地域おこし協力隊から漁師・庭師へ。3年間全力で地域と向き合い続けた男が出した結論

地域おこし協力隊から漁師・庭師へ。3年間全力で地域と向き合い続けた男が出した結論

地域が抱える課題に対して、その地域で暮らしながら地域協力活動を行う「地域おこし協力隊」。地域おこし協力隊の任期は最長3年ですが、その間に地域でたくさんの体験をし、地域の人と広く深くつながれるのがメリットの一つです。2021年3月末に香美町地域おこし協力隊の任期を満了し、新たな道を歩み始めた房安晋也さんに、地域おこし協力隊の活動で得たものと、これからへ向けた想いを伺いました。

房安晋也さん

 

一人の人間として、地方と向き合いたい。「地域おこし協力隊」という選択

房安さんが生まれ育ったのは鳥取県気高郡青谷町(当時)。小学校在学中、いわゆる平成の大合併により、気高郡青谷町をはじめとする8町村が鳥取市と合併し、気高郡青谷町は鳥取市青谷町に。小学校は町立から市立になり、房安さんの卒業と同時に閉校になりました。子ども心に感じた「地元がなくなっていく」という感覚は心の中に残り続け、その体験から大学では地域学を専攻しました。

卒業論文では、沖縄県の共同売店について研究。共同売店とは、地区ごとに村民が共同出資し共同運営する売店のことで、単なるお買い物の場としてだけでなく、地域のコミュニケーションの場としても活用されています。とりわけ、国頭村くにがみそん安田あだの共同売店「安田あだ協同店」(http://farmthefuture.jp/ada/index.html)の取り組みに、今後の地域活性のヒントを感じた房安さんは、安田地区に3週間住んで、集落の環境や人間関係、地域に根づいた仕事など様々なところに顔を出しながら調査をしました。体当たりで集落の人間関係に飛び込み学んだ経験から、「学生としての立場ではなく、一人の人間として地方と向き合いたい」と、地域おこし協力隊を志すように。

大学の先生に勧められ、知らないまちだった香美町へ。「育った青谷町も海や山があるまちでしたが、香美町はいちいちスケールがでかくて自然がガチ。その雄大さに惹かれました」

流れるように香美町の地域おこし協力隊に就任した房安さんでしたが、そこからの3年間はとても色濃い日々が続きます。

 

 

村岡高校教育コーディネーターを通して得た刺激と、新しい仕事へのビジョン

 
村岡高校教育コーディネーター当時の房安さん

房安さんの地域おこし協力隊としてのミッションは、地域おこし協力隊の中でも特に業務が多いといわれる村岡高校の教育コーディネーターでした。村岡高校では、全国募集の「地域アウトドアスポーツ類型」のうちの地域創造系で、地域の課題に積極的に取り組む授業が受けられます。また、総合的な学習の時間「地域元気化プロジェクト」では、地域で開催される「みかた残酷マラソン全国大会」や「村岡ダブルフルウルトラランニング」に全校生徒がボランティアで関わるなど、地域との結びつきが強い学びの機会があります。その学びのなかで、地域から多くの外部講師を招くことがあり、その外部講師と学校をつなぐのは教育コーディネーターの仕事の一つです。積極的に地域と関わりたい思いを持つ房安さんにはピッタリの任務でした。

「地域の外部講師の方と話すうちにだんだん自分のことを覚えてもらえるようになってきて、地域のことを考えている講師の方々や、地域で積極的に活動している方とつながることができました。コーディネーターの魅力の一つは、仕事を通じて何度も地域の人と関わることができ、深く、仲良くなれることです」

村岡高校の生徒たちには、「この地域をどうするか」を自然と考える雰囲気があり、その姿勢にも刺激を受けました。とりわけ、地域に関わる取り組み方に一目置いていた生徒から、「房安さんはまだまだ地域バカじゃないですね」と言われたことは大きな奮起となりました。

村岡高校協力隊時代の房安さん

 

「自分自身がダイレクトに、地域の中に労働者・生活者として入っていきたい」

村岡高校で働きながら、週に3度はプライベートで香住に行き、釣りをしていたほど釣り好きの房安さん。香美町の地域おこし協力隊も3年目になる頃、漁師として働くという夢が徐々に現実味を帯びてきました。協力隊の上司に想いを話すと、上司の知り合いの船長さんを紹介してもらえた上、たった5分の面接で採用決定。あっという間に夢が形になりました。

「たまたま縁あって来た香美町が、面白いところだった。香美町は広いから、面白い人が広範囲に点在しているので、本気で出会いに行くと、いろんな生き方や職業とも出会えます」

地域おこし協力隊の3年間の活動が、実は長期間の「就活」につながることもある。だから、香美町の協力隊になる人は、とにかく3年間真面目にまっすぐに香美町と向き合ってほしい、そう房安さんは語ります。

 

漁師、そして庭師。香美町で暮らすことを選んだ彼のこれからの挑戦とは

2021年の4月に漁師デビュー。房安さんが乗るのは底引き漁の船。6月から8月は禁漁で、取材日は8月のため、漁師として経験を積んだのは実質2ヶ月です。海底に底引網を沈め、引航して行う底引き漁は、非常に過酷な仕事だと言われています。

「4月5月は凪なので、朝出て、ホタルイカを取って、夜帰ってくるという生活サイクルでした。9月からは、一回の漁に2~3日かかり、先輩からは『地獄見るから覚悟しとけよ』と言われています。短期的な目標は、とにかく底引きの船の過酷さをまず経験して、乗り越えること。長期的には一緒に漁をする仲間が増えたらいいなと思っています。香美町だけでなく、漁師はどこも後継者不足という課題があります。でも、潜在的に漁師に憧れている人はいっぱいいると思っていて、思い切って飛び込んでくれる人が世に広がっていったらいいなと思っています」

禁漁の時期は、房安さんにとってお休みの時期……ではなく、大切なもう一つの仕事に取り組む時期です。教育コーディネーターの仕事を通して知り合った小林良斉かずひとさん(https://kamicho-ijyu.com/cms2/buyuden/)のもとで、庭師の見習いもしています。

「年間で2ヶ月しか関われませんが、庭師もとても面白く奥深い仕事です。もっと時間があったらもっと関われる分だけお世話になって、漁師と庭師、2本の柱として生きていけたら理想です」

