「若い人が戻ってきても楽しめる町に」 森 茂樹さん

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「手作り」の楽しさ

スーパーなどでもたくさんの種類が陳列されている味噌や米こうじですが、香住には古くから「本物の手作り」にこだわった味噌づくり、米こうじづくりをしているお店があります。

明治9年創業の「森新屋」さん、元々は醤油屋だったのが、醤油の大豆から味噌づくりを始めたことがきっかけで評判となり、顧客が広がっていきました。

近年、お湯に浸すとすぐに溶ける味噌が市販され始めたことや、味噌づくりをご家庭でされる方が増えたことにより、米こうじの需要が高まり、お店での製造は次第に米こうじが主流となってきたそうです。そんな中でも「森新屋」さんの味噌づくりの豆は北海道の大豆、米こうじのお米は一等米のみを使用し、正真正銘の「手作り」にこだわりがあります。

「今は母親とほぼ2人でなんとかやってるけど、年間でだいたいこうじが8〜9トン、味噌は7トンほどかなぁ。家族経営にしては多い方だと思う」

そう話してくれるのは代表の森茂樹さん。香住生まれの香住育ち。

高校卒業後、食品関連の学校へ進学のため大阪に2年、その後東京へ。一旦香住に2年ほど戻ったが、やりたいことが見つかり、再び東京で4年。結婚を機に帰郷し、家業を継ぐことに。

「カニで景気がいい時に一旦帰ってきてるから、その頃とのギャップが大きかった覚えがある」

再帰郷した時から、どんどん町の人口も減り始め、最近10年で急にお店も無くなり、活気がなくなってきているのを感じるという。

「こうじづくりって楽しいよ。ほぼ毎日おんなじ仕事しとるけど、毎日できるこうじが違ってくる。最近は温暖化なのか、発酵が早い気がして、黒くなってくるのが特に早い。こうじ菌を使い分けたり、菌力の違いを利用して変色を防いだりと年間通して味が変わらないようには工夫してる。その変化に合わせた工夫にちゃんと応えてくれるのが楽しい。『生き物』を扱ってるって感じっていうのかなぁ」

味噌こうじ屋さんは「納豆菌」が天敵とのこと。納豆菌があるとこうじ菌が豆に付かなくなるそうです。「納豆菌って飛散するのよ。だから、ウチは仕事が終わった夕方以降しか納豆は食べちゃダメ!って、娘にはいつも言ってる」

明治から代々やってきたお店だが、事業承継は今のところ何も考えていないという。

 

「嘘」が「真」に

森さんは味噌こうじづくりの傍ら、趣味なのか副業なのか、結婚式や各種音楽イベントのPA(音響)の仕事もされています。

「東京にいる頃、イベント関連の仕事をしていたけど、そこらへんから音楽には興味あって。きっかけはある『冗談』から始まったんだけど」

あるお店で、プロミュージシャンのライブの打ち上げに参加した際、友達が冗談で「コイツPAできるんですよ」と言うので、自分も「あぁ、任せてください」と嘘を言ったら、3ヶ月後、本当にPAの依頼がきてしまい、慌てて必死で勉強して覚えたそうです。

「あっさり見破られてたけどね。でもそれがきっかけでPAできる人ってのが広がって」

帰郷後、「PAができる森さん」が口コミで広がったのはいいものの、機材を自分で揃える必要もあり、最初は赤字続きで大変だったとか。

しかし、結婚式場のPAという決まった仕事が来るようになったので、たとえ予算がなくてもPAが必要なイベントにも、スケジュールが空いていれば、言い値で出向くようになったとのこと。

「音楽のPAは楽しいけど、結婚式は毎回緊張するなぁ。やり直しがきかないからなぁ」

そんなPAの仕事も、新型コロナウィルスの感染拡大をきっかけに結婚式の仕事も激減し、年間40件あった予約も39件キャンセルに。

「コロナから結婚式自体もスタイルが変わってきて、家族だけ、身内だけになって、披露宴をしないパターンもある。祭りやイベントも減って、寂しくなってきてるなぁ」

しかしそこは好奇心旺盛な性格の森さん。最近は打ち込み音楽制作の仕事にも興味を持ち、これから勉強していきたいと意欲的。若い世代にも人気のPA森さん。これからもいろいろなイベントを通して、音楽で溢れる但馬に貢献してもらいたいです。

 

きっかけは一枚の写真

2度目のUターンから22年。

「今にして思えば、帰ってきたかったのは、一枚の写真がきっかけなのよね。」と見せていただいたのは、幼い子どもが川辺で遊んでいる写真。

「母親が山とか川とか海が好きで、よく川遊びしていた。やっぱ森とか海とか、自然はおもろいと思う。だから、自然環境のいいところで子育てがしたかった。自分が育ってきた経験と同じことを子ども達にも経験してほしい。自然の中で子育てするには、香住はとても適したところだと思う」と。

さらに「香美町は満18歳まで医療費が免除されるってスゴい、都会ではありえないような制度」という。

「東京にいる頃、イベント関連で割と華やかな場所で仕事してたから、そういう場所に飽きてきて、プライベートではバドミントンや手話のボランティアも興味があってやっていた。香住に帰ってきた時も、そういう集まりがないか探したよ。」自然と触れ合う機会が少なかったという東京時代でも興味のある世界に飛び込んでみる森さんの性格は、今も変わってないようです。

「Uターンして帰ってきたら、商工会青年部やら消防やら祭りやら、子供がいればPTAやら、確かにやることは多いと思う。けど、やっぱり実家のある土地って思い入れが違う。都会に出て行った友達も、Uターンで帰ってきたかったそうで、住むところを探してたけど、香美町はUターンよりもIターン向けの支援がいいみたいで、結局、他の町に住んだって言ってたなぁ。Uターンを促すようなのもやってほしい。」

今や人口減少は全国的に歯止めが効かず「発展」どころか「現状維持」すらも難しくなってきている市町が、ほとんどと言われています。思い入れのある土地だからこそ、萎んでいく町の将来が自然と心配になります。生まれ育った土地で、都会で学んだ自分ができることを探してみる。町を離れた一人一人がそんな意識を持って帰郷してくれば、自ずと町も徐々に変化していくのかもしれません。

「今は、都会だけでなく田舎でできることも増えていると思う。仕事の環境というかスタイルも変わってきてる。田舎にも夢を叶えられる場所があると思う。若い人が戻ってきても楽しめる町にしたいね!」

 「トレンドは田舎にある」と言われる昨今。年齢は関係なく、都会に飽きて、香美町を思い出す人が、1人でも多くUターンできる町であってほしいと、毎日こうじを作ったり、イベントを手伝ったりしながら、そんなことを日々願っている森さんです。

 

(町民ライター 池本大志)

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