「このままでいいのか?」自身に問いかけて切り開いた海の世界。

渡辺 敏之(わたなべ としゆき)さん
  • Iターン
  • 香住
  • 町民ライター

金閣寺の見える京都から、香美町に移住してきた渡辺さん。50 歳の節目に立ち止まり、「これからの人生も、このままでいいのか?」と考えたのが起点になりました。移住は夫婦で場所や環境、仕事も考えて少しずつ進め、最終的に夫婦そろって同じ目線が決めてになりました。それは釣りが好きでキレイな海に魅かれたこと。今は、海上タクシーで活躍し、趣味の釣りも謳歌しています。

 

—— 金閣寺近くの、まさに京都らしい京都から香美町に移住して来た渡辺さん。そのきっかけは

京都市内で内装(リフォーム)の仕事を自営でやっていました。住まいは金閣寺近くと二条城近くにありましたが、そこを売って香美町・佐津へやってきました。

リフォームの仕事は長年してきたので顧客もあり、やりがいもありましたが材料が高騰しているのに施工料金と合わない、などの悩みもありました。また、子どもたちの独立など、周りが変化してきた50 歳のときに、「このままでいいのかな?」と立ち止まって考えるようになったのです。これからは、ガツガツせずスローライフを楽しんでいけたら、本当にやりたいことをしていけたらと。

子どもたちとは距離が遠くなるし、仕事のことを考えると自信はなかったですが、妻から今がちょうどいいタイミングかも?と提案され、現実に移住することができたと思います。

また私の母が香美町香住区・奥安木の出身で、「故郷へ帰りたい」というようになったのも大きかったです。子どもの頃から夏休み毎に香美町の海で泳いでいて、馴染みがありました。

 

—– 住まいは、「空き家バンク」で。他に候補になった地域は

妻は大阪出身ですが子どもの頃、臨海学校で香美町香住区訓谷や、隣町の竹野の海を泳いでいて海の美しさに感動したと言っています。その体験から将来は海に関わる仕事がしたいと、スポーツ系専門学校へ進み在学中にダイビングインストラクターライセンスを取得しました。与論島で修行後、八重山諸島でガイドインストラクターをしていたこともあります。夫婦ともに、海が好きというのが共通していますね。

なので移住先に沖縄方面はもちろん選択肢にありましたが、但馬の四季の風景、雰囲気は最高だと感じていたので、但馬の物件にしぼって豊岡、竹野、城崎も見て回るように。住まい探しはなかなか決め手がなく苦労しました。結局、小さなスーパーや佐津駅、郵便局も近いですが静かな雰囲気の今の家に決めました。周りも穏やかな人が多いです。築70 年ですが、土台はしっかりしていたので、大工さんに入ってもらいキッチン・風呂などの水回りを全て取り替え、床の貼り替えもしてかなり本格的に。元々内装業だったのである程度自分でできました。2020 年秋頃から通いながら少しずつリフォームして、2021 年6 月には完全に移住しました。

購入した時の空き家 改装前

改装中

改装後1
改装後2

——– ずっと温めていた、本当にやりたかった事とは。

京都にいる時から夫婦共に釣りは大好きで自前の船を車で牽引して、琵琶湖でバス釣りなど楽しんでいました。趣味でしたが、いつかは船に乗る仕事をと思っていました。

なので小型船舶免許は元々持っていましたし、それが縁で海上タクシーに雇ってもらえることにつながりました。ゆくゆくは、日中は海上タクシーで観光案内、夜は釣り船でやっていけたらと夢を持っています。

 