香美町では、夏の間は牛飼いと農家、冬は酒造りというような、季節労働が昔から行われてきました。単なる出稼ぎと言ってしまえばそれまでですが、自分の経験と興味と縁で仕事をつなげて生活する土壌があるとも言えるのではないでしょうか。

「香美町での暮らしは、ふんわりした『田舎暮らし』ではなく、面白いことができて、厳しいことの中にも光るポイントがあります。香美町は輝ける場所が見つかるまちなので、世の中に不満があったり、くすぶったりしている人に向けて、香美町での生き方を広げていく人になりたいと思っています」

まずは秋から、厳しい底引き漁に挑む房安さん。数年後、漁師の経験を経てのストーリーをまた伺いたくなるようなインタビューでした。

「必ず牛が返してくれる」牛と向き合う仕事のやりがいと抱負

「必ず牛が返してくれる」牛と向き合う仕事のやりがいと抱負

赤身の味わいと、サラッとした脂身の絶妙なバランスで、世界中の食通から高い評価を受ける但馬牛。香美町のある兵庫県美方郡は、独自の育種改良により、日本のブランド和牛の原点となる良質な肉牛を育ててきた地域としても知られています。他の農業と同じく、畜産農家も高齢化が進み、質の高い食文化を次世代につなげる若い担い手の不足が深刻になっています。その時勢の中、香美町村岡区にはご夫婦と研修生という3人で若い力を合わせ、「良い牛」を生み出すために力を尽くす「森脇畜産」があります。ご主人の森脇雄一さんと奥様の芙紗さん、スタッフの佃みのりさんにお話を伺いました。

 

日々牛と向き合い続ける繁殖農家の仕事

ご主人の森脇雄一さんは村岡区出身。ご両親が牛飼いの仕事をしている姿を見て育ち、高校卒業後は神戸市の精肉店で経験を積みました。食肉について学ぶうち、牛を飼うことの奥深さを感じて帰郷。父・薫明しげあきさんのもとで畜産の経験を積んでから、2012年に独立しました。

森脇雄一さん

 

いわゆる「牛飼い」には、母牛に子牛を産ませておよそ月齢9ヶ月まで育てる「繁殖農家」と、繁殖農家が育てた子牛を大きく育てる「肥育農家」があります。森脇畜産は繁殖農家で、母牛の出産に立ち会うのはもちろん、肥育農家に「良い牛」を届けるため餌の配合やタイミング、運動の内容など日々技術を磨いています。

森脇畜産の一日は、早朝の餌やり、除糞から始まります。一段落ついてから自分たちの朝食を取り、その後午前中は牛を牛舎につないでブラッシングをしたり、牧場の手入れをしたり。午後からも同じように餌やりと除糞を行い、牛たちの変化や体調に気をつけながら作業をどんどん進めていきます。また牛たちにとって、日光浴もとても大切。天気が良い日には外に出して歩かせるのもいい子牛にするためには欠かせません。香美町内では、近隣の耕作放棄地に畜産農家が牛を貸し出して放牧する『レンタルカウ事業』が行われており、使われない農地の保全も兼ねながら、牛たちの日光浴の時間も確保しています。

「生きもの相手の仕事なので納得の上ですが、やはり毎日の餌やりや突然の出産があるので休みは取れません。でも経験を積むうちに、牛の状態を適切に見られるようになり、『いつもと表情がちがうぞ』とか、一人ひとりのことがわかるようになりました」

日々牛たちに手をかけ続けることで手応えを感じると語る雄一さん。2020年には大きなやりがいを感じる嬉しい出来事もありました。

 

共進会でグランプリ、裏打ちする丁寧な関わり

2020年11月に開催された第102回兵庫県畜産共進会(但馬牛の品質を競うコンテスト)に、種牛の部で森脇畜産が出品した「たかとみ5」がグランプリの名誉賞に選ばれました。審査員からは、牛の体型や肌ツヤの良さ、まっすぐな背線、肩つき、後ろから見て美しいひし形であることなどが評価されました。

「とても嬉しかったですけど、プレッシャーも感じています。これからもっと技術を高めていかなければと身の引き締まる思いです」と雄一さんは話します。

「グランプリを初めていただいて、それはそれは嬉しかったです」と話すのは、奥様の芙紗さん。兵庫県市川町で生まれ、雄一さんの帰郷とともに畜産に関わり始めた当初は、驚きと戸惑いの連続でした。

森脇芙紗さん

「犬や猫も飼ったことがなかったのにいきなり牛、みたいな。牛は度々脱走するし、なめられたり蹴られたり、大変だらけでした。自分たちの見落としが原因で分娩事故につながることもあるし、生きもの相手の仕事は難しいです」

慣れない牛飼いの仕事に奮闘する芙紗さんでしたが、なぜか雄一さんが牧場を離れているとき限って突然の出産が始まるなどのハプニングもあり、その度に事態を受け止めながら対応し、場数を踏むことで成長を重ねてきました。

「続けるごとに、『そろそろ産むかな』とわかってきて、子牛の体調不良にも早く気付けるようになってきました。はじめは嫌だなと思うこともありましたが、難しい分やりがいのある仕事でもあります。手を抜くと病気も増えてしまうし、手間を掛ければかけるほど、大変ではありますが大きくなってくれたり良い牛になってくれたり、必ず牛が返してくれます」

日々牛たちと向き合いながら9年、その技術が認められる繁殖農家に成長した森脇畜産の活動に注目が集まります。

 

若い力で発展させたい、食肉文化と但馬牛の品質

佃みのりさん

そして森脇畜産には、頼れる若いスタッフ、佃みのりさんの存在も。みのりさんは兵庫県西脇市出身。農業大学校に通っているときに、雄一さんの父・薫明さんの牧場で研修を受け、卒業後は森脇畜産で牛飼いとしてさらなる修行を積んでいます。「脱走は大変だけど、牛が可愛いから、牛飼いは楽しい」と語る佃さん。雪の多い香美町での暮らしに戸惑うこともありますが、ここで経験を積むことで「良い牛を丁寧に育てられる牛飼いになりたい」と夢を語ります。

