こころのままに生きて綴る、香美町ぐらし

こころのままに生きて綴る、香美町ぐらし

大阪市大正区出身の27歳女性が、単身香美町へ移住。「地方移住」というと、地域づくりについての大きな志がある人や、移り住んだ場所で成し遂げたいことがある人がすること、というイメージがあるかもしれません。しかしここ数年は、「地域づくりのため」「地域活動をしたい」という想いではなく、ひらめきや流れに乗ってカジュアルに居住する人も増えています。木下美月さんもその一人。都会生まれ都会育ちの彼女が、香美町に住まいを構えた経緯や、今の暮らしで日々感じることをお伺いしました。

 

「海が好き」その気持ちにしたがって移住

 

地元は大阪、その後東京、香川と住むところを変えてきた木下さん。仕事は、アパレル関係や呉服関係の販売業務。その仕事の特徴から比較的都会的な場所で暮らしてきたといいます。香川県は、大阪・東京よりは田舎寄りでしたが、「なんとなく中途半端で、もう少し住む場所の田舎度を高めたい」と思っていました。彼女の友人の中には、数年前から香美町小代区に移住してきた人もいて、その友人に誘われて遊びに来たのが、香美町との出会いでした。

香美町には香住、村岡、小代の3つの地区があり、暮らしぶりや住んでいる人の雰囲気も、地区によって異なります。その中で木下さんが住んでみたいと思ったのは香住。他の地区に比べると、鉄道があり、スーパーマーケットなども近く、何より海を近くに感じることができるのが魅力でした。香住の海は波も激しく、岩に打ち寄せる波のダイナミックさが彼女好みだったといいます。多くの人が移住前に悩むように、移住したい先でしたい仕事ができるかどうかという課題は彼女の中にもありました。

「でも、どこに住んでいても悩むことはあるし。だったら、友だちも近くにいて、海も近くにあって、ちょっと試しに住んでみようかなと思って」

180度変わった、「住まい」に対する価値観

「WONDER KAMI」の空き家バンクで見つけた物件は期間限定、住める期間が限られていました。そのことも「ちょっと住んでみようかな」という彼女の気持ちを後押しし、また移住後の暮らしの一つのものさしにもなりました。

「住める時期が限られているからこそ、時間の使い方を妥協しないでおこうと思えています。限られた時間の中で今これをすべきかどうか考えるから、無駄遣いもしません」

もともときれいで可愛い暮らしが好きだったという木下さん。都会での物件探しは、お風呂がきれいなこと、バス・トイレが別であることや蛇口の形など、様々な条件がありました。

「でもここでは、不便さもここまでくるとかわいいなと思えてきて。なぜ過去の私は、きれいなマンションがよかったんだろうってちょっと不思議です」

(今の趣味のうち一つは、レトロな喫茶店巡り)

住処に関する価値観が大きく転換。便利さを求め、美しく可愛いものを求めるのではなく、「現状をかわいいと思えるほうが豊か」だと今は感じています。

「なぜか、住む場所が変わったら、満足を得る部分も変わっちゃったみたい。正直、今の暮らしは、家も一軒家で広すぎて手に負えないし、可愛くもなってない。でも小さいことで満足を感じています」

今一番幸せなのは、朝起きて、キッチンの小窓を開けるときなのだとか。誰かに勝つわけでも、お金をかけるわけでもないのに、豊かさに満ち足りる朝のひとときがそこにあります。

 

等身大に生きることで、人生にエピソードを

東京の街を歩くときは、自分が「ダサい」かどうかがとても気になっていました。すれ違う人をジャッジし、また自分もジャッジされているような気持ちになり疲れることもあったといいます。香住に引っ越してきた今は、ありのままの自分を受け入れられているような楽さを感じながら、また別の気持ちも抱いています。

「田舎だから適当でいいや、という気持ちも持ちたくない。服も、こんなの香住で着るとこある? って思うような派手な格好でも、好きだと思ったら買うし着ちゃいます」

田舎だということを理由に、自分の好きなことを我慢しないのも大切なポリシー。自分がものを見る角度を変えると、それまで気になっていた色んな人の目も気にならなくなったと言います。

