「香美町」だから見つかる、新しい暮らし方

「香美町」だから見つかる、新しい暮らし方

これまでの暮らしに疑問がある、これからは新しいことをはじめたい、自分の力を試してみたい。急激な変化にさらされる今の世の中だからこそ、「落ち着いた頃、自分はどう生きたいか、どう暮らしたいか」をこの機にじっくりみつめてみませんか。

この記事では、働き方、育て方、つながり方の3つの切り口から、香美町ならではの暮らし方や魅力について、これまで行ってきたインタビュー記事をまとめました。

こんな働き方がある!~広大なフィールドで自由に自分を表現~

自然が相手の真っ直ぐな営み。香美町の食を支える仕事

香美町は広大な海に面し、豊かな山や川のある町です。その広大なフィールドと、豊富な自然の資源を生かして働く人たちもいます。

自然相手の仕事はまさに手探り。一筋縄では行かない部分もありますが、その中から得る手応えもまた大きく、次のモチベーションへと繋がります。

都会の暮らしではできないような仕事が香美町にはあります。自分の携わったものを、受け取った人が喜んでくれること、質の高さに驚いてくれること。誰かを喜ばせるという、働くことの根源の喜びを直接感じられるのが、自然の中で働く人たちの一番のやりがいです。

▼香美町の海と向き合う漁師さんに聞く、漁場探しの葛藤や陸での過ごし方

▼「がんばった分だけ牛が返してくれる」若手牛飼いの男性に聞く、牛飼いの仕事の奥深さ

▼香美町の海産物の質の高さを伝えたい!海産物バイヤーの経験を生かして情報発信、ネットショップ開設。

 

幼い頃から見てきた家業を自分ならではのスタイルで受け継ぐ

幼い頃の思い出がたくさん詰まったふるさとで、働く親の背中を見て育った人たちの中には、いつしかその事業を自分の夢、進路として思い描くようになった人たちもいます。

自分を取り巻いてきた、当たり前だと思っていたふるさとに、大きな可能性や価値があったことを、進学や就職で外に出てから気づいた…と語る人がたくさんいます。はじめは地方出身だということに劣等感を感じていたという人も、出会う人出会う人に「いいところで育ったね」と言われ、改めてふるさと香美町の魅力に気づいたと言います。

先代の仕事スタイルを敬いつつ、若い感性で新しい経営スタイルを取り入れたり、新しい切り口で魅力を発信したり。感性と想像力、信念を持った事業継承の仕方が香美町にはあります。

▼家業を継ぐために大阪に修行へ。そこで気づいた故郷の魅力。

▼石材加工の仕事が好きだと思えて、生まれ育った場所で働けているのは幸せなこと。

▼都会の飲食店プロデュースを経て、民宿の後継と飲食店の経営にチャレンジ。

多様な仕事を生み出す人を応援するまち、香美町。

香美町で自分の信念をもち新しい働き方を生み出していく人たちを、香美町の人たちは見守り、応援し、頼りにしています。多様に働きかたがある中、まだ開拓されていない分野も多く存在します。未開拓な分野が多い分、新たな仕事に踏み出しやすく、比較的自由度の高い働き方が選べるのも香美町の魅力です。

▼地域おこし協力隊を卒業後、地域の男性と結婚し、ゲストハウスをオープン。

▼木のぬくもり、手仕事に囲まれ、自然の中のライフスタイルを提示するピッツァレストランをオープン。

▼小代のデザイン事務所。撮影、チラシ、ウェブなどあらゆる方法で香美町の魅力を発信します。

▼香住では珍しい雑貨屋さんが、多くの人に愛されている理由とは。

 

こんな育て方がある!~地域に愛着を持つ総合的なサポート~

「自然豊かな環境で、のびのびと子どもを育てたい」と漠然と考えていても、一体地方ではどんな教育が受けられて、どんな子どもに育っていくのか、具体的にわからなければ地方に飛び込むのも不安があります。

子育てには地域コミュニティとの連携も大切です。家庭の中だけのことに思える子育ても、実は地域社会と密接につながっています。香美町での子育て環境には、地域とのつながりを肌で感じることができる場面が多くあります。

地域性を生かした学びのカリキュラムがあり、少人数のきめ細かい教育だけでなく子どもたちが地域の人と触れ合って大きく育っていくための機会もあります。また、「海洋科学科」のある香住高校、「地域創造類型」や「スポーツ類型」のある村岡高校など、特色ある香美町ならではの高校や、小代区の大自然を体いっぱいに感じるスキースクールなど、地盤を活かした育ちや学びがある一方、都会のノウハウを生かした学力定着のための学習塾が人気を博すなど、トータルで子どもの学びや育ちをサポートする環境が揃っています。

育て方おすすめ記事

▼個別の課題に合わせたきめ細かい指導、一人ひとりが大切にされる教育環境。

▼県内唯一の海洋科学科がある香住高校で学べることは。

▼使命を持った地域の一員として学ぶ、地域活性化に向けた特色ある村岡高校の教育プログラム。

▼西日本内でも強豪と言われる「おじろジュニアスキークラブ」、学べることはスキーだけではなく…

▼都市部で当たり前にある教育環境を地方にも。学力定着と受験勉強のサポートを。

 

こんなつながり方がある!~オープンなグループ活動、人が集まれる空間~

新天地で暮らしを始めるときにやっぱり気になるのが人間関係。誰も知り合いの居ない中に飛び込んでいくのはやはり勇気がいります。香美町には、地元の人からIターンの人までみんなで集まったり、イベント運営をしたり、話したりと楽しめるグループがあり、新しく入ってくる方にもオープンな印象があると移住者の方は口を揃えます。

「はじめは知り合いも居なくて慣れなかったんですけど、活動に参加することで出会いがあり、今ではどこに行っても知り合いに会うほどです。」

「子どもたちの成長も地域の人が暖かく見守ってくれ、本当に居心地がいいなと感じています」

「拠点があることで人と知り合えたし、村の中にも入っていけて、地域を好きになった。自分も新しく来た人にそういう場所をつくることができたら」

などなど、最初は戸惑いを感じていても、香美町の人のオープンさ、距離の近さに心を開き、また自分たちも新しく人を迎えていきたいと先輩移住者の多くが考えています。

働くこと、住むことは生活の基本ですが、サードプレイスとして趣味や仲間の拠点があると人生はぐっと豊かになります。生活の中で行き詰まることがあっても、話して分かち合える人とのつながりが、新しい生活の中で大きな支えとなります。