牛飼いを志すことについて雄一さんは、「(みのりさんのように)牛が好きな人が一番。休みがない分、牛と触れ合うことを楽しめることが大事です。現実は大変なことも多くあり、牛が死んでしまうこともある。でもメソメソしている時間はなくて、これを繰り返さないためにはどうしたらいいか、次を見据えていく目は必要です」と話します。

若い力を受け入れることで森脇畜産はさらなる成長を遂げ、新たな未来を見据えています。

「今後は、繁殖だけでなく肥育まで、さらに僕自身に肉屋で働いた経験があるので、人の口に入るところまで見届けたいという思いがあります。長く守り続けられてきた純血の但馬牛を、いま自分たちが飼わせてもらっているという自覚をもち、一連の流れを自分たちでやることで、但馬牛は他の牛と比べて特別なんだということをお客様に直接伝えたいと思っています」

伝統と品質で知られる但馬牛。その品質を高めるためにチャレンジを続ける若い担い手たち。食肉文化、ひいてはこれからの食文化をより豊かにしていくために、日々丁寧に牛と関わり続けていきます。

香住で感じる時の流れと、ここならではのビジョン

香住で感じる時の流れと、ここならではのビジョン

香美町への移住のきっかけのひとつに、結婚などライフステージの変化があります。香住生まれの山田航大さん、大阪生まれの楓さん夫婦は、神戸・尼崎での会社員生活から一転、結婚を機に航大さんの実家がある香住にお引越し。それから1年、気取らず自然体に香住ライフを楽しむお二人に、香住ならではの暮らし方や人との繋がりについてお話を伺いました。

香住が好きなのに、なぜ自分は都会にこだわってるんだろう。

 

香住生まれで香住育ちの航大さん。地元に愛着はありましたが、進学で神戸市に移り、そのまま就職。楓さんと出会い、特に問題を感じることもなく日々を過ごしていました。そんな航大さんの気持ちを大きく変えるきっかけになったのは但馬方面への出張だったといいます。

「その時に実家に泊まっていてふと、『なぜ自分は都会にこだわってるんだろう』と思ったんです。急にひらめいたように、『だったら仕事をやめて帰ってこよう』と言う気持ちがでてきて」

山田航大さん

測量士の資格を持つ航大さんは、香住から通える範囲内で仕事を探しました。現在の通勤時間は車で一時間。少し長いようにも感じますが、「これぐらいが仕事とプライベートの切り替えができ、自分だけの時間も持てるので丁度いい」と感じています。

同時に楓さんとの結婚の話も固まり、ともに香住で住むことに決定。ただ、大阪生まれ、尼崎で働く楓さんについては「こんな田舎でやっていけるのだろうか」という心配も、航大さんにはありました。

 

暮らしの違いに戸惑いながらも、日々を楽しく過ごせる理由

 

「私が育ったのは河内長野市で、大阪と言っても山が近くにあり、田んぼも少し歩けばあるという環境です。それでも住宅街だったので、ここに来て一軒一軒のスペースが広いなと感じました」と、香住の第一印象を話す楓さん。尼崎市で働いていたときは、仕事帰りにショッピングモールやカフェに立ち寄り気分転換をしていたのが、香住に来てからはできなくなり、「今は慣れましたが、最初はちょっと戸惑いました」と話します。

結婚し、香住で暮らすことが決まり、航大さんのすすめで楓さんは㈱トキワに入社。移住する前に不安や戸惑いはなるべく解決しておくことで、スムーズに新生活へ移行することができました。

山田楓さん

「実際に住んでみて、ちょっとしたお出かけができないことや、移動はほぼ100%車になっちゃうこと、普段の医療は大丈夫ですが産科が町内にないことなど、結婚して嫁いでくる人にとってはちょっと大変かな」

それでも楓さんが香住の暮らしを楽しめているのは、「夫を通しての人とのつながりがあるから」。航大さんの中学・高校時代の友人は繋がりも強く、畑や小さなキャンプ場を自分たちの手で作るなど、楽しみ方をどんどん生み出していきます。

「お金のかからない、田舎ならではの大人の本気の遊びっていうのが不思議な感覚で楽しいです。またそのメンバーでもある伊藤達巧さんが、レンタルスペースglassで『香美町まちなか移住相談室』を開いているので、仕事帰りに立ち寄っていろいろお話して帰ったりするのも気分転換になります」

仕事もあり、週末の楽しみもあり、多彩な活動をする人とも早く繋がれたことが、香住ライフを充実させていると話す楓さん。「よそ者だからと言う雰囲気はなく、飛び込みやすい環境や、ぱっと入っても大丈夫なウェルカム感があります」と、香住の人の良さには太鼓判を押します。初めは楓さんが香住での暮らしに馴染めるのか心配していた航大さんも今の様子に安心しているそうです。

 

 

仕事も遊びも「農業」も、暮らしを充実させる柱

取材場所:㈱トキワカフェスペース

 

日々の仕事や、友人たちと行う本気の遊びのほか、航大さんと楓さんが大切にしているのが「農業」の時間。航大さんの実家が管理する広大な田んぼを休みの日に手伝います。全く初めての農業ですが、「家族だけなので気を使わず、開放感のあるところで自分のペースで農業ができてストレスフリーです」と笑顔を見せる楓さん。幼い頃からご両親の農業をする姿を見て育ってきた航大さんも、「職場での仕事とはまた違う、気晴らしのようなもので、農作業があるからこそ自分があるというありがたみも感じている」と話します。

地域で若い方が農業をしている姿は珍しく、高齢化で農業に携われなくなった方から「うちの田んぼも世話してほしい」と頼まれ、年々管理する土地は増えているとのこと。

「兼業農家とは思えないくらいの量をこなしているので大変ですが、自分たちのためにもなることだから。ゆくゆくは(香住区)三谷みたにの全域に携わることができたらというビジョンもあり、将来的には農業だけで生きていくのが夢です」と航大さんは力強く話します。

「なぜか香住だと時間がゆっくり流れる。なぜかはわからないけれど、この不思議な時の流れが好き」と話すお二人。夏は思い切り農業を営み、冬はゆったりした時のなかのんびりと過ごしながら、航大さんは大好きなスキーをするなど、今ここでできる季節ごとの楽しみを満喫しています。地域全体のこれからもビジョンに入れ、一日一日地に足をつけて歩むお二人の姿が印象的でした。

 