——- 仕事については、どのように決めましたか。

たまたま入った香住の古民家カフェ「岡見亭」のマスターと、船の仕事ができたらなあ、くらいに世間話をしていたところ、海上タクシーの組合長をされている方に引き合わせてくれました。自分のやりたかった船のこと、小型船舶免許を持っている事などを話して、組合長を筆頭に周囲のお力添えと地元の方がたくさん応援してくれた縁によって、船を持つということが実現できました。地元の海で仕事する上で、環境のルールや海の危険についても学ぶため、カヤックとSUPの基礎指導者研修を夫婦で受講し、基礎指導者を取得しました。4 月中旬~10 月中旬まで、海上タクシーの舵をとり小さな船でしか行けない香住の海の秘境へ行き、観光のお客様に楽しんでもらっています。また『香住ジオクラブ』では、お客様が自分で楽しむカヤックのガイド補助のお手伝いもさせていただいています。

海上タクシーのオフシーズンは、主に地元の海鮮市場スタッフとして働いています。これも移住者である自分を後押ししてくださった人からの紹介で勤めることになりました。この仕事もまた、魚のこと、カニのこと、観光のお客様を中心に相手をするので、販売の仕事をしたことがない自分にはとても貴重な情報収集源となっています。

 

—— プライベートの楽しみ、趣味などは

京都では和太鼓保存会に入っていましたし、せっかく移住したので祭りなど地域活動にも参加したいのですが、住まいから職場まで少し離れています(JR だと2 駅)。土日が休日ということはないので、なかなか住んでいる佐津の人たちとまだ交流できないのが残念です。少しずつ交流の場を広げていきたいです。

もちろんこちらでも釣りは続けています。メジロ、カンパチなど釣果をあげて、漁協で自分の釣った魚を競りに出すのが次の目標です。あと雪があるシーズンは、おじろスキー場でスノーボードを楽しんでいます。四季を通して、この但馬地域はアウトドアが充実しています。

——– 移住を考える方へ向けて、また移住を受け入れる町に向けてのメッセージを。

 

香美町は本当に風景や四季折々の顔があり抜群に良い! そのキレイさに、日々の生活の中でふと景色を眺めるだけで、ハッとします。それにお米、但馬牛、魚もこれみんな香美町の?と、びっくりするくらい美味しい。

海上タクシーや、海鮮市場で町外のお客様と触れ合うことが多く、話していても「移住したい」と言われる方は結構おられます。しかし、現実にはよほど香美町が好きでないと難しいかもしれません。

今までの暮らしのルールがあって閉鎖的な感じは少しありますし、仕事が限られていることもネックになっているのかなと感じます。私たちは人が密ではなく自然の多い場所での暮らし方、やりたいことやご縁があってうまくやっていけそうですが、年々、人が減っているという話を聞くので人口減少は深刻だと思います。

もっと移住者を増やすなら、町が主導してカニなどの従来の特産に頼らず企業誘致するなど、新しい方向を考えて雇用を生むためにも、変化を嫌うことに対しての概念を、少し間口を広く持ってもらいたいです。ずっとこの土地で暮らしている方々が、自分たちの暮らす町はとても魅力のある町だと自信を持って声を上げてもらいたいです。個人の力では難しいので、仕事がもっと色々あれば広がる可能性は大きいと思います。魅力的な場所ですからね。

故郷のない私たちが香美町へ移り住みました。いつかこの町が自分たちの町と言えるように、そして「お父さんたちの好きな生き方をしたらいいやん」と、私たちの背中を押してくれた、生まれも育ちも都会で故郷のない息子たちへ、「ふるさと」と呼べる場所を作ってやりたいと思っています。

 

〜〜インタビュー終えて〜〜

人生のターニングポイントって誰にでもやってくると思うのですが、そのポイントで大きく舵を切ることができるのは自身の思いきりだけでなく、周りの環境、家族、仕事、お金など色々と壁があるものですね。特に年齢を重ねると壁は厚くなってくるかもしれません。その壁を砕き、先の世界に行くには「これでいいのか?」と向き合う強い思いと、ご縁や巡り合わせも大事ですね。渡辺さんとご家族の実行力にエールを送ります。

(2023.1.21 筆者:香美町町民ライター)

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