週末移住者『おじろじろキャンプ場』現在開拓中(2021 年夏オープン予定)

週末移住者『おじろじろキャンプ場』現在開拓中(2021 年夏オープン予定)

キャンプ好きが高じて、小代区の山を購入した上山さんご夫婦。
最高のキャンプ場をつくりたい!と家族みんなで楽しみながら手作業での開拓。 小代と大阪を行き来する、週末移住のようなスタイルでキャンプ生活を満喫中!

            (左から 叔母の藤原孝子さん・上山知沙子さん・上山恭平さん )

2 年前の冬、小代区の山を購入した上山さんご夫婦。山を購入したきっかけは「自分たちの理想のキャンプ場を作るため」。
お二人の住まいは大阪、堺市。数年前から夫婦でキャンプにはまり、関西周辺の様々なキャンプ場を巡って楽しんでいた頃、キャンプからの帰り道は決まって二人で、キャンプ場についてのいろんな妄想をしていたそう。「ここのキャンプ場の露天風呂は最高やった!けど、もうちょっとこうだったらより最高なのに。私だったらこんなキャンプ場にする!」と。
そんなことを繰り返しているうちに、ふと、知沙子さんの中でこんな想いが浮かび上がってきたそうです。
「このキャンプ場巡りで私が思った『いいところ』取りをした『いいところ』だらけのキャンプ場を作りたい!」と。

いろいろな表情をもつ山に一目惚れ。

そこで早速、知沙子さん自ら、キャンプ場運営のための事業計画を立てて、キャンプ場建設のための山探しが始まりました。理想は傾斜ばかりの山ではなく、テントサイトが作れる広大な平地があり、景色もよい場所。
ネットで、山林バンクや山を専門に売買をする仲介サイトや田舎暮らし専門のサイトなどを調べ、気になったところに実際に見に行っている中で、小代の山との運命的な出会いがありました。
見てすぐに気に入り、キャンプ場になるイメージができたそう。

広い平地。ここがテントサイトに。

広さ 13 万坪(約 43 万 m²)という予想以上に広大な山林は平たんな広場が多く、山の中に林道も整っていて、杉林も森もあり、小川も流れる理想的な山。
「ダントツで気に入った。」という一目惚れした山を即決で購入し、その年の春から、週末通いのキャンプ場開拓がはじまりました。
知沙子さんの母、叔母さんにも「手伝って欲しい」と頼んだところ、こちらも即決で「やりたい!やろう、やろう!」と一家でのキャンプ場作りが始まりました。現在開拓中。2021 年夏にオープン予定です。
名前は『おじろじろキャンプ場』。

管理棟となる小屋を一から手作りで建設中。

さて、そもそもキャンプ場を作りたいと言っても、大阪で会社員の恭平さんのおやすみは週末だけ。
事務職をされている恭平さんと、元々エステサロンで働いていたという知沙子さん。母・叔母も田舎暮らしの経験もなく、まさに全員が手探り状態で始める作業の数々。
まずは山の整備。大量の草刈りに木の伐採。作業のために恭平さんはチェーンソーを使った木の伐採の訓練を受け、知沙子さんは電気の配線ができるように、電気工事の資格をとり、作業効率化のためショベルカーも乗りこなせるように。管理棟も知沙子さんが一人で設計図をひいて、一から作ったそう。
知沙子さんの母と叔母もどんどんキャンプの面白さにハマって、毎週末、夫婦と一緒に通い、楽しく作業を手伝っています。

 

上山さん一家が、楽しくキャンプ場を開拓している様子は、知沙子さんが動画で撮り、編集して Youtube で配信されています。 上山さん【兵庫でキャンプ場作り】https://www.youtube.com/channel/UCn93wskLvOXcjwRvJdRnlBQ
山にお風呂がない、なら作るしかない!と、山の中でドラム缶風呂に入る様子や、管理棟を一から作っている様子やトイレ問題だったり、自然溢れる山でのあんなことやこんなこと、Youtube 配信や SNS での発信もあり、多くの方が一家のファンになっています。
ドラム缶風呂作って入ってみた【家族でキャンプ場作り #13】https://www.youtube.com/watch?v=_NASqf51R8g&t=65s