「香美町には面白い人がまだまだたくさんいると思います。得意なこと、好きなこと、ジャンルごとに集めていって、その中で知らなかった人と知り合える出会いの場が提供できたらと思います」

新しい出会いを求めて香美町に来る人を、暖かく迎え、入りやすいよう門戸を開く。人とのつながりを感じられるグループ活動が数々行われています。また、人が集まって活動できる場作り、人がゆったりとお話できるような場作りに力を尽くす人もいます。香美町で「人とつながる」チャンスは踏み出せばたくさんあるものです。

つながり方おすすめ記事

▼古民家を改装し、若者たちが集まって楽しめる場所づくりを。

▼イベントや学校での活動を通し、魚食をもっと広げたい。

▼廃校になった中学校を活用。宿泊施設や、地元の人々が集まって活動できる場所に。

▼「長居してもらったほうが、居心地がいいと思っていただけるようで、私たちは嬉しいんです」。人の居場所になるカフェを。

 

香美町でみつけたい、新しい暮らし

人も、まちも、生き方も、新しくなっていく。新しい価値観が形成されつつある今の社会に、自分だけのフィールドに旗を立てて生きていきたいという人たちにとって、香美町は絶好のフィールドであるといえるのではないでしょうか。

経験をいかして、地方の教育に支援の手を。都市から移住し、手探りで始めた学習塾。

経験をいかして、地方の教育に支援の手を。都市から移住し、手探りで始めた学習塾。

「できることをすればいい。失敗してもいいじゃないか。」

村岡校を中心に、関宮・養父・淡路に教室を展開している学習塾 SUPPORTEST(サポーテスト)の代表を務める岡先生。

長年、関西圏の進学塾講師として働いていた岡先生に転機が訪れたのは7年前。

前代表の王地さんに誘われる形で、村岡に移住し、地域に根ざした学習塾作りがはじまりました。

 

都市部では当たり前にある学習環境が、田舎では同じようにないのではないか?

都会のような大規模なものでなくてもいい、小規模でも必要なのではないか?

地方であっても、教育格差があってはならない。少しでも教育格差が是正できれば、

そんな二人の熱い思いから、サポーテストは始まりました。

学習支援サービスSUPPORTEST 代表 岡 伸二郎さん

 

サポーテストという名前は、support(サポート:支援する)の最上級という意味で、「生徒・保護者の立場になって、さまざまなニーズに最大限の支援を行う。」という願いを込めて、名付けられています。

 

地域の方へも思いが伝わり、二人で共同生活をしながら、縁もゆかりもなかった『村岡』に少しずつ慣れながら、生徒数も徐々に増え、少人数でスタートした教室が、今は 4 校、130 人ほどの生徒数になっているそうです。

 

 

一緒に始めた王地さんは、もう一度学び直したいと、社会人大学院生として改めて大学に入り、現在は勉強 · 研究を行っておられるそうです。

生徒さん第一に、一人一人に寄り添って、かゆいところに手が届く塾。

そんな存在となって、地域に受け入れられています。

 

―とはいえ、最初は全く違う環境に、とまどいはなかったですか?

 

 

「最初、村岡に来た当初は、今までの環境とのギャップにとまどい、”本当に自分にで

きるのだろうか?”という不安もあったのですが、前代表の王地に『できることをすればいい。』と言われてから、気持ちが軽くなりました。

『よそ者』をうまく利用して、非日常を楽しみ、新たなチャレンジができる。そうか、失敗してもいいじゃないか。と思えた。

私は車に乗らないんですが、歩くのも楽しいですよ。都市と比べて、極端に不便とも感じないし、歩いていても買い物していても話しかけてもらったり、自然がいいのはもちろんだけど、人が本当にいいと思います。人の心を感じられます。」

 

 

―塾においての都市部との違いや、但馬の子どもたちの印象は?

 

「但馬の生徒は、すごく素直で、とにかく一生懸命な子が多いです。内気ではあるけれど、勉強への取り組み方がすごくいいと感じます。親御さんとも信頼関係が築きやすく、任せてもらえるので、とてもやりやすいです。

 

 

『自分にできること』と考えた時に、今までの経験が、子どもたちの役に立てるかも、相談に乗れることもたくさんあるんじゃないか、と思った。

 

実際、勉強以外にも伝えられる情報はたくさんあります。生徒とも、真面目な話も、くだらない話もよくしています。

大学受験の指導の中でも、いろいろな経験があるので、様々な相談に乗ってアドバイスすることができる。

 

ー村岡で学習塾を立ち上げてみて、よかったと思う点は?

「嬉しいのは、卒業した子たちが会いに来てくれたり、ありがたい言葉をたくさん頂くこと。いつも感謝の気持ちでいっぱいになります。

やってきたことは間違ってなかった。塾を作った価値があったのかなと感じる瞬間です。

 

 

 

『失敗してもいいじゃないか』、という気持ちで新たなチャレンジ

 

週 1 で、村岡高校での臨時講師をしたり、週末には淡路教室までバスを利用して通う、お忙しい先生ですが、塾とは関係なく、村岡に移住してから、新たなチャレンジもされています。学生時代にしていた『演劇』をリスタート。

脚本もお芝居も全て一人でする『一人芝居』を、何度か村岡でされているそうです。

 

「『失敗してもいいじゃないか』、という気持ちで新たなチャレンジも楽しんでいる。約 20 年ぶりに再開できたのも、生活環境が変わったから。覚悟さえあれば、リスタートはいつからでもできると思います。」

 

これからも、今まで以上に丁寧にやっていきたい

 

「場所を借りたり、生徒を募集したり、それは地域とのつながりがあってこそ。地域の人に望まれて継続できるのが理想なので、これからも、今まで以上に丁寧にやっていきたいと思っています。」

(著者:香美町町民ライター 中村美和子)

 

すっぽん王子として小代の魅力をアピール!楽しむことが大前提。

すっぽん王子として小代の魅力をアピール!楽しむことが大前提。

すっぽん王子として小代の魅力をアピール!楽しむことが大前提。

すっぽん王子として、小代のすっぽん大使をも担っている、本格料理旅館 大平山荘の若旦那 邊見裕作さん。京都伏見からお嫁にきた奥様と、3人のお子さんと、家族みんなで楽しく小代を満喫されています。
おじろスキー場にほど近い、本格料理旅館 大平山荘は、冬のスキー客をはじめ、4棟ある弓道場を求めて、各地から学生、社会人の合宿の場としても多く利用されています。また、特産のすっぽん、チョウザメを使ったお料理も人気で、グルメなお宿としても評判です。若旦那として奮闘する邊見裕作さん。 料理修行のため、
高校卒業後、一度は小代を離れ、16年前にUターン。