移住前、「したいこともできないし、私は田舎で生活するのは無理」と話す木下さんに友人が言ったのは「田舎だからこそできることがある」という言葉でした。若い人や新しい技術が都会に出ていってしまうからこそ、少しでもできる人がいたら周りは助かる。周りの人の小さな困りごとを、「手伝えるよ」と手を上げていくことで、小さく役立ち、小さく働くスタイルもある。ゆっくりぼちぼち、あなたがやりたいことを叶えていく姿を見てみたい。そう背中を押してくれた友人の言葉が今彼女の励みになっています。まずは住むところから始め、「このまちに暮らしながら、どんな仕事ができるのか探ってみたい、知ってみたい」と話す木下さん。田舎暮らしを発信したいという気持ちは、はじめからあったわけではありませんでした。でも彼女ならではの目線で香美町での暮らしを書いてみてほしいと、「WONDERKAMI」の「暮らしを綴る」連載の話が舞い込んできたのは、何かをつかむ一つのきっかけになりそうです。

「私は適当な人間だけど、そんな私の発信を見て『これなら私もできる気がする。私ももう少し自由に生きていいかな』って思ってもらえたらうれしい」

人生は一度きり。今27歳の彼女ですが、これからどんな転機があるかはわかりません。家族を持つことになるかもしれない、両親や祖母も年を取っていく。その中で「今は比較的好きに動ける時期。自由にやるなら今しかないんじゃない?」と思って日々を生きています。

「私はいろんなことを諦めて生きてきて、打たれ弱いけれど、もし将来子どもができたら、自分の経験から面白かったことをエピソードトークみたいに聞かせてあげたい。人との出会いが生きてくることはあるし、わくわくすることはいっぱいあると伝えたい」

ご近所付き合いも、香住ならではの暮らし方も、まだ始まったばかりの手探り状態。大雪も、激しい波も、それまでの非日常が一気に日常になっていく不思議を今、彼女は心いっぱいに感じています。新しく始まった香美町での暮らしが、彼女の目にどう映り、どんなエピソードを積み重ね、何を「綴って」行くのか、これからの暮らしにも注目したいところです。

 

 

一目惚れした小代の物件、自由な暮らし発信の場に改装中

一目惚れした小代の物件、自由な暮らし発信の場に改装中

2019年、「WONDERKAMI」の空き家バンクに掲載された物件に一目惚れ、小代区佐坊の古民家を即決購入した坂原義浩さん。現在坂原さんは自らユンボを操り、床を剥がして大正13年の古民家リノベーションに精を出しています。坂原さんのこれまでの歩みと、この場所で描く展望についてお話を伺いました。

 

「やりたいことはぜんぶやる」自由に楽しく生きる大人の姿


(坂原義浩さん)

 

坂原さんの生まれは大阪・生野。田舎暮らしとは縁のない暮らしでしたが、祖父と一緒に山遊びをする時間は、幼い頃の楽しい記憶だったと語ります。「やりたいことはぜんぶやりたい」が信条の坂原さん。子どもの頃から車いじりが大好きで、高校卒業後は自動車の整備士として働き始めました。「給料は安かったけど、楽しくて好きな仕事やった。でもそこにお客さんとして建築会社の社長がやってきて」社長の話に惹かれ、建築関係へと職替え。資格も取得し、たくさんの建物の建築や増改築に関わってきました。その時の経験が今のリノベーションにも活きています。

「そのうちにだんだん、雑貨屋をやりたいと思うようになり」物件を借りて自らの手でリノベーションし、大阪府八尾市に雑貨屋さん「自遊本舗」をオープン。雑貨屋さんでは流木やシーグラスなどをアレンジしたものや照明も販売。その屋号にもあるように自由に楽しく経営してきたところ、常連だった大学生がアルバイトに入り、そのまま「ここで好きなことやらせてもらいます」と就職。坂原さん自身も、雑貨屋さんの他にもどんどん「やりたいこと」が生まれてゆき、次々に新しい事業を始めていきました。