「SNS で知り合いになった大工さんが手伝いに来てくれたり、小代の人たちとも仲良くなって、小代に来た時の拠点となる場所を提供してくれたり、作業を手伝いに来てくれたり、本当に小代は居心地がめっちゃいいです。親しみやすくて、Welcome な状態で受け入れてくれるので、わたしたちも自然と溶け込めている気がします。」と知沙子さん。
地域の行事に参加したり、小代の人たちとのつながりもしっかりでき、いい環境を築いている上山さん一家。みなさんの人柄・キャラクターもあり、すっかり小代に馴染んでおられます。

ー現在、開拓 2 年目。今度の予定は?どんなキャンプ場になりそうですか?

「1 年目はまず管理棟を作り、今はオープンのためにトイレ棟の建設中。管理棟には今年ウッドデッキをつけて、快適なキャンプ場へと少しずつ近づいてきています。次は露天風呂も作りたいです!」
「この自然のすばらしさを大切に、星空を楽しんだり、美しい景色を楽しめるキャンプ場にしたい。
すごく広いので、オートサイトでも普通の区画よりも広く作れると思う。隣が気にならない、ゆったり広々としたキャンプ場にしたいです。フリーサイトも、林の中やいろいろなところに作れるから、キャンプ好きにはたまらないと思います!」

叔母のつくるパンはプロ級!

週末だけの移住。もう一つの拠点作りで、人生をより楽しむヒントがたくさんつまっています。

そして知沙子さんの妄想も止まりません。
「やりたいことはたくさんあって、叔母が作るパンがおいしいと評判なので、叔母のパン屋さん計画を考えてます!
キャンプ場ができたら、ソーセージ作りなどの体験教室や、山の中でのカフェや、バイクで来たり、キャンプでなくても昼間にふらっと来て休憩できるカフェを森の中に作れたらいいなぁとか。あとは滝の水を使ってプール作れないかなぁとか(笑)
広いドッグランの中にテントを建てて犬と楽しみながらキャンプできるテントサイトや、自分たち専用の足湯がサイトの中にあって、いつでも足湯ができる足湯サイトや。ツリーハウスやコテージもいいなぁとか。たくさん妄想して、楽しみながら考えています。」

恭平さんも小代でのキャンプ場作りをする中で、毎日の仕事に対するモチベーションや、気持ちの変化があったそうで、
「自分たちで理想のキャンプ場を作るための開拓は本当に楽しくて、週末になったら山に行けると思ったら、仕事のストレスもなくなります。普段住んでいる場所とは違う場所がある、というのが心の支えというか、大阪から小代に行ってキャンプすることで、心のスイッチを切り替えられるので、毎日を楽しく過ごせています。」

大人の遊び場作り。それを全力で楽しむ上山さん一家。
最近はテレビや新聞などの取材も多く、全国的にも上山さん一家のキャンプ場作りの様子に注目が集まっています。

週末だけの移住。もう一つの拠点作りで、人生をより楽しむヒントがたくさんつまっています。これからオープンに向け、ますます楽しみながら素敵なキャンプ場をオープンさせてください。オープン後も開拓はまだまだ続きそうですね!

