女性が輝く仕事。 「小代がむっちゃ好き」という化粧品販売員の朝倉さん。 地域とのつながりを大切に、毎日を楽しく、生き生きと過ごす暮らしぶり、仕事についてのお話を伺います。

女性が輝く仕事。 「小代がむっちゃ好き」という化粧品販売員の朝倉さん。 地域とのつながりを大切に、毎日を楽しく、生き生きと過ごす暮らしぶり、仕事についてのお話を伺います。

OJIRO AMABIE PROJECT (オジロ アマビエ プロジェクト)
ナリス化粧品 朝倉販売所 所長
エリアゾーンマネージャー 
朝倉  知香(あさくら ちか)さん

 世界的に猛威を振るう新型コロナウイルス。私たちの日常生活にも大きな影響を及ぼし、生活を一変させてしまいました。そんな中、『私たちに何ができるだろう?』『今、自分にできること』を考え実行にうつした人たちも多くいると思います。 香美町小代区で化粧品販売所の所長をされている朝倉さんもその中の一人でした。 今回は、小代区で生まれ、美容に関わるお仕事をされている朝倉さんに女性の働き方・生き方、また地域とのつながりなどについてのお話を伺います。

 ( 朝倉 知香 さん )( 知香さんのエステサロン〜SAKURA〜 )

ー「美容の仕事は楽しくて仕方ない。」という朝倉さんに、まずはお仕事について伺いたいと思います。  

 

始められたきっかけは?

「今から20年くらい前、まだ2人目の子どもを出産した直後、3人目の子どもがお腹にいる中で、「化粧品販売の仕事をやってみないか?」と知り合いの方から声をかけてもらい、最初は全然興味もなかったけれど、子供がいてもできる仕事、そしてノルマもないとわかって、まぁやってみようかな、と始めたのがきっかけです。 当初は自信もなく、緊張しながら知り合いに電話をかけたりしていたのですが、ある時、メイクをさせてもらったお客さんがとても喜んでくださり、「今までに見たことのない自分に出会えた。ありがとう。」と言われた時に、こんなに喜んでもらえる仕事はないんじゃないかと思った。エステをしても「気持ちよかった」と喜んでくださり、人から感謝されることに、すごく喜びを感じました。 ただ、当時は近くで同じ仕事をしている人もいなくて、兵庫県の北部では最初の販売所になったので、最初は少し大変な事もありました。」

( ホテルでのクリスマス会 )

 

大変だったことも前向きに。『楽しむこと』をモットーに、マイナスなことも楽しく考える!

「あまりに仕事に打ち込み、1〜2年で所長になるという、今思えばすごくスピード出世をしました。あまりに働いたことで、少し心のバランスを崩した時期があり、その時はすごく辛かったです。 だけどその経験があるので、それからは『楽しむこと』をモットーに、マイナスなことも楽しく考えるようにしよう!と思うようになりました。  例えば、田舎に住んでいてもとびきりのおしゃれをしてホテルでクリスマス会をしよう!とスタッフもお客さんも一緒に参加する、盛大なクリスマス会を企画して開催したり、  「美容の仕事に興味あるけど学ぶ制度が田舎にはない」を、 兵庫県北部でも美容レッスンを気軽に受けられるよう、6ヶ月の美容育成コースをオリジナルで立ち上げたりと、自分が経験して大変だったからこそ、その経験を活かして、新しいことをどんどん考えて実行しています。」

( 手作りマスクの寄付活動/小代地域局 )

( 手作りマスクの寄付活動/医療関係 )

手作りマスクの寄付活動/消防署 )

 

『誰かのために』と想う気持ちが仕事と地域とを繋いでいるように感じます。
コロナ自粛中に『OJIRO AMABIE PROJECT(オジロ アマビエ プロジェクト)』と題して、小代の自営業の女性グループで地域への恩返しに手作りマスクを寄付する活動をされていました。

ーどのような想いで始められたプロジェクトだったのですか?

「新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が出てから、エステなどの施術も様々なイベントもなくなり、年間スケジュールのもとで活動していたのに、ぱたりと仕事がなくなってしまいました。 これから先どうなるんだろうという不安の中、お客様にも迷惑かけたくないし、もうドンと構えて過ごそうと決め、空いた時間にマスクを作っていました。すると近所の方からも好評で、最初は売るつもりで作っていたのですが、医療関係の方など休みたくても休めない人がいることに気づき、それならば、そういった方々や地域への恩返しになればと、手作りマスクの寄付活動へとつながっていきました。  専門学校生と高校生の娘、コロナで大変な時に何かできないだろうかと、思いを同じにする小代区内の女性事業主の3人も加わり、それぞれが大量のマスクを作り、医療施設、福祉施設、消防署、警察署、町役場、小学校など、全部で約300枚のマスクを寄付しました。マスクのゴムの総数は私が使っただけでも314m!相当な数のマスクを日々、思いをこめて制作していました。  私の所属する会社は『for others〜人様のために〜』という企業理念を掲げています。 コロナでいろいろと困っていた時に真っ先に会社から水や消毒液、マスクなどの支援物資が送られてきて、私たち販売員はとても感動して、人に対する優しさは、とても心を豊かにする、と感じていたのです。」