 

 

今は、観光協会の副会長も務めるなど、小代の魅力をアピールすべく、 様々な活動をされています。

大平山荘のある場所は、昔はスキー場だったそうで、家の庭がスキー場、 夏には川で泳ぎ、一年中、山や川で遊ぶのが当たり前という環境で育った裕作さんにとって、自然豊かな小代を「特別な場所」と思ったのは、意外にもUターンして帰ってきてからだそうです。

お客さんをもてなす立場になった時、初めて小代が「特別」な存在だと気が付いた。


「小さいころはただ住んでいただけ。よく小代を知っていなかった。結婚して子どもが生まれ、自分で家族を養っていくとなった時に、当たり前に住んでいる小代が「特別」だと初めて気が付いた。お客様をもてなすことに本気で取り組んだ時、小代の魅力を見直すきっかけとなった。そして小代の魅力を発信する側になって
みて、初めて「いい所だな」と気が付いた。」

大人気のすっぽんのフルコース

ごく当たり前だと思っていた故郷の魅力は、そこに住んでいるとなかなか見えてこない。だけど、外から見たら、見たこともない非日常がころがっているのかも
しれない。

小代を知ってもらって、小代に遊びに来て、ゆっくりを味わって欲しい。

自らをすっぽん王子と名乗り、SNSなどで小代の魅力を日々発信。
「SNSを見て、スッポン食べに来ました!」というお客さんも増えているとか。趣味の釣りも、但馬牛も、新鮮な魚や野菜、すっぽんも、 当たり前の景色も、どれも都会にはない、小代のアピールポイントだった。

家族との時間を大切に。

また、京都で育った奥様は、「今までと違う環境の中での生活·子育てで、戸惑いながらも、必死でこなしてきた10年間だった」と語っておられます。地元の人が多い地域で、その輪の中に入っていくのが難しく感じることもあったそうです。
「本当に徐々にゆっくり慣れていったという感じ。」
10年過ぎた頃からは、田舎暮らしにとらわれ過ぎることはない!っと、プレッシャーも次第に薄れ、自然体になれてきた。
忙しい旅館業の合間をぬって、家族との時間を大切にしながら過ごされています。

イベントは家族みんなで楽しむ!

結局は『人』。人との関わりを大切に。小代らしいところをアピール

「今年春にできたスミノヤゲストハウスに『お魚の捌き方教室』で講師をしたんですが、いつもは厨房にいる料理人が、直接お客さんと話しながら料理を提供するというスタイルが、すごく楽しかった。人と人が関わりあうことが『楽しい』と感じた。」
「小代は自然がきれい。雲海も川も滝も山も、すごくきれいです。だけど、それだけじゃない。なによりも小代の人の良さ。魅力的な人がいっぱいいます。小代に来た人が、地元の人ともっと関わっていけたらいいなと思います。そして、自分もそんな魅力的な人になって、小代に来た人たちをもてなしていきたいと思います。そういった時間を過ごせる空間を、いつか作りたいなと思っています。」

小代の良さを、じっくり感じてもらい、小代ファンが増えるといいです。
これからも期待しています!

(著者:香美町町民ライター 中村美和子)

地域のランドマークとしての学校に新たな息吹を。廃校舎を宿泊施設に。

地域のランドマークとしての学校に新たな息吹を。廃校舎を宿泊施設に。

旧兎塚中学校を宿泊施設に!なんとか活用したいという想いがあった。

「感じる つながる SATOYAMA」をコンセプトに、兎塚中学校の跡地を利用してできた宿泊施設「うづかの森」。

オーナーとして都会と田舎をつなぐパイプ役を担っているのが、西村工務店の社長西村昌樹さん。

村岡区大笹生まれ、実家は民宿で、子どもの頃から母親の手伝いをして育って来ました。兎塚中学校の卒業生でもあります。

ただ、西村さんの通っていた学校は、2階建ての木造校舎。西村さんが最後の卒業生として、校舎は取り壊しになり、現在うづかの森として利用されている旧兎場塚中学校が建設されました。

 

 

通っていた校舎の取り壊しは、当時中学生だった西村さんにとって、猛烈なさみしさや悔しさがあったそう。

「それがずっと忘れられなかった。今なら壊さず、移築するなど再利用する方法を考えていたはず。その思いがあったので、兎塚中学校の廃校が決まった時に、なんとか活用したい。という想いがあったんです。」

取り壊された木造だった頃の校舎。 そこに残されていた「兎中をこわさないでくれ!!」 の文字。

西村さんは高校卒業後、京都の大学に進学し、一旦故郷を離れますが、故郷に戻ってくることは当たり前のことだと思っていたそう。

僕はこだわって自分の地元に居たいのです。

「僕はこだわってここに居たいのです。人が住んでいないとだめです。人がいるからビジネスも成り立つ。地元にこだわって居て、ここでできることを一生懸命するまでです。」

学校は地域にとって核となるランドマーク。無くしてはいけないもの。

本業の建設業をしながら、いつも片隅にあった「再生」。

「本業は建設業で、時に自然を壊して、道路を作ったりする。壊すと再生、相反することだけど、うまく共存·融合できないか。」

「地域の核となる学校を活用することで、少しでも地元に恩返しができればと思った。廃校になった兎塚中学校を「うづかの森」として再生し、都会から人が来て、地域の人とも交流ができる場になればいいなと思った。」

また、再生された中学校に、地元の方も気軽に来てもらえるようにと、「うづかの森BAR」など、地元向けのイベントも開催されています。

 

地域の人にとっては思い出の学校。そこで開催される音楽イベントは毎回多くの方で盛り上がっています。

元校舎が宿泊施設に。

元校舎が宿泊施設になった「うづかの森」。

玄関入ってすぐ、学校に泊まれる!という「ワクワク感」に包まれます。

教室がそのまま、寝室になり、黒板、ロッカーなど学校の面影を残したままの宿泊施設。

広い教室に畳が敷かれ、そこに布団を敷いて寝る。いわゆる「雑魚寝』スタイル。音楽室も職員室も、その雰囲気がたっぷり残る中、教室に泊まるワクワク感と雑魚寝という、最強の組み合わせ。合宿などの利用が多いというのも納得。

また、体育館もグラウンドもあることから、学生さんの合宿の利用に最適なのです。

特にアーチェリーのための施設を充実させたおかげで、アーチェリー部の利用が多いそう。

緑に囲まれた校舎なので、窓に映る景色が素晴らしく、まるで絵画を見ているみたいにきれいで、癒されます。窓から入る緑の量がすごい!