(左から知沙子さんの母と叔母)

(露天風呂予定地からの眺め)

<著者:香美町町民ライター 中村 美和子>

香住生まれ、香住育ち、自称『ふつうの香住人』地元企業勤めの守山聡彦さん

香住生まれ、香住育ち、自称『ふつうの香住人』地元企業勤めの守山聡彦さん

香美町の海側、香住生まれの香住育ち。小さい頃から、地元の海でのびのび遊び大きくなった、自称:『ふつうの香住人』守山聡彦(としひこ)さん。今回は、地元企業にお勤めの方に、スポットを当てました。高校卒業と同時に大学進学で香美町を離れましたが、「帰ってくるもんだ」と、22歳で帰郷しました。

まず、仕事に真正面から真剣に取り組んでいる顔が見えました。そしてプライベートでは愛妻家で家族を大事にするやさしい横顔。守山さんは、仕事も日々の暮らしも積極的に楽しんでいるように見えます。彼が『ふつうの香住人』だったら、「積極的に楽しむのがふつう」が香住人、ともいえますね。ご家族お揃いの週末に、ご自宅へ伺いました。

      

ふりかえれば、香住の海と魚が原点

—————–どんな少年、青年時代で、現在の仕事に至っているか聞かせてください。

香住の海の近くで生まれ、育ちました。小さな頃から暗くなるまで友だちと海や近くの山で遊び、地元の魚を食べて大きくなった、本当に香住によくいる普通の香住の男子です。父は漁業協同組合に勤めていましたし、祖父は紅ズワイガニの漁師でした。それに母方の実家は水産加工場だったので、高校生・大学生の時にはアルバイトもよくさせてもらっていました。思えば、「魚」というものが自然なかたちで身近にいつもありましたね。

大学時代の4年間は、町外に出ていましたが長男だったこともあり卒業とともに帰ってきました。 仕事については、せっかく帰郷するのだから地元で働きたいと思っていて、新卒で就職したのはある地元の銀行です。香住区以外の営業店で渉外担当や融資担当に配属され外回りで様々な企業・事業所へ行き、また、本部では企画などの仕事をしていました。自分がピースになって、企業への支援に携わりそのことによって企業も潤い喜ばれる、というのは私の喜びでもあり視野も広がり大きな勉強ができました。

また、厳しいルールも叩き込まれ、提案型の営業スタイルを磨けたことなど、ここで私の社会人としての基盤ができたと思います。しかし10年勤めたところで、転機がきます。

地元・香住の企業で働きたいという気持ちが段々と強くなっていました。特に意識して水産関係へとは思っていませんでしたが、縁あって知り合いの方から声をかけていただきました。香住で獲れるカニ、ホタルイカなどを使って加工販売するこの会社は、小さな頃から魚に触れて育った私のDNAに自然とピッタリきた気がしました。

販売網を全国に展開している会社で私は営業部にいます。鳥取、京都、滋賀、大阪など取引先の担当で、香住の水産食品を知ってもらうため飛び回って6年が経ちますが、仕事はおもしろく、充実しています。職種は違いますが、10年の銀行勤務で培ってきたことは今も生かせていると思います。

 

家族で楽しむアウトドア。庭でも楽しむアウトドア。

—————– 熱い仕事談義でしたが、なにより常に真っ向から考え、それを自分自身にフィードバックする積極的な姿勢が素晴らしいですね。仕事人としては熱いのですが、プライベートではどんな毎日ですか?

20代後半の時に、同じ銀行で知り合った女性と結婚しました。妻は、おとなり豊岡市出身で今も町内の金融機関に勤めています。

お互いに会社まで車で5分で、通勤は楽ですね。また、海まで5分なので私が子どもの頃と同じく夏は泳いだり、もぐったりですね。また、妻の実家は神鍋高原に近いので、ここからは車で50分ほどかかりますが、冬はスノーボード、夏はキャンプを楽しみます。バーべキューやシュラフなどキャンプグッズを揃えて楽しもうとしていたところにコロナ禍で制限が出て行けなくなりましたが、発想転換して我が家の庭にテントを張ってシュラフに家族で寝ました。都会でもベランダでキャンプする「ベランピング」というのをやっているみたいで、そこからヒントを得てやってみた「庭キャンプ」ですが、これで結構、非日常が味わえて良かったですよ。また、3人の小学生の子どものうち男の子は地元のサッカーチームに入って香住小学校のグラウンドで練習しています。まだ本格的とはいえないんですが、親子でボールを追いかけています。神鍋高原でタケノコ堀り神鍋高原でキャンプ

 

—————– 一気にのんびりした口調になる守山さんのとなりで微笑む奥さまの真美さん、結婚を機に豊岡市から香美町へ来られての感想はいかがでしょう?