棚田百選に選ばれる絶景と、人が集まる拠点で作る、新たなまちづくりの形

棚田百選に選ばれる絶景と、人が集まる拠点で作る、新たなまちづくりの形

山々に囲まれた土地に見られる「棚田」。山の斜面を有効活用して作られた段差型の田んぼは、日本の伝統と文化を思わせる原風景とも言えます。代掻(しろか)き後、水を張った田は周囲の景色を映し、秋はこぼれんばかりの稲穂が頭を垂れる、まさに棚田は日本が世界に誇る絶景です。

うへ山の棚田

香美町小代区にも、日本中から、そして世界から人々が訪れる美しい棚田があります。貫田地区の「うへ山の棚田」です。1999年7月農林水産省によって「日本の棚田百選」の一つに認定され、田植えや稲刈りの季節には多くの人がカメラ片手に訪れる、話題のスポットでもあります。しかし、傾斜地で段々になっているため、大型の機械での手入れができないなど、棚田の維持には平野部の田んぼ以上の労力が必要です。自然の中に息づく美しい風景も、そこに暮らす人々のたゆまぬ努力によって守られ続けているものなのです。

現在「うへ山の棚田」を守っているのは地元の有志グループ・「俺たちの武勇田」のメンバー。それぞれ普段は建築関係・造園関係、福祉関係、公務員など本業に勤しみながら、休みの日や空いている時間を使って棚田の保全に努めています。その活動の根底にある思い、棚田のもつ可能性について、メンバーの田尻幸司さんと小林良斉かずひとさんにお話を伺いました。

この日活動に参加した「俺たちの武勇田」メンバー

 

「外から目線」で気づく、地域の財産

結成当初からのメンバー、田尻幸司さんは幼い頃からこの絶景とも言える棚田の風景を当たり前に眺めて育ってきました。

「うへ山の棚田を美しい景色などと意識したことはありませんでした。子ども時代は稲刈り用のコンバインもなく、バインダーで刈った稲を稲木にかけて風向きを計算して干して……。美しさよりも、手伝うのが煩わしいなというような思い出でした」

田尻幸司さん

 

大人になり、自らが中心となり米作りをし始めたのも義務感によるものが大きかった田尻さんの意識を変えたのは、「外の人」からの視線だったといいます。

「当たり前過ぎて、中にいたらわからないものですね。でも観光に来た人がキレイだキレイだと写真を撮っている姿を見たり、小代の棚田が棚田百選に選ばれたことを知ったりすることで、『これは素晴らしいものだったのか』と気づかされたという感じですね」

大型の農業機械で作業がしやすいよう、圃場(ほじょう)整備が進む現在では、棚田のようにもとある地形を生かした形での田んぼは少なくなっています。
「でも、この形で残っていることこそがすごい。この形のままで、この形のままがええんだと今は思います」
自然とともに暮らしてきた先人たちの知恵と労力の結晶である棚田が作り出す風景は、いつしか地域のみんなの誇りになっていきました。

村一丸となり守り続ける「うへ山の棚田」の風景

ところが2010年を過ぎた頃から、うへ山の棚田の一部に耕作をしていない様子が見られました。田んぼの持ち主に話を聞くと、「もう、よう(米を)作らへん(作れない)」とのこと。地元からも観光客からも愛され続けるうへ山の棚田の風景、その一部が荒れてしまうことに地域の誰もが危機感を覚えました。うへ山の棚田の所有者を中心に、「なんとかこの風景を守りたい」という、その思いに賛同する貫田地区の住民が結束。2012年、耕作されなくなった田んぼを荒起し、代掻き、田植えと手探りのまま作業が始まりました。

それぞれに本業もあり、耕作経験のないメンバーもいる中、村の年配の方からは「若いもんらには無理だ」「最後までできんだろう」という厳しい声もあったといいます。しかしその一方で、苗を提供し、器具や肥料の知識を伝え、耕作のノウハウを教えてくれたのもまた、村の先輩方でした。

「棚田それぞれに個性があり、『じゅる田』といって水はけが悪い田んぼなどは早めに水を切る必要があります。でも当初はそれを知らず、足がぬかるみに取られて動けないまま稲刈りをしたり、稲刈りの時期に雨が降ったりと大変苦労しました。コツも村の人達に教えてもらいながら、年々経験を重ねるごとに棚田一枚一枚の個性がわかってきたような感じです」

トライアンドエラーの連続を乗り越え、「俺たちの武勇田」の活動は多くの人に注目されることになりました。そしてそのことが、後にうへ山の棚田に新たな転機をもたらすことになるのです。

外との関わり、そして移住、ゲストハウス…貫田地区の新たな可能性とは

田植えの様子

 

経験を積みつつ新たな休耕田を引き受けながら活動を広げてきた「俺たちの武勇田」メンバー。活動資金は本業の休日に、集落の水道タンクを清掃したり、水路の整備をしたり、スキルを生かして頼まれごとを引き受けたりする「ホリデ~交業」で調達。

「そしてその資金で、みんなで酒を飲む。作業で集まってもその日のうちに飲む。それがあるからみんな楽しんで参加できてる」というように、コミュニケーションの場がメンバーの絆を深めてきました。

生き生きと活動するメンバーの様子が話題を呼び、小代小学校での活動発表や、小代中学校の体験学習、村岡高校の総合的な学習の時間の授業等で中高生を受け入れるなど、地元との交流も増えました。そして、「俺たちの武勇田」メンバーの小林良斉さんが窓口となって、神戸市の夙川学院大学(当時)観光文化学部をはじめとした都市部の大学生も受け入れ、田植えや稲刈りの作業もともに行うようになりました。受け入れた大学生の中には、「ゼミの一環として」来たはずが、うへ山の棚田のあまりの絶景ぶりと人の温かさに惹かれ、ついには移住してゲストハウスを開いたという田尻茜さん(旧姓・北田さん)の存在も。茜さんとうへ山の棚田との出会いが一つの転機となり、うへ山の棚田は観光スポットから一歩踏み込んだ、「関わりしろのある場所」として認識され始めてきました。

 

田尻茜さんのストーリーも「WONDERKAMI」で紹介しています。

小林良斉さん

「茜さんが学生時代から周囲に声掛けをしてくれていたことで、地元以外の方も継続してうへ山の棚田に関わり続けてくれるようになりました。、若い人が集まって草抜きのイベントをしてくれるなどの風景を見ると心強いです。若い人と関わるのはこちらも楽しいですし、小代の人は外から来た人に対してもオープンな人たちなので、うへ山の棚田と長く、毎年関わってくれるような人たちがこれからも増えたらいいなと思っています」と小林さんは希望を持って話します。