( マスクと一緒に入れていたメッセージカード )

 

人を想う気持ちのバトンリレーがつながって、手作りマスクの寄付活動ヘつながった。 マスクを持って行った先々では「ありがとう」と、喜びの声があがり、本当に嬉しかった。

「本当にやってよかったと思いました。一人ではできなかったけど、仲間が背中を押してくれ、マスクを持って行った先々では「ありがとう」と、すごく喜んでくださり、たくさんの笑顔が見れました。私たちの方が逆に元気をたくさんもらい、おばちゃんでもまだやれるわ(笑)という自信にもつながりました。  私のしている仕事は『女性が輝けるお手伝いをすること』。そして「ありがとう」と喜んでもらえる仕事。 それぞれの生活スタイルにも合わせやすく、人との縁がたくさんできます。 「知香さんに会うと元気が出た!」と言ってくれる人がいて、そんな感じで、この地域に、笑顔の人がたくさん増えて、そのお手伝いができればとても嬉しいです。」  

 

最後に小代で生まれ育ってきた朝倉さんにとって小代はどんな存在ですか?小代は好きですか?と質問させていただいたところ、 「むっちゃ好き!」と即答でした。小代は特に「地元、小代がむっちゃ好き」という人が多い地域なのかもしれません。  手作りマスクの寄付活動の他にも、特別支援学校に講師として招かれ、マナーとしてのスキンケアやメイクの仕方の講習を行なったりもしています。住んでいる地域への素直な『好き』という気持ちが、感謝の気持ちになり、そしてまたつながっていく。愛に溢れていて、とてもたくましく感じました。   ここで暮らす一員としても、とても興味深く楽しいお話を伺いました。ありがとうございます!  

 

 

( 特別支援学校での講習の様子 )

 

 

 

( 著者:香美町町民ライター 中村 美和子 )

28歳で日本から飛び出しドイツ・ベルリンへ渡って13年。再び降り立った日本だが、その先は一度も行ったことのない香美町だった。

28歳で日本から飛び出しドイツ・ベルリンへ渡って13年。再び降り立った日本だが、その先は一度も行ったことのない香美町だった。

ミュージシャン 藤田 正嘉さん

  

——–日本人ですが、ドイツからの移住ということですね。まず、音楽家としての始まりを聞かせてください。

生まれ育ったのは神奈川県茅ヶ崎市です。ジャズ好きな父親の影響もあり、子供のころからドラムをたたいて、バンド活動などをしている音楽少年でした。22,3才の頃から自分で電子音楽、(*1)アンビエント音楽を作りたいと思うようになり、そのためにはドラムだけでは限界がある、音を打ち込んでいく上で初めは(*2)ビブラフォン奏者を探していました。ある日初めて本物のビブラフォンの演奏を間近で聴いていてこれだと思い、その方のレッスンを2,3年受けました。その後は独学で自分のやり方を模索しながら音楽作りを続けてきました。模索は今でも続いてます。

(*1)環境音楽とも言われ、ゆったりと静かで揺らぎのあるものが多い(*2)ビブラフォン:大きな鉄琴のような鍵盤打楽器

撮影:藤田 正嘉  2019年 香港のライブ会場にて ビブラフォン

 

 

——–ドラムもビブラフォンも「打つ」という動作はおなじですものね。東京を中心に活動していた音楽少年のその後は。

東京を中心に少しずつ自分でイベントなども開催しながらコンサートや音源制作をしていました。同時に、妻と一度海外でも暮らしてみたいという希望もあり、ヨーロッパを下見旅行などして移住先を探していました。そんな中、作品のデモもいろいろなレーベルに送っていたのですが、ドイツ・ベルリンの音楽レーベルから良い返事があったことと、当時、ベルリンには世界中からアーティストやミュージシャンが集まっていて面白いことが始まっているという話を聞いていたので、行ったこともなかったんですが結局ベルリンへの移住を決めました。2006年、28歳の時です。

 

音楽を吸収するには刺激的で理想的なベルリン。

——-意気揚々とした滑り出しですね。ドイツでの暮らしと音楽面はいかがでしたか。

ベルリンでは好きなミュージシャン、個性的なミュージシャンたちも身近にいて刺激的で多くを勉強できました。活動としてはヨーロッパをベースにしたコンサート活動が多くなってきました。音楽の他にもアート・文化の層が厚く懐も深いという印象ですね。またそれらを発表する場、機会も多く国やその他団体からのサポートも多いです。

撮影 Daniele Ferraro  2018年にイタリア・モデナ サン・バルトロメオ教会にて

 