そして、大人数の合宿の学生さんたちのお料理を担当するのは奥様。合宿生みんなの母代わりとなり、手作りの家庭的なお料理を心がけ、 愛情いっぱいに作っておられます。

「ここにあるものを活かすこと。」

これからも、いろんな人とのつながりを大切に、農業体験、田植え·稲刈り体験など、できることは何でもしていきたい。

何もないんじゃない。山も田んぼもある。あるものを使って、自然の中で、自分たちの住む町をよくしていきたい。

この思いだけは誰にも負けない。という気持ちでこれからも地域のためにがんばっていきたいと思っています。

(著者:香美町町民ライター 中村美和子)
ここにしかできないペンションの新たな可能性で需要を引き寄せる

ここにしかできないペンションの新たな可能性で需要を引き寄せる

クラブリゾートハグ 外観

いくつかある香住の海岸の中でも美しい海岸の1つとして知られる佐津海岸、その近くで平成31年4月にオープンした3階建てのペンション「クラブリゾートハグ」。

運営するのは、今年、香住の冬を初めて経験する上田さんご夫妻。お二人が大阪市からこの地にIターン移住してこられたのは2018年のことでした。

 

 

―きっかけと決断

上田智喜さん

「毎日の通勤ラッシュとか、いわゆる『都会暮らし』を普通にしてたんですけど、2人でキャンプに行くうちに『静かな空間』とか、肌で感じられる自然とか、そういうところへの憧れを持つようになりました。」夫の智喜さんは勤めていた会社のある方から、このペンション運営の話を提案された時、「転職」としてはいいタイミングなのでは、と移住を決断。

「正直言って、城崎あたりまでしか知らなかったので、この話が来るまで香住は全く知らない土地でした。」大阪育ちという根っからの都会っ子、当たり前だった日常が、1つのきっかけと決断で激変し始めます。

「実際に住んでみて、海や夕陽がホンマにきれいで驚きました。来てよかった!って、その時に思いました」 同じ「夕陽」でも、電信柱が乱立し、コンクリートジャングルの建物の隙間から見える夕陽とは全く異なる、香住ならではの光景です。

上田裕子さん

 

「移住するのは、すごい悩んだんですけど、面白そうだし『チャレンジ』してみようって思いました」

Iターン者にとっては移住前の不安要素のひとつである「仕事」ですが、夫、智喜さんから「香美町でペンション経営をしないか」と話を聞いた時に、既に仕事が決まっていて「ゼロスタート」ではないことで安心したのと、実家の祖父が漁師をしていて魚食が日常的だったので、海の近くという香住と共通した点があり、新しい環境へも前向きに考えられたという奥さんの裕子さん。

 

 

 

―暮らし

「魚の種類がこんなに豊富だとは思わなかったです。大阪では売ってない魚もあるし、こんなに魚をたくさん食べることは今まで無かったです。」季節を身近に感じられる海辺ならではの暮らしが新鮮で刺激になっている。また、ご近所との距離感や、コミュニケーションも、苦労していることは今のところ思い当たらない。「ただ、気を付けてる事というか、当たり前の事なんですけど、地域の行事にはできる限り参加するようにしています。顔を出すと、そこでいろんな情報を聞けたり、教えてもらえたりもしますし。ただ・・・、その行事の多さに最初はビックリしましたけどね…」

佐津海岸

 

買い物や生活に苦労することは?との問いかけに、「今までは、すぐ近くにコンビニもあったし、無くなったらいつでも買いに行けたけど、ここは地域に1軒しか商店が無いので、そういう

わけにいかないですよね、買い物の仕方は変わりました。」今まで以上に、買わなければならないものは何かを考え、最低限のものを買うように、と認識が変化してきました。

「あと、2人ともお酒が好きなんですけど、飲みに行く場所や遊ぶ場所が少ないのが、強いて言うなら不自由なところかなぁ…。でも、それも、無いなら無いで来る前から覚悟があったので苦労は別にしてないです。逆に出費が減って助かってますよ。」

不便や不自由も覚悟の上ならば、案外楽しんで暮らせる場所になり得ることも。

 

 

クラブリゾートハグ 内観

―ペンション「Crab Resort HAG」(クラブリゾートハグ)運営

紹介されて初めて来た時はとても大きく見えた建物、自分たちで改良、修復しながら今の形に。「DIYとか全くやったことなくて、こっちに来て教えてもらいながら覚えました。時間はかかりますけど、やっていくうちに愛着が湧いてきて、アイデアも出てきました。」

クラブリゾートハグ 内観

 

エントランスの屋根や柱は遠くからでも見つけやすい、鮮やかな空色が施され、広々とした1階食事スペースはシックな雰囲気のカウンターや、広いガラス戸から差し込むあたたかな陽光もあってとても明るく、どこか家庭的な雰囲気も感じられる場所に。

2階の客室は落ち着いた色合いでまとめられ、ゆったりと過ごせそうな雰囲気で、くつろぎの空間が演出されています。しかも各種アメニティはもちろん、全室Wi-Fiが利用可能、SNSなどもフルに活用してもらえる環境も提供しています。「お客さんの気持ちになって改良していくことが基本だと思うので、やれるところから1個ずつって感じです。」内装も外装もとても素人仕事とは思えない丁寧な仕上がり。愛着が無ければできない仕事です。

 

 

カニ料理のイメージ

 

 

 

食事は調理師経験のある智喜さんのオリジナル、2人で協力しながら試行錯誤しながらの日々。

「間違えられやすいんですけど『クラブリゾートハグ』の『クラブ』は『倶楽部(Club)』ではなく『カニ(Crab)』の方なんです。やっぱり香住なので、カニ料理もしっかり出していきます。」

 

 

 

 

―将来

「この辺りにペンションってあまり無いので、やり方次第で面白くなるんじゃないかと思ってます。ここは海があるので釣りもできるし、土地もあるのでお米や野菜作りなんかもやっていきたいなぁって。お客さんと一緒にその日の食材を調達したりして、今までに無いような宿、ペンションにできたらと・・・」流行に流されず、地域にも愛着があるからこそ、可能性を探りながら「需要を起こす」ことも視野に。

上田智樹さん、裕子さん

 

 

「客室は大小洋間9部屋を2人でやってます。2人でできる範囲が今のところここくらいまでかなとは思ってるんですけど、来年くらいを目安に3階の和室3部屋を整備して、1フロアとしての貸切使用なんかもできそうでいいかなって。合宿とか説明会、研修なんかにも使ってもらえるような施設になればと思ってます」