守りたくなる美しい風景。そして関わり続けたくなる人のつながりと、人が集まりやすい拠点の存在。貫田地区の人達と、守られ続けてきた棚田の存在がもたらす、地域づくりの新しい可能性にこれからも注目が集まります。

 

2021年田植えに参加したメンバー。地元の人、遠方からの家族連れ、鳥取大学の学生さんなど

 

「これぞ村岡の味」まろやかで優しい矢田川みそで届ける心豊かなくらし

「これぞ村岡の味」まろやかで優しい矢田川みそで届ける心豊かなくらし

日本の伝統ある発酵調味料、味噌。かつての日本では、どこの家庭でも味噌は手作りの「手前味噌」、伝統的な家庭の味、地域の味がありました。村岡区の道の駅「あゆの里矢田川」でもお土産として好評の「矢田川みそ」もまた、香美町を代表する美味しい味噌の一つです。

今回お邪魔したのは「矢田川みそ」の生産・販売を行う農業法人「むらおか夢アグリ」。作業場に一歩足を踏み入れた瞬間、大豆と麹の甘く濃厚な匂いに包まれます。

農家の冬仕事ともいわれる味噌づくり。むらおか夢アグリでも農閑期である12月から3月を味噌づくりの期間に当てています。息の合った作業の合間にユニークな掛け声が飛び交い、味噌づくりの現場は終始和気あいあいとした雰囲気です。

 

ふるさとの味「矢田川みそ」再生のストーリー

 

むらおか夢アグリの設立は、令和元年9月。農業者の高齢化により増えている荒廃農地の復活・再生なども行う建設工事会社「村岡アグリファーム」の子会社・農業法人として生まれました。春から秋は再生した田畑の手入れ、冬は味噌づくりという、昔ながらの雪国の農家さんのような暮らしを体現しています。

矢田川みそが生まれたのは20年以上前にさかのぼります。道の駅あゆの里矢田川がオープンした平成11年、「地域の産品を生かした特産物を」と地元射添いそう地区の婦人会が中心になり「野いちごグループ」を結成、レシピ開発をしたのが始まりです。

 

矢田川みその材料は地場産大豆、地元のコシヒカリを使って手作りした米麹、塩のみ。まろやかで甘味がある優しい味が特徴で、兵庫県が認める安心・安全の証「ひょうご推奨ブランド」にも選ばれています。地元の人からも観光客からも人気が高く、道の駅でも土産物や贈り物に好評を博した矢田川みそですが、生産者の高齢化などにより、平成28年を最後に生産中止となりました。

 

矢田川みその在庫が尽きてからも、販売中止を惜しむ愛好者たちの声が多く寄せられ、道の駅を運営する地域住民グループ「大平おおなる会」のメンバーたちは、「お客様の声になんとか答えられないか」と一念発起。新たに地元の女性たちを集めて野いちごグループの元メンバーに教えを請い、直伝のレシピで矢田川みそを復活させました。復活した矢田川みそは愛好者からも「変わらぬ味」と太鼓判を押され、ふたたび道の駅の看板商品になりました。その大平おおなる会の代表者が村岡アグリファームの代表でもある仲村正彦さんです。


(「むらおか夢アグリ」の皆さん。旗を持っているのが仲村さん)

「みんなに愛され続ける矢田川みそを安定して提供できるように」という思いから、仲村さんは子会社むらおか夢アグリを設立。令和元年の冬からは大平会直伝のレシピでむらおか夢アグリのみなさんが味噌づくりを受け継いでいます。味噌の熟成には約一年かかるため、令和2年の後半からむらおか夢アグリの味噌が市場に出回り、これもまた矢田川みそならではの甘くまろやかな味がそのまま受け継がれていると大好評です。


(パッケージは一新、中身は伝統の味をそのままに)

「ここなら楽しく働ける」人とつながり生きがいを感じる現場として

「ここ(村岡)には、山もあり、川もあり、自然の豊かな恵みがあります。おいしい食べ物がたくさんある、とてもいいところです。ここだったら元気で働けるという人もいると思うし、ここの良さを伝えていきたい」と語る仲村さん。荒廃農地の再生を通して、若い人も働きやすい場所として、地域を押し出せたらとも考えています。矢田川みその後継をきっかけに子会社のむらおか夢アグリを立ち上げる際、「リーダーシップと行動力がある素晴らしい人」とかねてより評していた地域の女性・今井裕子さんをその代表の座に据えました。


(むらおか夢アグリ 代表 今井裕子さん)

「まさか自分が創業・起業に関わると思っていなかったので驚きました」と話す今井さん。戸惑いもたくさんあったそうですが、荒廃農地を再生して地域を活性化したいという仲村さんの志にも共感し、この地で愛されてきた矢田川みそを多くの人に届けたいと奮闘しています。

 

「矢田川みその原料は自分たちで作りたいと、去年(令和2年)初めて会社で農業をはじめました。私も従業員も農業の専門家ではないので地域の人や県の農業改良普及センターの方に教えていただきながら技術を少しずつ身につけています。今後少しずつ圃場ほじょうも広げながら、挑戦も広げていきたいと思います」


(米麹づくりが今井さんの一番好きな行程)

 

従業員は気心の知れた地元のメンバーばかりで、何気ない会話に笑顔がこぼれる温かい雰囲気。「この会社を設立したのは、地域の人や退職した人がもう一度現役で働ける場を作りたいという思いもありました。70代の方も、『元気がもらえるから』とみなさん喜んで来てくださるのでありがたいです」。

 

地域で楽しく働いてもらうために大切にしているのはコミュニケーション。お昼ごはんは持ち回りで昼食当番さんが作り、従業員みんなで食卓を囲みます。朝礼、お昼ごはん、終礼で必ず顔を合わせるという距離感が、良い雰囲気に繋がっています。

(昼食の様子)

 