「今、全体的にはどんなことをしているんですか」という質問には、居酒屋から菓子製造業、パッケージデザインと様々なキーワードが飛び出します。いくつもの顔を持つ暮らしは忙しそうですが、頭の中に項目ごとに整然とファイルが分かれているような状態で、モードチェンジはお手の物だとか。ここ数年は、「自然、田舎、古民家」をキーワードに新たな拠点を探し続けてきました。奈良県吉野郡天川村でたこ焼き屋さんを開いたり、和歌山の白浜近くで古民家を購入してリノベーションし、民泊をしたり。その中でも坂原さんがひときわ気に入っているのがここ、香美町小代区佐坊の物件だといいます。

 

一目惚れした小代区佐坊の古民家で、夢は更に広がる

小代区佐坊の古民家について、坂原さんはこう話しています。

「こんな太い柱に大きな梁。こんなすごい物件はなかなかない。古民家と言っても、途中でリフォームして新建材を使っている物件もあるが、ここは大正時代に建てられたままの状態で残っている。立派な蔵もあるし、ここでやりたいことがいっぱいある」

インターネットで香美町空き家バンクのこの物件を見たそのときにはもう電話を手にしていたという坂原さん。「誰にも取られたくなかったから、次の日にでも見たいと伝えて」実際に来ると、もうこの場所で叶えたい夢のイメージが次々浮かんできたと言います。

かつて牛小屋だったスペースをカフェに改装し、見晴らしの良い高台部分にはロッジを作ってバーベキュースペースに。隣の大きな農機具置き場はお客様のくつろいでいただけるスペースに改装し、立派な蔵はアコースティックライブができるようなスタジオに。

「カフェやロッジができたら、村の人の憩いの場にもなったらいいし、都会から若い子を呼んで、こんな絶景があるということや、こういう暮らし方があるということを伝えたい。もし空き家に住むことに興味があるなら、リノベーションはなんぼでも教えるから」

自然の中だからこそできる自由に遊ぶような生き方を、来て見て体感できるような場所にしたいと、坂原さんは考えています。

 

生かしてもらった命に感謝して、夢へと突き進む


(改装後は、窓から見える景色も楽しんでほしいと話す坂原さん)

さて、インターネットで見つけた物件をきっかけに小代区に移住した坂原さん。親類も知人もいないこの土地で住むにあたって、心がけていたことがあります。

「地域の人も、知らない人が来て、工事やリノベーションを始めたら不安やと思う。迷惑をかけることもあるから、積極的にこっちからコミュニケーションをとってきた。こっちがとじこもってたら余計不安にさせてしまうから、知らない人でもとにかく元気に挨拶して」

村の人も親切な人ばかりで、声掛けをしてくれたり野菜を持ってきてくれたりと温かいコミュニケーションが続いています。傾斜のある小代区佐坊で暮らしてきた村の高齢者は、年をとっても元気いっぱい。鍬を抱えてスタスタと傾斜を登っていく姿に、「僕も負けてられへん」と刺激をもらう日々だそうです。

古民家改装からカフェ開店へ向け、村の人からは「オープンしたら行くわ」と声をかけてもらえています。地域からも見守られ、夢は大きく広がりますが、「やりたいことがありすぎてなかなか進まへん」とのこと。特に昨年ユンボで事故に遭い、長期入院したこともあって計画は大きく遅れているのだそうです。「でも、心肺停止だった自分を、この村の人が助けてくれて生き返った。せっかく生かしてもらえたんだからできることを精一杯楽しみたい」と、日々大工仕事に勤しんでいます。精力的に楽しむ坂原さんに大変なことはないかと聞くと、「大変なことはといわれたら、大変なことばかり。でも、大変でええねん。大変だから目の前にやることがあって時間がつぶれる。それでええねん」。常に目の前のことに向き合い、取り組み続けることでいつか思いが花開く。与えられた命を存分に楽しみながら、坂原さんは夢の実現に向け、日々「大変だけど楽しいこと」を積み重ねていきます。

 

 

 