やはり魚が美味しい、というのが一番ですね。子どもたちもいろんな種類の魚料理が大好きです。子育てに関しては、しおかぜ香苑(*1)、今子浦にも公園があり外遊びは充実していますが、雨や雪のときの屋内施設が少ないかなと思います。年齢によって遊び方が違うので難しいかもしれませんが、以前あった予約のいらない「ゆうぷる」のような施設があればうれしいです。そして屋外施設にはぜひ屋根付きの休憩場所が増えればありがたいですね。休憩場所が増えると高齢の方やどんな方にも使いやすくなると思います。

(*1)しおかぜ香苑(こうえん):香住海岸沿いにある公園で散策やスポーツ、レクリエーションなどに利用できる。

 

恵まれているのは、災害の少なさ、おいしい食。心配は医療体制。

—————– 子育て世代ならではの意見が出たところで、香美町の良い点、気になる点を上げてみてください。

まず良い点ですが、私は地元の消防団に入っていますが大きな災害が少ないと感じます。確かに今はどこでゲリラ豪雨や地震、台風があってもおかしくないですし、環境にもよるとは思いますが、香美町は比較的自然災害は少ないと思います。

また、繰り返しになりますが、魚は美味しいです。加えて肉も、水も美味しい。水道をひねって出てくる水が冷たくて、おいしく飲めるというのは、贅沢なことですよね。

医療費についても、高校3年まで無料なのはありがたいです。

気になる点は、医療です。個人医院が少なく、公立病院は香住区ではひとつしかない香住病院ですが、診療科も少なく救急病院ではないので、休日や夜間は車で約30分の豊岡病院になります。急な病気・ケガのときはこちらも焦っていますが、たとえば緊急時、今だったらどこに連絡したらいいのか、どこに窓口があり、誰に相談したらいいのか、住んでいてもわかりにくいです。

また、30代の今はいいですが、車も運転できなくなってくる高齢になった時に心配かな。相談できる機関、支援・アドバイスしてくれるところが充実していてほしいと思います。(*2)

 

香住弁にご注意(?)

—————– 香美町をよく知る守山さんから、移住してくる方へ向けてメッセージを

香美町の(特に香住の)人間は、口調がきついとよく言われますが、それはただの方言です。あったかくていい人が多いので、怖がらず安心して来てください。

大学時代のエピソードです。私が香住の友人と香住弁で話す会話を隣で聞いていた、徳島の友人が、「まあまあ、そんなケンカしないで—-」と割って入ってきたことがありました。私たちは普通に話していただけでしたが、ケンカしていると誤解されてしまったのです。今となっては笑い話ですが、当時は「香住弁はケンカ腰?なぜ?」と不思議に思ったものです。

また、田舎独特の近所づきあいというのがあります。敬遠しないで地域の活動、PTAなど参加してみたら楽しいこともあり、地域や周りを早く知ることにもなります。話しやすい環境なので、慣れるには地域活動に参加してみてもいいと思います。

 

時に熱く饒舌に、時にユーモアを交えのんびりと語っていただきました。実際に香美町に長く暮らし、企業に勤めておられる守山さんのお話は、移住を考える方にとって参考になったのではないかと思います。守山さん、ありがとうございました。

( 著者:香美町町民ライター)

 

(*2) 守山さんの話を受けて、香美町役場企画課調べ / 香美町での医療・緊急時について

豊岡病院救急・救命センター(緊急外来は緊急性の高い方のみご利用ください。tel 0796-22-6111)

https://www.toyookahp-kumiai.or.jp/toyooka/minasama/kyukyu/

公立香住病院・救急外来/(時間外及び休日の救急医療対応は、午後9時まで。事前に症状などを電話でご連絡ください tel 0796-36-1166)

http://www2.nkansai.ne.jp/org/kasumihp/kakuka/kyuukyuugairai.htm

 