今後の目標は、かつて野いちごグループが作っていたという最大10トンのみその生産。「手作りの限界に挑戦する気持ちです。楽しく働ける現場なので、これから味噌づくりに関わる仲間たちもどんどん増やしていきたいですね」と今井さんは笑顔を見せます。手作りならではのまろやかさが多くの人に愛される矢田川みそ。「これぞ村岡の味」とより多くの人に親しんでもらえるよう、今井さんとむらおか夢アグリの皆さんは目標に向かって突き進んでいきます。

 

むらおか夢アグリ 

所在地:〒667-1362 美方郡香美町村岡区原14-3

TEL 0796-80-2154

FAX 0796-80-2242

営業時間 平日 8:00~17:00

ホームページ web

矢田川みそ 取り扱い店舗

ネットショップ web

道の駅あゆの里矢田川 web

ナカケー村岡店・白川店・湯村店 web

道の駅村岡ファームガーデン web

道の駅ハチ北 web

道の駅あまるべ web

めぐみの郷和田山店 web

のんきや入江店 香美町村岡区入江1153 電話: 0796-95-0964

三田まほろばブレッツァ web

たじまんま豊岡店/和田山店 web

 

 

 

香美町を離れた今だからこそ、地域のためにできることを

香美町を離れた今だからこそ、地域のためにできることを

香美町で生まれ育った若者たちの多くは、高校卒業後に就職や進学のため一度故郷を離れます。生まれてはじめて町外で暮らすそのとき、彼らは何を思うのでしょう。今回オンライン取材をしたのは「こねかみ(Connect Kamiの略)」の皆さん。こねかみは現在5名の香美町出身の大学生で構成され、一度香美町を離れた立場から改めて香美町の魅力に目を向け、帰ることが出来る場所、住み続けられるまちを自分たちの手でつくっていくための活動を行っています。

 

こねかみ2期生メンバー。代表・今西大空いまにしそらさん(上左・香住区出身)、井端実優いばたみゆさん(上右・村岡区出身)、坂本舜さかもとしゅんさん(中左・小代区出身) 小林笑果こばやしえみかさん(中右・小代区出身)、水田嶺央みずたれおさん(下・村岡区出身)

こねかみの始まり

 

こねかみのはじまりは2017年、大学生(当時)5名で結成されました。大学進学を機に初めて香美町を離れ様々な経験を積むうちに、香美町の可能性や魅力、課題を客観的に捉え直すことができ、「今の自分達だからこそ地元のためにできることはないか」と考えたのが結成のきっかけでした。

 

こねかみ代表・今西さんの香美町おすすめスポット「今子浦」の夕日。「日本の夕陽百選」として認定され、ドライブがてらや学校帰りに見ると美しさに圧倒される。今西さんにとっては「故郷に帰ってきた」と実感する風景。

 

1期生は、香美町を散策して今まで気づけなかった地域の魅力を探る「かみさんぽ」、地域課題についてディスカッションをする「香美超会議」などの活動を通して、主に地元の高校生とともに地域の可能性を見出してきました。1期生が大学を卒業する時、「この活動を絶やしたくない、受け継いで続けてほしい」との思いから現メンバーの5名に白羽の矢が立ちました。

 

香美町は、2005年に城崎郡香住町、美方郡村岡町・美方町(現在の小代区にあたる)の3町が合併して生まれました。合併してからもどこか香住・村岡・小代の間に見えない壁のようなものが感じられるそうで、こねかみは、「香美町をもっと狭く」をモットーに、3地域の境目や世代の境目を越えて、若者からまちをつなぐための活動を行っています。その背景もあり、1期生も2期生も、出身地域は香住区、村岡区、小代区と分かれたメンバー構成。2期生の5人は、「小学校から知っていた」「同じ高校で仲が良かった」というケースもあれば、「こねかみを通して初めて知り合えた」というケースもあり、様々です。5人の共通点は、「今は地元から離れているけれど、何らかの形で地元とつながっていたい」と感じていることでした。

坂本さんの香美町おすすめスポット「うへ山の棚田」。「日本の棚田100選」に選ばれた見た目の美しさはもちろん、「俺たちの武勇田」メンバーを始めとした人の思いと努力があって保全されているというストーリーも魅力。

こねかみの、最近の活動

 

2期生は遠方のメンバーもいることや、新型コロナウイルスの影響もあり、主にオンラインでの活動を行っています。毎週水曜日はZOOMを利用したオンラインミーティングを行い、お互いの近況報告を兼ねて次回のイベントの企画発案を行います。

「かみトーーク!」第2回イベント写真

2020年の夏にはZOOMを利用したトークイベントを2回開催。「くらしを聞く」でも取り上げた「スミノヤゲストハウス」の田尻茜さん、「JINENAN(じねんあん)」の岸本元気さん・葉子さんご夫妻をゲストに迎えた、お話を聞いたり質問したりの双方向コミュニケーションイベントです。

井端さんの香美町おすすめスポット「御殿山公園」の桜。村岡高校バレーボール部のお花見はここが定番。山名氏の陣屋跡、歴代藩主の墓所などが整備され、幕末に建てられた奥方部屋も現存。井端さんにとって思い出深い場所でもあり、混雑もなく美しい桜が楽しめるのもおすすめポイント。

 

かみトーーク!のゲストは、香住区、村岡区、小代区それぞれで活躍しているかっこいい大人たち。大学生目線で見た、香美町での興味深い暮らし方をしている人を中心に、SNSの情報発信内容もチェックし、現在次回のゲストについて5人で話し合っているところです。

水田さんの香美町おすすめスポット「ハチ北スキー場からの風景」。幼い頃からスキーに親しんで育ってきた水田さん。スキー自体が楽しいのはもちろん、山の頂上から見える香美町の山々や集落も情緒がある。

 

また、定期的に発信されるブログも必見です。「好きな場所」「興味があること」「Uターンについて」など、メンバーが常に考えていることをテーマに、5人が持ち回りで思いを綴ります。それぞれ等身大の気持ちが率直に表現され、興味深く読むことができるブログは、こねかみメンバーをぐっと身近に感じることができます。

 

小林さんの香美町おすすめスポット「八幡山公園」。1992(平成 4)年「国際彫刻シンポジウム」で世界6カ国、12名の彫刻家が地元(福岡)の笠波石を使って彫刻作品を作成した。小林さんを含め村岡高校の地域創造系57期生は、シンポジウムに 関わった彫刻家の方に手紙を書き、この公園のガイドマップを作り地元への啓発活動を行っていた。