気づけば近くにあった「大切な場所」で新たな挑戦を

気づけば近くにあった「大切な場所」で新たな挑戦を

家業がある家に生まれた子どもには、多かれ少なかれその家業と向き合う局面が訪れます。それを運命の仕事として自然と憧れ目指す人、自分なりの道を他に見つけて外に出る人、それぞれにストーリーと想いがあります。時計・宝飾・眼鏡を取り扱うお父様の背中を見て育ち、現在家業を継ぐため通信大学で資格取得を目指している北村(きたむら)要司(ようじ)さんにも、家業を志すまでのストーリーがありました。

 

 

家業から離れ、音楽に明け暮れた日々

北村要司さん

 

北村要司さんはキタムラ時計店の次男として生まれ、幼少期から高校まで香住で育ちました。高校卒業後の進路を決める段になっても、北村さんには進みたい道が見つかりませんでした。やがて周りの勧めもあり、家業を受け継ぐつもりで時計・宝飾・眼鏡を総合的に学ぶ専門学校に進学。それを機に生まれ育った香住を離れました。学校で知識や技術を身につけ始めていた北村さんですが、そのうちにどうしてもチャレンジしたかったことを思い出します。ロックが好きでベースを弾くのが得意な北村さんは『一度自分の夢にチャレンジしてみたい』と一念発起、専門学校を辞めて大阪は難波へ。ベーシストとしてバンドを組み、数々のライブ活動を行いました。大好きな音楽に囲まれ、便利な都会で過ごす日々は刺激的でしたが、30歳を過ぎた頃、音楽活動に限界を感じ始め、2013年に帰郷。

「親は、僕自身が帰ろうと決断するまで、思う存分音楽をやらせてくれました。20代のころも、何度か帰ったほうがいいのかと思ったことがありますが『今帰ると一生ひきずる』と思ってやりきりました。納得いくまでやらせてもらえたので、全然後悔はありません」

区切りをつけて香住に帰ってきた北村さんは、新しい暮らしにむけて動き始めました。

見慣れたこの場所が「愛おしい場所」に

北村さんの前職は豊岡市の映画館スタッフでした。その映画館はただ映画を上映するだけでなく、豊岡市への移住者が集まる拠点としても利用されています。様々なストーリーを持ち移住してきた移住者たちとコミュニケーションをとるうち、「まちの時計・メガネ店」として親しまれてきた「キタムラ時計店」を想う時間が増えてきました。

「ふと、この場所が愛おしくなったというか、『自分にはここがある』と思えたんです」

自分なりの目線で、「家業」を見つめ直したい。そう思ったとき、北村さんがピンときたのが「メガネ」でした。

「以前時計・宝飾・メガネの専門学校に行っていたときも、時計と宝飾の授業よりもメガネの授業が好きでした。これから高齢化社会も進んでメガネが必要な人は増えますし、ゲームやスマホの影響で視力が下がる子供も増えています。社会的にニーズも大きくなり、さらにファッション性もあるメガネに可能性を感じました」

はじめは家業後継を見据え、お父様から学ぼうとした北村さんでしたが、お父様は生粋の職人。背中で見て学ぶのも難しく、カリキュラムに沿った体系的な学びを得たいと考えます。

「通信教育でメガネについて本格的に学びたいと言ったとき、父は『ほんまかい』というようなリアクションでしたが、今は両親も妻も、家族全員で勉強を応援してくれています」

2022年11月に誕生した国家資格・メガネ制作のエキスパートの証「眼鏡作製技能士」を目指し、メガネの通信制専門学校に入学。毎月教科書に沿ってレンズの加工の仕方や眼窩の構造など専門知識を学び、レポートを提出して着実に単位習得に向けて動く日々の始まりです。

 

まちのメガネ屋さんだからこそできること、自分なりの後継の形を

現在は「キタムラ時計店(メガネのキタムラ)」で実務経験を積みながら勉強も行い、お店のSNS発信等も請け負う北村さん。香住のまちで長く続いている「まちのメガネ屋さん」だからこそできることがあると話します。

「メガネの量販店では、おしゃれで安価なフレームがたくさんあります。でも、こういう個人のメガネ屋としては、お客様の『よく視えるという喜び』に寄り添うことが大切です。一人ひとりの目に寄り添った丁寧な検眼を行い、レンズの品質にこだわったメガネを提供したいと思っています」

