして2022年の5月にフェスの準備がてらの一ヶ月おためし移住を経て、この8月、ようやくの移住となった。

 

はじめの頃、私は「そうですか、わかりました(ご自由に!)」というふうに答えていたと思う。

ところが何度もハチ北に通ううち、少しずつ顔見知りが増え、ハチ北の地にも徐々に体が馴染んでゆく。愛着も湧いてくる。

するとだんだん「あたらしい場所に住んでみるのも悪くはない」という気持ちになってきた。

もはやハチ北はしらない場所ではなくなっていた。

 

もともと住む場所にこだわりはない。

そして、街の喧騒は大好きだけど、夜のネオンは大好きだけど、一生そこにいられるわけではない、という気がしていた。

いつか自分で自分の暮らしを形づくっていかなきゃ。

だからこれは、スローライフとか田舎暮らしとか、そういうものに憧れがなくたって、田舎と呼ばれる場所で、自分でたのしく生活をつくってゆける、そういう私のささやかな挑戦でもある。

 

「よそもん」を受け入れる、オープンな村

ハチ北で生活をするようになって気づいたことがある。

この村はとてもイベントごとが多い。

 

盆踊り大会や秋祭り、各種マラソンやトレイルランのイベント、夏と冬の山開き、ひまわり祭り、ハチ北ミュージックフェス、リトリートツアーやマレットゴルフ大会、もちろんゲレンデ刈りや婦人会の集まり、あちこちの忘年会も。

マラソンや音楽のイベントとなると、数百人の人が一挙にこの村へやってくる。

私が知らないイベントもまだまだたくさんあるはずだ。

ここにいると、月に何度もお祭りごとがある。

 

それもこれも、「スキー場の村」の成せる技なのではないかと私は思っている。

兵庫県の発表によると、昨年度のスノーシーズンにはおよそ15万人がハチ北高原を訪れたのだという。

ハチ北は「スキー場の村」であるが故に、他所から人がくることを拒まない。イベントごとに抵抗がない。

「よそもん」を受け入れる器が既にあり、地域自体の懐が深いのではないか。

その上どんどんあたらしいことにチャレンジしている人がたくさんいて、おもしろそうなものがごろごろ転がっている。

ここは、「田舎でゆっくり過ごしたい」だけじゃない人こそきっと満足できるはず。だから私もここに来たいと思えた。

 

ちなみに、ハチ北に住んでいらっしゃるご夫婦の奥様方は、そのほとんどが外から嫁いできているのだそうだ。

これは、移住してくる側にしてみると、移住の先輩がたくさんいる気がしてとても心づよい。

もちろん田舎あるある三銃士「(空気と水と食べものが)おいしい」「(自然が豊かで星も)きれい」「(人が)あたたかい」は網羅している。

しかも香美町には山も海もあるのだ! 山の幸と海の幸が両方手に入る(そして口に入る)しあわせたるや。

 

そして冬がくる

そうしてたくさんあるイベントごとをひとつひとつ過ごして、好きな時間に眠って好きな時間に起きて、おいしいごはんを食べてみんなで酒を飲んだ。

合間に少しずつ家を片付けて、毎日毎日遊ぶように暮らしていたら、すずしい夏もみじかい秋も、アッというまに終わってしまっていたのだった。

さあ、これから初めての冬がやってくる。

家はまだ、基礎のコンクリートが剥き出しのままだ。

 

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