自分の音楽創作にとっては、ここでいいのか、自問。

———それは理想的な環境です。そんな居心地の良いドイツに13年住まわれて移住を考えた理由は。

近年、2014年くらいから特にですが、ベルリンは高級志向な観光客やお金持ちの移住者がものすごく増えて、物価も高く住みにくくなってきました。私の主観ですが、それとともに最初は新鮮で熱かった街のパワーも徐々に生のエネルギーが弱っているなと。また、ドイツ以外でも都会はどこも似たような印象を感じるようになってきました。日本の都会もそうですね。発表する場という意味で仕事するのはベルリンにいた方がやりやすいのですが、13年住んでも、常にどこかホームとして感じられない、アウェイ感というかそういう感覚がありました。そこに暮らすために許可(ビザ)を取らなければいけなかったり、言葉の問題もあったんでしょうが、その土地との繋がりを感じられない、根無し草のような感覚がありました。私が音楽を作るとき、自然がモチーフになっていることが多いのですが、自分は住んでいる土地に繋がりを感じられないという違和感が、個人的には一番大きかったです。

香美町の大自然から生まれる音楽を世界へ発信。

—–長年住んだが故の悩みでしょうか。移住先の候補地としての条件は音楽制作を第一に考えたとのことですね。

自然の豊かなところで音楽制作をしたいと思っていました。第二のふるさとになりうる場所、根を張ってずっと暮らす場所ですね。7才と3才の双子の三人の子供がいて、山や森がすぐ見え海や川で遊べるところで育てたいというのもありますが、父親である私自身が生き生きと自然の中で音楽制作をしたり生活しているのが子供にもいい影響を与えると思いました。また、以前から日本の地方が面白くなってきているのも感じていましたし、住みたい場所、妻の仕事などを探すところから始めました。

撮影:藤田 正嘉 村岡区柤岡にて

——-日本への回帰も壮大なスケールを感じます。しかし、なぜ香美町へ?また決め手は何でしたか。

一時帰国の時に、下見として実際に足をはこんだ町もありましたが、日本に帰るといってもドイツからの移住ですので、ネットで情報を探すのがメインでした。自然豊かなところで海も山もある町というのは意外と少なかったんです。そんな中で、香美町には多彩な自然がそろっていて食べ物も美味しそうでしたし、人も、地元愛を持ってやる気のある面白そうな人たちがいらっしゃるように思いました。結局妻が地域おこし協力隊の仕事が決まったのが最後の決め手でした。多少の心配はありましたが、実際に行って住んでみないとわからないことの方が多いと思い、あまり悩むことなく一度も足を運ばず決めました。導かれるままに身を任せやってきたという感じです。実際、今年の冬に香美町に初めて来ましたが思った通りでした。目をやるとすぐ近くに山や緑があって、海がある。大乗寺の裏山、三田浜、カエル岩、滝など家族と何度か行きましたが本当に驚きがいっぱいで目を見張ります。こういう環境が、自分の音楽制作にどういうふうに影響してくるのか楽しみです。

 撮影:藤田 正嘉 香住区今子浦海岸

お客として来たのではない。第二のふるさとで根を張っていく。

——–今後の音楽活動と、ご家族との生活面ではどのように進めていきたいか展望を聞かせてください。

今はロンドンのレーベル、Erased Tapes(イレースト・テープス)に所属しており、2020年秋に新しいアルバムをリリース予定です。通常だとその後各国をツアーをするんですが、今の新型コロナの影響でどうなるかはまだわかりません。しかし、根元の音楽づくりはこの香美町でスタジオになる場所を見つけて、自然あふれる理想的な環境の中で創作していきたいです。いつか町内でも発表する場ができればと思います。

生活の面ではお客さんとして来たつもりではないので、地域の活動にも参加しながら、家族5人でワクワクを求めてこの第二のふるさと香美町で長く暮らしていきたいです。

また、近くの豊岡や鳥取にも、演劇などが活発で面白そうな人や場所があるようですね。そういう町が近くにあるのも魅力です。

 

——-この記事を読んでいる、移住を考えている方へメッセージを。

ネット環境がここまで広がり便利になった現代、都会に暮らしていなければ、ということは少なくなっていると思います。特にクリエイティブな面では都会にはない良い面や環境もあると思います。自然から刺激を受けて、精神的にもリラックスする香美町は選択肢に入ると思います。人が優しいのも新参者にはうれしいですね。

グローバルな視点を持ちながら、自分軸をもった彼の生き方と音楽の持つ世界感、気負ったところのない姿勢はその音楽とともに香美町へ新しい風を吹き込んでくれるかもしれない。壮大な余韻のある彼の音楽を聴けば、なぜ彼が香美町へ来たか理由がわかるような気がする。                        (著者:香美町町民ライター)

取材に際して、新型コロナウィルス感染予防対策に配慮して行いました。

空き家の使い道ないかな?香美町空き家バンクチラシできました。

空き家を売買・賃貸したい人と空き家を探している人を

橋渡しをする仕組みです!

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町内の空き家等の物件情報をウェブサイトで公開し、香美町への移住を希望されている方などへ物件情報や地域の情報を提供し、物件所有者と購入や賃貸を希望される利用者の橋渡しをする仕組みです。

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