兵庫県小児科医会 小児一次救急 但馬(tel (昼)0796-23-9219  (夜)0796-23-9219)

兵庫県子ども医療電話相談(tel #8000 または 078-304-8899)

https://web.pref.hyogo.lg.jp/kf15/hw11_000000013.html

 

女性が輝く仕事。 「小代がむっちゃ好き」という化粧品販売員の朝倉さん。 地域とのつながりを大切に、毎日を楽しく、生き生きと過ごす暮らしぶり、仕事についてのお話を伺います。

女性が輝く仕事。 「小代がむっちゃ好き」という化粧品販売員の朝倉さん。 地域とのつながりを大切に、毎日を楽しく、生き生きと過ごす暮らしぶり、仕事についてのお話を伺います。

OJIRO AMABIE PROJECT (オジロ アマビエ プロジェクト)
ナリス化粧品 朝倉販売所 所長
エリアゾーンマネージャー 
朝倉  知香(あさくら ちか)さん

 世界的に猛威を振るう新型コロナウイルス。私たちの日常生活にも大きな影響を及ぼし、生活を一変させてしまいました。そんな中、『私たちに何ができるだろう?』『今、自分にできること』を考え実行にうつした人たちも多くいると思います。 香美町小代区で化粧品販売所の所長をされている朝倉さんもその中の一人でした。 今回は、小代区で生まれ、美容に関わるお仕事をされている朝倉さんに女性の働き方・生き方、また地域とのつながりなどについてのお話を伺います。

 ( 朝倉 知香 さん )( 知香さんのエステサロン〜SAKURA〜 )

ー「美容の仕事は楽しくて仕方ない。」という朝倉さんに、まずはお仕事について伺いたいと思います。  

 

始められたきっかけは?

「今から20年くらい前、まだ2人目の子どもを出産した直後、3人目の子どもがお腹にいる中で、「化粧品販売の仕事をやってみないか?」と知り合いの方から声をかけてもらい、最初は全然興味もなかったけれど、子供がいてもできる仕事、そしてノルマもないとわかって、まぁやってみようかな、と始めたのがきっかけです。 当初は自信もなく、緊張しながら知り合いに電話をかけたりしていたのですが、ある時、メイクをさせてもらったお客さんがとても喜んでくださり、「今までに見たことのない自分に出会えた。ありがとう。」と言われた時に、こんなに喜んでもらえる仕事はないんじゃないかと思った。エステをしても「気持ちよかった」と喜んでくださり、人から感謝されることに、すごく喜びを感じました。 ただ、当時は近くで同じ仕事をしている人もいなくて、兵庫県の北部では最初の販売所になったので、最初は少し大変な事もありました。」

( ホテルでのクリスマス会 )

 

大変だったことも前向きに。『楽しむこと』をモットーに、マイナスなことも楽しく考える!

「あまりに仕事に打ち込み、1〜2年で所長になるという、今思えばすごくスピード出世をしました。あまりに働いたことで、少し心のバランスを崩した時期があり、その時はすごく辛かったです。 だけどその経験があるので、それからは『楽しむこと』をモットーに、マイナスなことも楽しく考えるようにしよう!と思うようになりました。  例えば、田舎に住んでいてもとびきりのおしゃれをしてホテルでクリスマス会をしよう!とスタッフもお客さんも一緒に参加する、盛大なクリスマス会を企画して開催したり、  「美容の仕事に興味あるけど学ぶ制度が田舎にはない」を、 兵庫県北部でも美容レッスンを気軽に受けられるよう、6ヶ月の美容育成コースをオリジナルで立ち上げたりと、自分が経験して大変だったからこそ、その経験を活かして、新しいことをどんどん考えて実行しています。」

( 手作りマスクの寄付活動/小代地域局 )

( 手作りマスクの寄付活動/医療関係 )

手作りマスクの寄付活動/消防署 )

 

『誰かのために』と想う気持ちが仕事と地域とを繋いでいるように感じます。
コロナ自粛中に『OJIRO AMABIE PROJECT(オジロ アマビエ プロジェクト)』と題して、小代の自営業の女性グループで地域への恩返しに手作りマスクを寄付する活動をされていました。

ーどのような想いで始められたプロジェクトだったのですか?