地域のイベントで感じた、人との絆

進学を機に故郷を離れると、新しい生活が最優先となり、地元から気持ちも離れてしまうケースも多い中、なぜこねかみメンバーは「地元とつながっていたい」と思うのでしょうか。その背景には、地域の大人たちと密に関わりながら育ってきた、香美町で育んだ人との絆があるようです。

 

特に、坂本さん、小林さん、水田さん、井端さんが揃って印象に残っていると話すのが、みかた残酷マラソン全国大会。小代区の一大イベントで、小代中学校と村岡高校の生徒全員がスタッフとして参加します。小代区の人口およそ2000人に対し、集まるランナーはおよそ3000人。この数字からも、この場所が必要とされていると感じたといいます。

 

地元のイベントに関わるのを億劫に感じているような同級生が、いざ当日になると一生懸命水を配ったりランナーに声をかけたりしている姿だったり、村岡の吹奏楽団体に入り音楽でランナーにエールを送ったり、街全体がランナーを応援している姿に感動し、心動く瞬間が多くありました。

 

こねかみメンバーと、香美町のこれから

 

香美町を離れて数年。こねかみメンバーは今後、自分の人生と香美町の関わりをどう考えているのでしょうか。

 

「大学で、都市部で育ってきた人とも話していると、人口が少ない環境で育ってきた自分たちだからこその強みがあると感じているので、その話ができるよう、今後はより深く地元のことを知っていきたいと思っています」(今西さん)

 

「まずは自分の力を別の場所で試してみたいと思っています。40代、50代で一区切りついたら、香美町で働いてみたいと考えています」(水田さん)

 

「香美町には『会いたい!』と思う人がたくさんいます。これからたくさんの出会いを経験して、たくさんのことを学んで、香美町に帰ってきたいと思っています。いつ帰っても『おかえり』と言ってもらえる香美町が大好きです!」(井端さん)

 

「とにかく地元が大好き。大学卒業後は自分の好きなことができる場所で好きなことをやって、それを地元に持ち帰れたら理想的だなと思っています。一度香美町を出た今なら前の自分より地元を楽しめる自信があり、もっと地元を楽しみたいという気持ちは強いです」(小林さん)

 

「大阪に住んでみてとても便利だと感じるのですが、香美町は自然が豊かで魅力的なスポットもあるし、なにより人も優しく繋がりが強いので、帰ってこれたらなと思っています」(坂本さん)

 

外の地域で様々な経験を積みながらも、今後も何らかの形で地元とつながっていたいと感じている5人。今後も多彩なイベントを企画しつつ、自分たちが1期生から引き継いだように、次の世代のことも見越しながら活動していきたいと話しています。

 

「こねかみに参加してみたい、香美町を離れても香美町とつながっていたい」と思った方はメールやこねかみSNSにてお問い合わせください。

 

取材もZOOMで行いました

 

Info

「こねかみ」

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ホームページ https://connectkami.wordpress.com/

ブログ:こねかみ日記https://connekami.hatenablog.com/

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好きなことに囲まれて過ごすための、「たった一つの出会いの見つけ方」

好きなことに囲まれて過ごすための、「たった一つの出会いの見つけ方」

(ヌーピーズ キーボード担当 森田洋子さん)

充実した週末やアフター5の時間は、日々の生活に張り合いをもたらし、「また頑張ろう」と前を向けるきっかけや元気の源にもなります。新しく、きれいで、目を引くものがどんどん出てくる都会の暮らしに比べ、地方の暮らしは一見、張り合いを見つけるのが難しく感じられるかもしれません。

「『あったらいいな』と思うものが近くになかったら、自分たちで作ることだってできます」

そう話すのは香住在住の森田洋子さん。但馬を拠点にロック、パンク、ファンク、プログレなどさまざまな要素を取り入れた音楽活動を行うバンド「ヌーピーズ」のキーボードを担当するほか、カメラを片手に香美町内で写真を撮るツアーを企画する「おさんぽカメラ部」に所属するなど「好きなこと」をたくさん暮らしに取り入れています。


(おさんぽカメラ部 メンバーと)

 

「もう地元に帰ることはない」京阪神でライブを楽しむ日々

香住生まれ香住育ちの森田さんは中学生の時、音楽の選択授業をきっかけにメンバーを組み、バンド活動をはじめました。高校進学とともにバンド活動を離れ、2年生からは学校の寮に入ったことで香美町からも離れて、その後は京都の大学に進学。そのまま京都で就職し、休みの日には京阪神のライブハウスでさまざまなバンドの音楽に触れるなど都会の暮らしを謳歌していました。

「帰郷は全く考えてなくて、『帰らないの?』と聞かれても『地元にタワレコとスタバができたら帰ろうかな』と答えていたくらいでした」


(取材場所 香美町香住区 下岡スタジオ)

2012年、それまでの都会暮らしに区切りが見えてきた頃、仕事の縁があり帰郷。「思った以上に歓迎してくれて、まるで凱旋みたいでした」と当時を振り返る森田さんですが、帰郷当初は都会の暮らしが恋しかったといいます。大好きだったライブハウスも、おしゃれなお店もない。同級生は地元を離れた人や子育てなどで忙しい人も多く、誰かと出会う機会が極端に少なくなったように感じられました。物足りなさを拭えなかった日々に一石を投じたのは、ある一つの「出会い」でした。

 

「あったらいいな」を自分たちの手で作りあげる

「今もバンド活動してる? バンドメンバー探してる人がいるんだけど会ってみない?」

友人の結婚式で出会った中学時代の友達のひと言。紹介されたのが現在の「ヌーピーズ」のリーダー、平尾仁さんでした。

「『面白い人だな』とは思ったのですが、私にはコピーバンドの経験しかなく、オリジナル曲を手掛けるヌーピーズに慣れるまでは戸惑いの連続でした」

クラシックピアノを中心に嗜んできた森田さんにとって、ボーカル、バンド、ドラム、ギターとセッション形式で演奏をするのは初めてで馴染みがないことでした。

「そのうち、地元や京阪神のバンドメンバーとどんどん繋がり、アドバイスをもらったり演奏を聞いたりして、いつの間にかハマってしまいました」

一番楽しいのはライブをしている時。ヌーピーズを知らない人とライブで出会い、音楽を通して思いを届けることができたときに大きな喜びを感じるといいます。現在は京阪神各地のライブハウスで演奏するほか、地元但馬では演奏だけでなくイベントのホストも務めています。