3階には佐津の海が見渡せるベランダもあり、これからどんな進化を見せてくれるのかが楽しみな空間、そして何事にもひたむきで明るく、親しみやすい上田ご夫婦。香美町のホットスポットの1つになりうる予感です。

 

 

 

 

(著者:香美町町民ライター 池本大志)
香美町の海と地域で漁師として生きる

香美町の海と地域で漁師として生きる

季節ごとに豊かな魚介類に恵まれる、山陰有数の漁港・香住港。底曳き網漁や香住ガニ漁、定置網漁など様々な漁が行われています。海沿いには民宿や水産加工業者も多く、漁師町の風景が広がります。海とともに暮らすまち「香住」にIターンし、底曳き網の漁師として、漁師の妻として活動する膳所直樹さん、マリ子さんご夫妻に、漁師の仕事や香住での暮らしについてお伺いしました。

香美町の底曳き網漁師の働き方「大祐丸」の場合

(「大祐丸」ニギス漁の様子)

 

膳所直樹さんは2009年頃から底曳き網の漁業に携わるようになり、現在は40tの漁船「大祐丸」の船長を務めています。

「周りを見ていても、底曳き網の船頭はどんどん若くなってきているように思います。僕も30代ですが、同年代の方もどんどん増えてきている印象です」

「漁師」と一口に言っても、船によって働き方は様々です。「大祐丸」の年間スケジュールは9月頃からハタハタやマガレイの漁期を迎え、10月はアンコウやノドグロ、11月から1月は松葉ガニが全盛期を迎えます。2月から5月はホタルイカ漁が中心になり、6月から8月は網直しや船のメンテナンス期に入ります。季節に応じて獲れる魚介類が変わり、それにより生活リズムも変化。ホタルイカなどの日中に獲れやすいものの場合は、早朝3時から海にのりだして日中に網を打ち、夕方に帰港というスケジュール。松葉ガニ漁などの場合は満船になるまで船の上で過ごし、長ければ2泊3日ほどの漁になります。


(漁に向けて、底曳き網を引き出す様子)

 

船いっぱいに魚介類が獲れると、港で待つ奥様・マリ子さんに連絡が入ります。獲れた魚を船から競りをおこなう上屋へ運ぶ「浜揚げ」は、漁師の妻としての仕事。11月から始まる松葉ガニの季節にはこれにランク分けが加わります。カニのランク分けは漁港によって異なり、大きさ、身のつまり方、足の形や揃い方等によって130以上の種別に分けられます。1.4kg以上の成体で、見た目も美しく足も揃ったものは最上級の「香住PREMIUM(プレミアム)」のタグがつけられます。およそ3000枚にの1枚の割合でしか獲れれないまさにプレミアムなカニは、年々高値で取引されています。


(「大祐丸」カニ漁の様子)

「魚について何もわからなかった私ですが、今では水産加工場でも仕事をしています。主人が獲ってきたカニや魚をお客さんが楽しそうに買ってくれるのを見るのはとても嬉しいです。また、『浜揚げは辛い仕事』と地元の方から聞くこともありますが、実際やってみると魚についての知識も増え、楽しさを感じることも多くあります。」

海と隣合わせで生きる暮らしに手応えを感じるお二人ですが、初めは戸惑いも多かったといいます。

(浜揚げされたハタハタ【左】ノドグロ【右】)

夫婦ともに移住、戸惑いを乗り越えて香住暮らしを楽しむ

(膳所直樹さん)

直樹さんは豊岡市竹野町のご出身。祖父の代から竹野町で漁業を営んでいましたが、ご自身は学校卒業後、大阪にて別業種で活躍していました。大阪で出会ったマリ子さんとの結婚を機に帰郷。その頃ご実家は船の所属する漁港を香住に移していました。お父様に頼まれ、気軽な気持ちで漁に出始めたと直樹さんは言います。

「大祐丸は7人乗りの底曳き網の漁船です。始めは手伝いのつもりでしたが、父と一緒に現場に入ることで、経営など責任の重さを感じるようになりました。船頭になってまだ2年。漁場探しの経験が浅く、苦戦することもありますが、実践して積み上げて行くことで独自のノウハウを築いて行こうと思います。」


(膳所マリ子さん)

直樹さんとともに香住に移住したマリ子さんは、田舎暮らしの経験もなく、始めは戸惑いも多かったと言います。

「今は好きになったのですが、香住に来るまでは魚が嫌いで。魚料理の仕方もわからないし、知り合いもいないし、慣れるのには時間がかかりました。」

浜揚げや水産加工場の仕事を通し、マリ子さんは少しずつ海とともに暮らす生活に慣れて行き、最近では「香美町とと活隊」にも入隊、魚食普及の活動に精を出しています。

「お祭りでサザエ釣りの催しをするなどの他、会議にも参加することで香美町とと活隊の方たちが魚食普及に取り組む、その一生懸命さを実感しました。学校などの料理教室にも参加しますが、私はまだ勉強中なので『一緒に教えてもらおう』という気持ちでやっています。活動に参加することで出会いがあり、今ではどこに行っても知り合いに会うほどです。子どもたちの成長も地域の人が暖かく見守ってくれ、香住は本当に居心地がいいなと感じています。」マリ子さんは今、戸惑いを乗り越え暮らしを積極的に楽しんでいます。

 

海で働き地域にも飛び込むのが、暮らしを楽しむコツ


(浜揚げ後の競りの風景)

直樹さんが海に出ている間、陸で様々な活動に勤しむマリ子さん。そして漁師自身もまた、「陸での時間」が大事なのだと直樹さんは語ります。

「仕事は海の上で、同じメンバーで何日も過ごします。それだけだと日々に張り合いがなくなりがちです。時化(しけ)の時期には漁に出られないこともありますから、陸での生活をいかに充実させるかが鍵です。そのためには自ら地域に溶け込んでいくこと。夫婦ともに移住者で、香住のことは海のことしかよく知りませんでしたが、生まれてきた子どもたちにとってはここが故郷になる。それなら地元の祭りや行事に積極的に参加したいと考えるようになりました。」

地域をよりよく知るために直樹さんが門扉を叩いたのが香住青壮年会。香住区の様々な業種の若手が集まり、納涼祭りや節分祭りの企画運営など様々な活動を行う団体です。

「ほとんどが地元香住の方だったので、移住者が入っていいのかと思っていましたが、『よく来てくれたな』と温かく迎え入れてくれました。地域の中で会ったことのなかった人たちと話す機会が増え、香住の人のオープンな温かさを感じましたし、繋がりができて香住の良さを感じました。僕たちのように移住してくる人には、地域と繋がれる団体に飛び込んで行くことをお勧めします。」と直樹さんは笑顔を見せます。