「新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が出てから、エステなどの施術も様々なイベントもなくなり、年間スケジュールのもとで活動していたのに、ぱたりと仕事がなくなってしまいました。 これから先どうなるんだろうという不安の中、お客様にも迷惑かけたくないし、もうドンと構えて過ごそうと決め、空いた時間にマスクを作っていました。すると近所の方からも好評で、最初は売るつもりで作っていたのですが、医療関係の方など休みたくても休めない人がいることに気づき、それならば、そういった方々や地域への恩返しになればと、手作りマスクの寄付活動へとつながっていきました。  専門学校生と高校生の娘、コロナで大変な時に何かできないだろうかと、思いを同じにする小代区内の女性事業主の3人も加わり、それぞれが大量のマスクを作り、医療施設、福祉施設、消防署、警察署、町役場、小学校など、全部で約300枚のマスクを寄付しました。マスクのゴムの総数は私が使っただけでも314m!相当な数のマスクを日々、思いをこめて制作していました。  私の所属する会社は『for others〜人様のために〜』という企業理念を掲げています。 コロナでいろいろと困っていた時に真っ先に会社から水や消毒液、マスクなどの支援物資が送られてきて、私たち販売員はとても感動して、人に対する優しさは、とても心を豊かにする、と感じていたのです。」

( マスクと一緒に入れていたメッセージカード )

 

人を想う気持ちのバトンリレーがつながって、手作りマスクの寄付活動ヘつながった。 マスクを持って行った先々では「ありがとう」と、喜びの声があがり、本当に嬉しかった。

「本当にやってよかったと思いました。一人ではできなかったけど、仲間が背中を押してくれ、マスクを持って行った先々では「ありがとう」と、すごく喜んでくださり、たくさんの笑顔が見れました。私たちの方が逆に元気をたくさんもらい、おばちゃんでもまだやれるわ(笑)という自信にもつながりました。  私のしている仕事は『女性が輝けるお手伝いをすること』。そして「ありがとう」と喜んでもらえる仕事。 それぞれの生活スタイルにも合わせやすく、人との縁がたくさんできます。 「知香さんに会うと元気が出た!」と言ってくれる人がいて、そんな感じで、この地域に、笑顔の人がたくさん増えて、そのお手伝いができればとても嬉しいです。」  

 

最後に小代で生まれ育ってきた朝倉さんにとって小代はどんな存在ですか?小代は好きですか?と質問させていただいたところ、 「むっちゃ好き!」と即答でした。小代は特に「地元、小代がむっちゃ好き」という人が多い地域なのかもしれません。  手作りマスクの寄付活動の他にも、特別支援学校に講師として招かれ、マナーとしてのスキンケアやメイクの仕方の講習を行なったりもしています。住んでいる地域への素直な『好き』という気持ちが、感謝の気持ちになり、そしてまたつながっていく。愛に溢れていて、とてもたくましく感じました。   ここで暮らす一員としても、とても興味深く楽しいお話を伺いました。ありがとうございます!  