さらに「まちのメガネ屋の弱点としては『入りにくさ』があると思います。そこのハードルを越えてきてもらえるように、例えば中でコーヒーを飲めるようにするのもいいかなと、漠然と考えてもいます」と、専門学校卒業後のビジョンも描きつつあります。

前職で移住者とよく話し、また今故郷のまちのメガネ屋さんの後継を目指す北村さんは、地方移住についても想いがあります。

「このまちのために何が出来るか、と考えて移住される方も多いのですが、まずは『この場所で自分が何をしたいのか』を考えることが大切かなと思います。都会と違う風習や人付き合いもあり、香住はいい人が多いですが人間関係も濃いので、自分のぶれない『目的』を持つことは重要です」

北村さん自身も今「やりたい」と思えることを見つけ、また同級生もやりたいことを求めて帰ってきている人たちがいるといいます。帰る人、来る人、多くの人の「したいこと」「やってみたいこと」が集まってできる「新しい香住のまち」の姿が楽しみです。

 

 

 

 

海辺で読書、海辺のラン、「海の近くに住みたかった」彼女の選択

海辺で読書、海辺のラン、「海の近くに住みたかった」彼女の選択

「地方移住」というと、大きな志を持った人や、地域活動に興味のある人がすること、というイメージはありませんか? 香美町には、直感的に気軽に、お引越し感覚で移住してきた若い方もいます。令和3年から香美町に住みはじめ、自然体のままで新しい生活に向き合う、香住区在住の渡辺美波さんに暮らしの中での気づきをお伺いしました。

 

渡辺美波さん 取材場所: 香美町まちなか移住相談室

 

決め手は「海の近さ」、出会って半年足らずで移住へ

美波さんの出身は兵庫県の西宮市。海が大好きな家族のもとで生まれ育ち、「海の近くに住むこと」は必ず実現したいことの一つだったと言います。子どもの頃の夢は「海賊になること」。幼なじみの友人と家の近くの川で、海賊になりきって遊んでいたのも楽しい思い出です。

高校2年生のときに、母親と初めて行ったオーストラリアへの海外旅行。周りの人の話す英語が全く聞き取れなかったもどかしさから、英語の勉強に興味をもち、大阪にある外国語大学に進学。卒業後は身につけた英語のコミュニケーション能力を活かすため、京都市のホテルに就職しました。

就職して3年たち落ち着いた頃にわいてきたのが「海の近くに住みたい」という思いでした。その思いを知った職場の先輩が、「僕の故郷の香住に遊びに来てみたら」と提案し、美波さんは令和3年の初夏、初めて香美町を訪れます。

渡辺さんが第一印象で気に入った香住の海 撮影:渡辺美波さん

 

香住の第一印象は、雄大な海が近くにあるということ。さらに山もすぐ近くにあり、大自然を身近に感じられる環境に惹かれました。初来訪の際、香美町まちなか移住相談室にも立ち寄り、移住の具体的な話や制度の使い方を知ったことで、香住に住むことが現実味を帯びてきました。

初来訪では小代区うへ山の棚田も訪れました 撮影:渡辺美波さん

 

令和3年10月、初めての香美町来訪から半年も経たないうちに美波さんは香美町での暮らしをスタートしました。直感で決めた田舎暮らしは、楽しさと戸惑いの連続でした。

 

夢見た新生活には、意外なギャップも

「香住に住む」そう決めたらまずは住む物件探し。一人暮らしの美波さんには「海の近くに住む」以外にも「ゆくゆくは犬と一緒に暮らしたい」という想定がありましたが、なかなか希望通りの物件は見つかりませんでした。結局現在はファミリー向け物件に住み、広々とした空間をどう使うか考えながら生活しています。

勤めていた養父市「hatchcoffee」にて 提供:渡辺美波さん

移住当初の仕事は「山の駅SHAKUNAGE」オーナーの松田晃宏さんが令和3年にオープンした養父市のコーヒースタンド「hatchcoffee(ハッチコーヒー)」のスタッフ。オープン当初から関わり、カフェを作ることに参加できたことは素敵な経験になりました。ずっと勤めたいと思える大好きなカフェでしたが、移住にまつわる想定外から、美波さんは転職を考え始めます。