(子どもたちも漁場の近くで過ごし、大人の働きを間近に見て育ちます)

 

 

「仕事でももちろん、張り合いを感じる時があります。獲ってきた魚を食べた人がすごく喜んでくれ、『魚の鮮度がよくて美味しい』『こんな魚食べたことない』と驚かれるのは嬉しい瞬間です。自分の獲った魚がどんなふうに消費者に届けられ、食べられてるんだろうと想像すると、社会に貢献できているやりがいを感じます。ただ毎日ルーティーンで魚を獲るだけなら行き詰まりますが、自分の獲った魚で社会に貢献しているビジョンが持てたら、もっと鮮度抜群のいい魚を届けるにはどうしたらいいかと創意工夫の気持ちになれます。」

仕事にプライベートにと、香住での暮らしを家族で満喫する膳所さん一家。陸での活動を充実させながら、今日も香住の海に向き合います。

 

小代のスキー文化で子どもたちの豊かな成長を促したい

小代のスキー文化で子どもたちの豊かな成長を促したい

香美町小代区のおじろスキー場は、初心者から上級者まで楽しめる、変化に富んだ多彩なコースが魅力です。このスキー場を拠点に、小中学生がスキー(アルペン・ノルディック)の楽しさを追い求め、技術を高めあうクラブがあります。西日本内でも強豪と言われる「おじろジュニアスキークラブ」のアルペン部監督・今井和希さんにスキーへの想い・修練を積む子どもたちへの想いをお伺いしました。

 
(今井和希さん)

 

自らの人生を豊かにしてくれたスキーを、地元の子ども達に

 

今井さんは、香美町小代区のご出身。物心つく頃にはスキーを始めていたといいます。

小代区では、小中学校までの間、冬期の体育授業でスキーが行われており、その日はすべての授業時間をスキー場で過ごすなど、文化として「スキー」が存在している地域です。さらにその中でも、スキーをより深く楽しみたいと希望する子どもたちは、「おじろジュニアスキークラブ」に入部します。今井さん自身もおじろジュニアスキークラブで研鑚を積み、全国大会にも複数回出場、大学卒業まで選手としてスキーに向き合い続けてきました。


(おじろジュニアスキークラブ 選手の滑走の様子)

 

「大学卒業後、好き放題やってきたスキーとは一線を画して大阪の企業に就職しました。一年間スキーに関わらない日々を送り、その張り合いのなさがとても苦しくて。帰省し地元でスキーをしたら『やはり自分にはスキーが必要だ』と改めて感じ、地元に帰ろうと決意しました。」

地元の小代区に帰るなら、もう一度選手としてスキーをするのではなく、おじろジュニアスキークラブにいるこどもたちにスキーの面白さを伝えたい、自分を育ててくれたスキークラブに恩返しがしたい。その想いから帰郷し、地元に貢献するため香美町役場に入庁。スキークラブでもコーチを務め、仕事とスキーの充実した日々を送っています。


(おじろジュニアスキークラブ 活動の様子)

 

おじろジュニアスキークラブで子どもたちが得る大きな成長


(おじろジュニアスキークラブ 夏の活動の様子)

おじろジュニアスキークラブアルペン部は、一年を通して活動していて、冬季は基本的に週三日、水・土・日で練習を行い、春から秋のオフシーズンは、週に一日走り込みや筋力トレーニングなど、冬に向けた体力づくりを行います。

活動が本格化する冬期は、子どもたちの冬休み期間を活用して長野県へのチーム単独合宿も行います。また、普段の平日はアップかんなべスキー場のナイターで、毎日のように滑り込みを行い練習を積みます。

「冬はスキー一色になり、子どもたちもコーチも休みはありませんが、似たような目標を持った子どもたちが集まってくるので、チームの士気がとても高くなります。コーチ・保護者に言われるからやるのではなく、『自分がやりたいからスキーをする』そういう子ども

たちの集団ですね。」


(おじろジュニアスキークラブ 集合写真)

 

チームは、小代区の子どもたちを中心に、神戸・姫路・大阪・岡山など遠方からの子どもたちも受け入れ、現在約40名のチームメンバーが属しています。中学卒業後もスキーを続ける子どもたちは、高校スキー部の部活動がない日には練習に参加してくれ、小学生から高校生まで幅広い年代が垣根を越えて交流しています。

「小学校から高校まで、同じような顔ぶれで育つ小代の子どもたちは、町外の方と関わる機会はめったにありません。一方で、スキーをしていると、全国各地、様々な年齢層の方々とコミュニケーションをとる機会が数多くあります。私も経験していますが、これは異文化交流に近いです。スキー技術を向上させることはもちろん、それだけではなくて、様々な文化の違いを学び、コミュニケーション能力を向上させることができるのもスキーの魅力です。」

 個人スポーツと言われるものの、一人での練習は難しく、一つのチームで同じ目標を持った者同士が切磋琢磨しあえるのがスキーというスポーツ。子どもたちは、スキーに多くの時間を投じる中で大きく成長していきます。

 


(おじろジュニアスキークラブ リフトに乗る子どもたち)

 

文化としてのスキーを広げたい

 

 おじろジュニアスキークラブに通う子どもたちにとって、今井さんはコーチの中でも特に年が近く、頼れるお兄さんのような存在です。

「はじめは遊びのつもりで山に来て、スキーを楽しんでほしいと思っています。楽しみながら打ち込んでいくうちに悔しさが芽生えてきて、強くなりたい!と思うようになっていって欲しい。目的は、『小代の山でスキーを楽しむ子どもを増やしたい』それだけです。その子たちが成長して、地元に戻ってくるきっかけとしてスキーがあればいいなと。今スキークラブにいる子どもたちが僕くらいの年齢になった頃、バトンタッチできるような循環が出来れば、小代にある『地域に根ざしたスキー文化』を継承していけるのではと思っています。」


(おじろジュニアスキークラブ 指導の様子)

 

今後は、おじろジュニアスキークラブをもっと身近に感じてもらうために、クラブ主催のスキー体験会などを企画する予定にしています。気軽に体験できる場を設けることでスキーを楽しむ子どもたちを増やしていきたいと考えています。

「アルペンスキーというスポーツは、始めるまでのハードルが他のスポーツに比べて高いと思います。まずは、体験していただくこと。そうすることで、必ず楽しさを分かってもらえるはず。今後も、小代のスキー文化を発展させていきたいと思っているので、県内の他チームとも協力しながら、子どもを中心にスキーに関わる人をもっと増やしていけたらなって思っています。」