 

 

( 特別支援学校での講習の様子 )

 

 

 

( 著者:香美町町民ライター 中村 美和子 )

28歳で日本から飛び出しドイツ・ベルリンへ渡って13年。再び降り立った日本だが、その先は一度も行ったことのない香美町だった。

28歳で日本から飛び出しドイツ・ベルリンへ渡って13年。再び降り立った日本だが、その先は一度も行ったことのない香美町だった。

ミュージシャン 藤田 正嘉さん

  

——–日本人ですが、ドイツからの移住ということですね。まず、音楽家としての始まりを聞かせてください。

生まれ育ったのは神奈川県茅ヶ崎市です。ジャズ好きな父親の影響もあり、子供のころからドラムをたたいて、バンド活動などをしている音楽少年でした。22,3才の頃から自分で電子音楽、(*1)アンビエント音楽を作りたいと思うようになり、そのためにはドラムだけでは限界がある、音を打ち込んでいく上で初めは(*2)ビブラフォン奏者を探していました。ある日初めて本物のビブラフォンの演奏を間近で聴いていてこれだと思い、その方のレッスンを2,3年受けました。その後は独学で自分のやり方を模索しながら音楽作りを続けてきました。模索は今でも続いてます。

(*1)環境音楽とも言われ、ゆったりと静かで揺らぎのあるものが多い(*2)ビブラフォン:大きな鉄琴のような鍵盤打楽器

撮影:藤田 正嘉  2019年 香港のライブ会場にて ビブラフォン

 

 

——–ドラムもビブラフォンも「打つ」という動作はおなじですものね。東京を中心に活動していた音楽少年のその後は。

東京を中心に少しずつ自分でイベントなども開催しながらコンサートや音源制作をしていました。同時に、妻と一度海外でも暮らしてみたいという希望もあり、ヨーロッパを下見旅行などして移住先を探していました。そんな中、作品のデモもいろいろなレーベルに送っていたのですが、ドイツ・ベルリンの音楽レーベルから良い返事があったことと、当時、ベルリンには世界中からアーティストやミュージシャンが集まっていて面白いことが始まっているという話を聞いていたので、行ったこともなかったんですが結局ベルリンへの移住を決めました。2006年、28歳の時です。

 

音楽を吸収するには刺激的で理想的なベルリン。

——-意気揚々とした滑り出しですね。ドイツでの暮らしと音楽面はいかがでしたか。

ベルリンでは好きなミュージシャン、個性的なミュージシャンたちも身近にいて刺激的で多くを勉強できました。活動としてはヨーロッパをベースにしたコンサート活動が多くなってきました。音楽の他にもアート・文化の層が厚く懐も深いという印象ですね。またそれらを発表する場、機会も多く国やその他団体からのサポートも多いです。

撮影 Daniele Ferraro  2018年にイタリア・モデナ サン・バルトロメオ教会にて

 

自分の音楽創作にとっては、ここでいいのか、自問。

———それは理想的な環境です。そんな居心地の良いドイツに13年住まわれて移住を考えた理由は。

近年、2014年くらいから特にですが、ベルリンは高級志向な観光客やお金持ちの移住者がものすごく増えて、物価も高く住みにくくなってきました。私の主観ですが、それとともに最初は新鮮で熱かった街のパワーも徐々に生のエネルギーが弱っているなと。また、ドイツ以外でも都会はどこも似たような印象を感じるようになってきました。日本の都会もそうですね。発表する場という意味で仕事するのはベルリンにいた方がやりやすいのですが、13年住んでも、常にどこかホームとして感じられない、アウェイ感というかそういう感覚がありました。そこに暮らすために許可(ビザ)を取らなければいけなかったり、言葉の問題もあったんでしょうが、その土地との繋がりを感じられない、根無し草のような感覚がありました。私が音楽を作るとき、自然がモチーフになっていることが多いのですが、自分は住んでいる土地に繋がりを感じられないという違和感が、個人的には一番大きかったです。

香美町の大自然から生まれる音楽を世界へ発信。

—–長年住んだが故の悩みでしょうか。移住先の候補地としての条件は音楽制作を第一に考えたとのことですね。

自然の豊かなところで音楽制作をしたいと思っていました。第二のふるさとになりうる場所、根を張ってずっと暮らす場所ですね。7才と3才の双子の三人の子供がいて、山や森がすぐ見え海や川で遊べるところで育てたいというのもありますが、父親である私自身が生き生きと自然の中で音楽制作をしたり生活しているのが子供にもいい影響を与えると思いました。また、以前から日本の地方が面白くなってきているのも感じていましたし、住みたい場所、妻の仕事などを探すところから始めました。