その想定外とはズバリ「雪とお金」。香住から養父市までの通勤は車で1時間程度。遠方ではありますが秋はなんとかこなすことができました。問題は冬。予想以上の積雪量に「ここまでとは思わなくて、二駆の車を買ってしまったので」通勤時に怖い思いをすることもあったのだとか。また車の維持費、都市ガスが通らないのでプロパンガスを使用することなど、想定外の出費もあり、近隣の正社員で働くことに方針転換。ホテル勤務の経験も活かし、現在は香住区の旅館で働いています。

「旅館では接客はもちろん、旅館で出しているお米や野菜は自家栽培なので、畑のお手伝いもしています。もともと畑仕事には興味があったので、楽しいです」

勤め先の旅館にリピーターの方が多いこともあり、お客様から香美町のおすすめスポットや美味しいものを教えてもらうことも多く、接客を通して新しくまちのことを知る時間も、楽しいことの一つです。

お客様からのおすすめスポットは休日に立ち寄ります 提供:渡辺美波さん

 

「自分の時間が増えたので」夢を一つ一つ着実に叶える姿勢

様々な想定外はありましたが、それでも、「私はここが好きです」と笑顔を見せる美波さん。スポーティーな一面もあり、小学校からバスケ部に所属し、ランニングを趣味としています。

「今住んでいる場所から海までは走って10分くらい。せっかく海の近くに住んだので、ランニングコースは海の近くを選んでいます。仕事終わりの夕方に走ることが多いので、きれいな夕日を見ることもできます」

冬のランニングコースについては課題ですが、雪さえなければ、いい景色の中で日課のランニングを楽しんでいます。

かえる島を見下ろして 提供:渡辺美波さん

お休みの日は移住のきっかけになった「香美町まちなか移住相談室」伊藤達巧さん宅の犬の散歩を買って出たり、旅館のお客様におすすめされた場所に出かけて趣味の写真を撮ったり、海辺で本を読んだりと、香美町ならではの過ごし方を楽しんでいます。

伊藤家の犬「ろくちゃん」とお散歩中の写真 提供:渡辺美波さん

「移住というと、すごいねとか、地域のために活動してるの? って言われたりすることもあるのですが、私はただ、海の近くに住みたくて引っ越してきただけという感覚で。ご近所付き合いや地域活動に誘われるイメージもありましたが、マンションだからかそういうこともなく、今までの暮らしと差はないように思います」

美波さんに会いに、学生時代や前職の友人が香美町を訪れることも多いようですが、「みんないいところだねと言ってくれます」とにっこり。

豊岡市竹野の雲海 撮影:渡辺美波さん

 

「香美町に越してきて、前よりも自分の時間が増えたので料理も丁寧に作るようになりました。スーパーで買う食材もとても美味しいし、自分の夢の一つに『自分のお母さんみたいな、いいお母さんになること』というのがあるので。いいお母さん目指して、日々料理もがんばっています」

目の前のことにひとつひとつ丁寧に向き合う美波さんの姿勢。これからも香美町でたくさんの「楽しい」を見つけることができそうです。

 

美方大納言小豆×カフェで美味しくたのしい生活発信!

美方大納言小豆×カフェで美味しくたのしい生活発信!

2022年1月、香美町香住区に小豆が主役のカフェ「aoite. azuki. baseアオイテ.アズキ.ベース」がオープンしました。店主の三浦由紀子さんは、香美町の特産である美方大納言小豆の栽培も担いつつ、毎週木、金、土曜日にカフェをオープンしています。前職は香美町役場の職員だったという異色の経歴を持つ三浦さんに、今までのこと、お店のこと、暮らしのことをお伺いしました。

 

「作ってください」から「自分で作ってみよう」へ

(aoite. azuki. base外観)

 

三浦さんが生まれたのは香美町の村岡区。高校までは村岡区で育ち、進学を機に神戸へ。卒業後は「生まれ育ったまちに関わることを」と香美町役場に就職しました。公務員として教育委員会や福祉課など、様々な経験を積んだ三浦さんは、農林水産課に配属され農家の方とやり取りするうちに、「これが一番自分にしっくり来る仕事」と感じたのだといいます。