子どもたちが楽しく地元のスキー場で滑る姿をこれからも見られるよう、子どもたちの指導とスキー文化の発展にこれからも取り組みたいと、今井さんは語っています。

 

 

  • 団体名
    おじろジュニアスキークラブ
  • 活動日程
    冬季(12月~3月の休日及び夜間)、その他(不定期)
  • 年会費
    10,000円(きょうだい2人目から5,000円)
  • 対象年齢
    小学校1年生から中学3年生
  • お問合せ先
    090-6267-8396 おじろジュニア 今井
香住・柴山から但馬の魅力を伝えたい

香住・柴山から但馬の魅力を伝えたい

 

香住区柴山港を目の前に臨む「お宿 まる屋」。海に面した立地にありながら、ロビーへと続くアプローチは、木々の緑に囲まれた非日常的な空間。地元の設計士が手掛けたお宿は、メゾネットタイプや和洋室のお部屋など、お客様がゆったりくつろげる工夫に満ちたスペースとなっています。併設のレストラン「桜桃(ゆすらうめ)」では、地元の旬な食材を使用したメニューを提供しています。「お宿 まる屋」の3代目として、料理を中心としてお客さまをもてなす藤原啓太さんから、これまでのご自身の歩みや香住をはじめとした地元の魅力についてお伺いいたしました。


(建物へ続くアプローチ)

 

「お宿 まる屋」を支えるための大阪修行にて

藤原さんは宿泊業を営むご両親の背中を見ながら育ちました。高校卒業後、家業の手伝いをするうちに後継への想いが高まってきたといいます。


(「お宿 まる屋」 ロビー)

旅館を継ぐなら料理の勉強をしたい。その想いから、修業をするため22歳で香美町を離れました。当時すし屋に勤務していた同級生を頼り大阪へ。居酒屋で約1年、日本料理店で約9年の修業を積みました。

「修行させていただいた日本料理店は、大阪で何店か食べて回った中でも最も印象に残ったお店で、直接働かせてくださいとお願いしました。席数がそこまで多くないお店だったので、下ごしらえから盛り付けまでトータルに関わらせていただいて、とても勉強になりました。」

大阪の生活では、地元への印象が変わる出来事もありました。


(藤原啓太さん)

 

「大阪はお店がたくさんあって、夜でも明るくて、便利で……、正直はじめは田舎出身であることに劣等感を感じていました。ですが、お客様に『どこから来てるの?』と聞かれて故郷の香住のことをお話すると、どのお客様も『いいところだね、空気が美味しいね、食材が美味しいね』といいことばかり仰って。外から眺めることで、故郷の良さが改めてわかりました。」

学んだことを基に地元でのつながりや経験も積めるよう、10年で修行の区切りをつけて2016年に帰郷。一度外に出ることで、藤原さんは新しい目線で地元を見られるようになっていました。

 

お宿とレストラン、Instagramで但馬の魅力を発信したい


(お昼のミニ会席 小鉢の一例)

「大阪の日本料理店でお客様によく聞かれたことは、城崎温泉や湯村温泉、竹田城跡のことや但東町にある行列ができる卵かけご飯のお店など、香住だけでなく但馬全域のことについてでした。聞かれるうちに『自分は地元のことを全然知らない』と痛感し、帰省の際にはお客様にお話できるよう、地元の知らなかった場所に積極的に出かけました。」


(ランチメニュー 手打ちそばセット)

帰郷後、藤原さんが真っ先に始めたのがInstagram。自身の住む場所を知ってもらいたいと毎日1枚ずつ発信し続け、2019年9月の時点で約1,200枚を記録しています。

「はじめは大阪に住む友人たちに知ってもらいたいという気持ちでしたが、徐々に但馬に住んでいる友人たちからも反応をもらえるようになってきました。『近いとこにあるけれど知らなかった。行ってみたい。但馬にこんなところがあるんだ。』という反応をもらえて嬉しかったですし、自分自身、発信を通して但馬の魅力をより知ることができました。」

 


(藤原さんのInstagramより。香美町小代のうへ山の棚田についても発信)

身近にあっても知らなかったことに自ら出会い、「いい場所だね」とフィードバックを受けることで、故郷が「本当に大好きな場所」「多くの人に知ってもらいたい場所」として確かな存在感を持つようになりました。

「香住はもちろん、但馬の魅力を伝えたいという想いがあります。最近積極的に発信しているのが、城崎温泉の伝統工芸品の麦わら細工です。城崎温泉では、昔から親しまれてきた麦わら細工ですが、正直、香住においてはあまり馴染み深いものではありません。しかし、長い歴史の中で作り上げられたこの素晴らしい品を沢山の方に伝えたいと思うようになりました。そこで、ただ撮影して発信するだけでなく、自分のフィールドに持って来られないかと、職人の方にお願いして器を作っていただきました。ゆったりとお食事の時間を楽しんでいただける演出として、ご好評いただいています。」


(麦わら細工の器)

 

お客様に喜んでもらえるおもてなしをこれからも

心を尽くしてお客様をおもてなしすることで、但馬での滞在を心ゆくまで楽しんで欲しいと語る藤原さん。

「小さいお宿なので、その分目の届く範囲でできる、距離の近いおもてなしができたらいいなと思っています。地元の魅力を知っているからこそ言える、思い出に残るお土産屋さんの紹介などを行うこともその一つです。」


(和洋室・客室の一例)

お客様からの言葉に、地元への愛情が更に深まることも。

「柴山といえばカニですが、カニをたくさん食べてこられたお客様に『ここのカニはなぜこんなに美味しいの?』とお声をかけていただけたことがとても嬉しく印象に残っています。地元だからこそ、柴山の漁師さんやカニの水揚げ・選別に関わる地域の方を知っているので、皆様の顔が浮かんで感謝の気持ちが湧いてきます。主に父親が行っている競りにも同行し、そこで初めて出会う食材もあり、競りに行くたびに驚かされています。カニ以外にもお客様に『おおっ』と喜んでいただけるような食材がありますので、ご提供することで知っていただければと思っています。」