撮影:藤田 正嘉 村岡区柤岡にて

——-日本への回帰も壮大なスケールを感じます。しかし、なぜ香美町へ?また決め手は何でしたか。

一時帰国の時に、下見として実際に足をはこんだ町もありましたが、日本に帰るといってもドイツからの移住ですので、ネットで情報を探すのがメインでした。自然豊かなところで海も山もある町というのは意外と少なかったんです。そんな中で、香美町には多彩な自然がそろっていて食べ物も美味しそうでしたし、人も、地元愛を持ってやる気のある面白そうな人たちがいらっしゃるように思いました。結局妻が地域おこし協力隊の仕事が決まったのが最後の決め手でした。多少の心配はありましたが、実際に行って住んでみないとわからないことの方が多いと思い、あまり悩むことなく一度も足を運ばず決めました。導かれるままに身を任せやってきたという感じです。実際、今年の冬に香美町に初めて来ましたが思った通りでした。目をやるとすぐ近くに山や緑があって、海がある。大乗寺の裏山、三田浜、カエル岩、滝など家族と何度か行きましたが本当に驚きがいっぱいで目を見張ります。こういう環境が、自分の音楽制作にどういうふうに影響してくるのか楽しみです。

 撮影:藤田 正嘉 香住区今子浦海岸

お客として来たのではない。第二のふるさとで根を張っていく。

——–今後の音楽活動と、ご家族との生活面ではどのように進めていきたいか展望を聞かせてください。

今はロンドンのレーベル、Erased Tapes(イレースト・テープス)に所属しており、2020年秋に新しいアルバムをリリース予定です。通常だとその後各国をツアーをするんですが、今の新型コロナの影響でどうなるかはまだわかりません。しかし、根元の音楽づくりはこの香美町でスタジオになる場所を見つけて、自然あふれる理想的な環境の中で創作していきたいです。いつか町内でも発表する場ができればと思います。

生活の面ではお客さんとして来たつもりではないので、地域の活動にも参加しながら、家族5人でワクワクを求めてこの第二のふるさと香美町で長く暮らしていきたいです。

また、近くの豊岡や鳥取にも、演劇などが活発で面白そうな人や場所があるようですね。そういう町が近くにあるのも魅力です。

 

——-この記事を読んでいる、移住を考えている方へメッセージを。

ネット環境がここまで広がり便利になった現代、都会に暮らしていなければ、ということは少なくなっていると思います。特にクリエイティブな面では都会にはない良い面や環境もあると思います。自然から刺激を受けて、精神的にもリラックスする香美町は選択肢に入ると思います。人が優しいのも新参者にはうれしいですね。

グローバルな視点を持ちながら、自分軸をもった彼の生き方と音楽の持つ世界感、気負ったところのない姿勢はその音楽とともに香美町へ新しい風を吹き込んでくれるかもしれない。壮大な余韻のある彼の音楽を聴けば、なぜ彼が香美町へ来たか理由がわかるような気がする。                        (著者:香美町町民ライター)

取材に際して、新型コロナウィルス感染予防対策に配慮して行いました。

空き家の使い道ないかな?香美町空き家バンクチラシできました。

空き家を売買・賃貸したい人と空き家を探している人を

橋渡しをする仕組みです!

https://kamicho-ijyu.com/cms2/house/ 

町内の空き家等の物件情報をウェブサイトで公開し、香美町への移住を希望されている方などへ物件情報や地域の情報を提供し、物件所有者と購入や賃貸を希望される利用者の橋渡しをする仕組みです。

空き家バンクチラシPDF

ダウンロードは ↑ ↓

空き家バンクチラシPDF