町内に増え続ける遊休農地や休耕田について、高齢農家さんに「どうか耕作してください」とお願いすることが、当時の三浦さんの仕事の一つでした。「頼んでいる立場だけど、それがどれだけしんどいことか、大変なことかわからなくて心苦しいし、知りたかった。だから自分がちょっとやってみようかな、と」やがて農業を志すようになります。

(三浦由紀子さん)

荒廃した遊休農地を無償で借りられるよう交渉し、女性農業者のグループと共に美方大納言小豆の栽培をスタート。農林水産課に勤めていた経験から、栽培の知識はあったという三浦さんですが、「紙の上では理解していたけれど、実際やってみると想像以上に大変」だったと語ります。そして、「手間がかかっているからこそ、適正な値段をつけてあげたい、高く買い取ってあげられるようなシステムができたらいいな」と実感。その想いから、美方大納言小豆の価値を発信する場として生まれたのが「aoite. azuki. base」です。

地元の美味しい小豆を地元で食べる、等身大のカフェスペースづくり

(2階席からは香住高校のグラウンドが一望できる)

 

香美町で生まれ育った三浦さんも、美方大納言小豆について知ったのは、実は農林水産課に配属されてから。地元の特産品ですが、都会の高級和菓子店に卸されることがほとんどで、地元の人の口に入る機会は少ないものでした。

だからこそ「地元にこんなに美味しい小豆がある」ことを知ってもらえる場になればと一念発起、空き家をリノベーションしてカフェスペースを作りました。

「といっても、ほとんど触っていなくてそのままの形を生かしています。地元の若い大工さんのお陰で、限られた費用で心地よい空間を作ってもらえました」

(店内。以前の記事「香美町若者懇話会」の拠点として利用されていたことも)

 

兵庫県の「女性起業家支援事業」の補助金申請のためプレゼンテーションを行った際も「緊張したけど、それもまた楽しかった。なんでも楽しめるんです」と、前向きに、かつ背伸びしないスタイルでオープンに向けて取り組んでいきました。

オープン後は地元の高齢者の方の憩いの場になったり、インターネットや新聞で知って来た町外・県外の方が足を伸ばしたりと、とても幅広い層のお客様に親しまれています。

 

「aoite. azuki. base」が提案する、まちのライフスタイル

(あんバタートースト 税込み500円/アイスコーヒー 税込み400円)

オープン当初から人気が高いのが「あんバタートースト」。塩気のあるバターと、ほっこり甘いあんこが絶妙のバランスで、サクふわに焼き上げられたトーストとのバランスも最高です。

あんこの炊き方は知り合いのおじいちゃん直伝。あんバタートーストに添えられているつぶあんは、美方大納言小豆の大粒で食べごたえのある粒感を残し、甘さも上品で素材の味を感じることができます。

(あっさりした甘みのさっくり食感スコーンも、あんこと好相性 /スコーン(あんバター添え)税込み500円)

 

(白玉とジャージー牛乳アイスとあんこを口いっぱいに頬張る、美方冷やしぜんざい 税込み700円)

 

おはぎやかき氷など、あんこを使ったメニューがたくさん、季節に合わせたメニューも続々追加。今後は小豆以外にも地元産のものを新しい形で発信して行けたらと、新メニューの提供も考えているのだとか。今後の展望が膨らむ「aoite. azuki. base」ですが、実は三浦さんにはこんな思いも。

「高校がすぐ近くにあるので、高校生が集まってくれるような場所にもなれたらいいな。私自身、高校の帰り道に寄り道したのがとてもいい思い出なので。『たい焼き食べたな』って思い出に残る場所になって、私も地元名物のおばちゃんみたいになれたら、もう最高だなって」

価値ある地元の特産品を、もっと身近に発信するために。そして、地元の素敵な思い出に残る場所であるために。三浦さんは栽培から提供まですべてを担いながら、地域に新しいライフスタイルを提案し続けています。