一度離れたことで改めて知ることができた、底知れない地元の魅力を、お仕事と発信で多くの方に届けるべく、藤原さんは見識を広げながら腕を磨いています。

「人みな使命あり」自ら学び地域を創る人材を育む

「人みな使命あり」自ら学び地域を創る人材を育む

「地域に学び、地域と協働し、地域になくてはならない高校をつくる」は、香美町村岡区にある、兵庫県立村岡高等学校の学校教育目標です。校舎正面には「人みな使命あり」の文字が刻まれた石碑があり、生徒たちはここで地域に深く根ざし、使命を持った地域の一員として学びを重ねて行きます。地域活性化に向けた特色ある村岡高校の教育プログラムについて、大垣喜代和校長先生にお話を伺いました。

全国募集の特色類型・地域アウトドアスポーツ類型

村岡高等学校は兵庫県の第5学区(豊岡市、美方郡、養父市、朝来市)に所属。香美町内・近隣市町の生徒たちの進学先として選ばれているだけでなく、平成26年新設された「地域アウトドアスポーツ類型」は兵庫県立高校では初めて全国から出願することが可能になりました。
地域アウトドアスポーツ類型は、「地域創造系」と「アウトドアスポーツ系」の2つのコースに分かれ、入学時に生徒の希望に沿って振り分けられます。それぞれどのようなことが学べるのでしょうか。

地域創造系

地域創造系の生徒は1年生の地域学入門の授業で、まず地域をよりよく知るための基礎的な知識を学びます。2年生からは普通科の授業を受けながら地域を知るための聞き取り調査などを行い、地域の課題を研究。さらに3年生では、課題解決の方法を卒業時に冊子にまとめ、地域に向けて発信することを学べます。学びの中で得た地域の人と深い交流と、人前で自分の意見や課題解決の案を述べる機会から得た自信は、大学入試でのアピールポイントにもなります。国公立大学や有名私立大学へ進学し、地域での学びを強みにして社会で活躍していく事が目標です。


(地域創造系の生徒が卒業時に制作する地域課題解決提案の冊子)

アウトドアスポーツ系

アウトドアスポーツ系の生徒は一年生の地域学入門の授業で指導者論、トレーニング理論、栄養学など外部講師からスポーツに関わる基本的な学習をします。2年生からは冒険教育、アウトドアスポーツ、地域スポーツ、スポーツ実践とより実践的な学びに入ります。冒険教育ではツリーイングやロッククライミングなど冒険要素の強いスポーツを実践し、また地域で生涯楽しめるスポーツとしてゴルフやスキーなどの実習も行います。体育館に併設されたトレーニングジムでウェイトトレーニングの基礎理論も学べたりと、スポーツに興味がありスポーツを通して地域を元気にしたいと考える生徒にとって魅力的な学びが多くあります。

全校生徒で関わる「地域元気化プロジェクト」で「なくてはならない高校」に

このように、地域アウトドアスポーツ類型では特色ある学びを得ることができますが、総合的な学習の時間「地域元気化プロジェクト」には類型に関わりなく全校生が関わります。地域で開催される「みかた残酷マラソン全国大会」や「村岡ダブルフルウルトラランニング」では村岡高校の全校生がボランティアで関わり、企画や運営を行います。


(「みかた残酷マラソン全国大会」にてスタッフとして活動する村岡高校生)


(「みかた残酷マラソン全国大会」にて演舞でランナーを応援する村岡高校生)

「みかた残酷マラソンでは、約3,000人と、小代区民より多いランナーが来ます。大勢の方を受け入れるために、地域の方や実行委員だけでは難しいおもてなしを本校の生徒がお手伝いさせていただき、『村高生(村岡高校の生徒)が来てくれるから頑張れる』といっていただけています。ランナーの方も地域のおもてなしや村高生の頑張りに感動されるからこそ、みかた残酷マラソンは7割という高いリピーター率を記録しているのだと思います。」


(大垣喜代和校長先生)

地域元気化プロジェクトは民芸班、吹奏楽団、食文化班、環境班、地域福祉班の5つのグループに分かれ、それぞれに地域と協働した活動を行います。民芸班では伝統工芸の紙漉きを行う班と先述のマラソン大会の応援時などに演舞を踊る班があります。吹奏楽団は地域のイベントでの演奏のほか小学校で楽器を教えるなどの活動を行います。食文化班は地域の食材を生かしてメニュー開発を行い、環境班は、役場の農林水産課や北但西部森林組合と協力して森の健康診断や木の駅プロジェクト行ったり、地元団体「武勇田(ぶゆうでん)」と協力して棚田の保全活動を行っています。地域福祉班は地域の、特に高齢者や子どもの支援策を検討・実践したり、小規模集落の魅力を発見・発信するために小規模集落への聞き取り調査を行います。
「このような、地域と一体になった教育の支援を行ってもらうために、香美町地域おこし協力隊の方に『教育コーディネーター』として入っていただいております。」


(教育コーディネーターとして活動する、香美町地域おこし協力隊の房安晋也さん)

地域の方や地域おこし協力隊員に支えられながら取り組んだ活動を地域に還元する場もあります。毎年10月に開催される村高フォーラムでは地域住民を招き、活動の報告や議論の場を設け、次年度への取り組みへとつなげていきます。


(村岡高等学校 グラウンド)

地域活性の使命への第一歩・オープンハイスクール

「本校で学んだことをもとに、大学等で活躍し、その後地元に戻ってきてそれをまた還元してくれるのも嬉しいし、本校での経験を生かして、色んな所で地域づくりをしてくれることで日本全体の地域を創ってくれるような人材を育てられたらと思っています」
スポーツや地域活性など、普通の学習だけでなく特色を持った3年間を過ごしたいと考える生徒や保護者から注目されている村岡高校ですが、2019年度は8月3日に第1回、10月5日に第2回のオープン・ハイスクールが開かれます。
「オープン・ハイスクールでは、数学や英語などの授業はもちろん、アウトドアスポーツや地域創造などの授業も体験できます。類型についての詳しい紹介や部活動見学もできますのでぜひこの機会に村岡高校の様子をご覧ください。」(※詳しい情報はhttps://www2.hyogo-c.ed.jp/weblog2/muraoka-hs/?p=1244

「全国募集をすることで、違う地域から生徒が来ることにより、学区内の子どもたちにも良い刺激や交流の機会になっています。遠方の生徒は下宿から通学することになりますが、小規模校で教師との距離も近く、生徒と教師の関わりが密なので、何かあれば教師に相談しやすい環境にもつながっています。」
「人みな使命あり」を掲げる村岡高校。全校生徒で地域と協働し、地域と密着して得る学びや、類型に応じた特色あふれる学びなど、村岡高校ならではの教育が、自ら考え、行動する生徒の成長を促します。

※下宿先になってくれる地域の方、香美町に移住して下宿先を運営したいという方を募集しております。