豊岡市の指定文化財である、明治期から続く芝居小屋「永楽館」を舞台に、出演者、スタッフ、お客様の「人力」で作り上げるミュージックフェス『芝居小屋ジンリキソニック』には実行委員会のコアメンバーとして参加。地元の中高生や若年層に、京阪神のライブハウスで出会えるようなバンドの音楽に触れられる機会や、『この舞台に立ってみたい』って思える場所があったらという思いで企画しました。


(芝居小屋ジンリキソニック 出演・運営メンバーと)

「欲しい場所ややりたい企画は『自分で作れる』ってことを、私たちを通して知ってほしい。これからは同じような企画をする人たちがいっぱい出てきてくれたら楽しいな」

芝居小屋ジンリキソニックの企画運営の経験を買われ、2019年に高校生と香美町の大人で企画した音楽イベント「僕らの武道館フェス」にもアドバイザーとして参加するなど、地域で好きなことを通じて人と人をつなげる動きのバックアップにも回るようになりました。

あるひとつの出会いが芋づる式に面白い人との出会いに繋がり、森田さんは今、音楽や写真など好きなことを一緒に楽しむ仲間や、暮らし方・働き方が面白いと感じる人たちに囲まれて充実した日々を過ごしています。

 

網の目状に楽しい出会いが続く、地方ならではの人とのつながり方

「人とのつながり方が都会と地方はちょっと違います。都会なら放射状、地方なら網の目状」

ジャンルも年齢もカテゴリーを問わずに縦横無尽に人がつながっていくのが、地方ならではの人間関係の面白さだと森田さんは話します。人それぞれに好きなジャンルや表現の仕方があるので、今後はさらに数多くの企画やコミュニティができ、地域の中に楽しみ方の選択肢が増えることを願っています。森田さんの場合は一つの出会いがきっかけに、暮らしがぐんと色鮮やかになりました。その、はじめの「一つの出会い」をこれから見つけたい人はどうしたらいいでしょう。

「年代、住んでる場所、ジャンルを絞らずに活動範囲を広げてみることかもしれません。はじめは浅く広く色んな人と会ってみて、ピンとくる出会いが一つあればその後はあっという間です。WONDER KAMIを読んで、面白い人だなと思ったら会いに行くのもいいと思います!」

好きなことやワクワクすることを暮らしに取り入れるために大切なのが、人とつながること。一歩踏み出してみることで、見える景色が変わるような素敵な出会いがすぐそこに待っています。

森田洋子さんの活動

ヌーピーズ

https://jin84enda.wixsite.com/noopys

https://twitter.com/nooopy5

https://www.facebook.com/wadaisenkou

 

ジンリキソニック

https://jinrikisonic.jimdofree.com/

 

おさんぽカメラ部

https://www.d-tsumugi.biz/photobu/

Facebook

三者三様のスキルで築き上げる、ゲレンデの広大な自然を生かしたキャンプ場

三者三様のスキルで築き上げる、ゲレンデの広大な自然を生かしたキャンプ場

2020年7月、ハチ北のゲレンデにキャンプ場がオープンしました。森の中のプライベート・リゾートのようなキャンプを楽しめる「森とぼくの休日」を営むのは、ハチ北に住む西谷大我さん・沙紀さんご夫妻と、大阪に住む沙紀さんの姉・村中志帆さんの3人です。ハチ北に生まれ育った大我さん、ゆかりのないハチ北に嫁いできた沙紀さん、平日は大阪で会社員として働き週末はキャンプ場でコンセプト作成などに関わる志帆さんに「森とぼくの休日」の誕生秘話を伺いました。

 

地域ぐるみで育ててくれた故郷に恩返しをしたい


(左から、村中志帆さん、西谷大我さん、西谷沙紀さん)

ハチ北でゲレンデ併設のホテルを経営する家に生まれ育ち、スキーを生活の一部として育った大我さん。「良くも悪くも目立つ子どもだった」と自身を振り返ります。

「担任の先生がみんな『一番印象に残った生徒は大我くん』と言うくらい、型破りというか、全校集会で突然歌いだしたり縄跳びしたりとだいぶ変わった子でした。地域ぐるみで育ててもらっていたので、地元のすべての人に迷惑をかけたと思っています」

大我さんはその後、スキーを極めるため、高校進学を機に京都府へ。厳しい寮生活で社会の規律を知り、「自分は地元の人に迷惑をかけてしまった。まず、ちゃんと大人になった姿で帰るのが恩返しの一つだ」と思いを固めて大学卒業後に帰郷しました。

「高校、大学と都会で暮らして思ったのは、確かに都会は便利だけど、『便利なだけ』 だなということです。水が飲めない、空気が淀んで窓が開けられない、お米や野菜が美味しくない……水も空気も野菜も美味しくて、人の温かみを感じるハチ北には、都会の何十倍も価値があるって思いました」

地元とスキーを愛してきた大我さんですが、漠然とした不安がありました。それは雪の少ない暖冬が少しずつ増えていたこと。「スキーが衰退したら、ハチ北も衰退してしまう。出身地がなくなることほど悲しいことはない」。やがて来る現実のために何ができるのかを常に考え続けていました。

 

ハチ北で生きる人が受け止めなければならない「未来の現実」とは

大我さんの奥様である沙紀さん、そして姉の志帆さんは山口県岩国市出身。ハチ北と岩国市という遠く離れた3人の共通点は、それぞれ幼少期からスキーをしていたことで、スキーを通していつの間にか親しくなっていたのだといいます。沙紀さんはデザイナーとして大阪、東京で働いた後、2018年に結婚によりハチ北へ。暮らしてきた環境や仕事の大きなギャップに、戸惑いも多い日々を送っています。

大我さんはそんな沙紀さんについて「僕がスキーやホテルをやりたいと思っていたのと同じように、彼女は自分の軸に『デザイン』があるので、ハチ北でも好きな仕事を続けられるようにしたい」と言います。

「地域のしきたりやルールもあるけれど、ここの人たちは、人口がどんどん減っていくまちに嫁いでくれるありがたさを再認識すべきです。ここは便利ではないし、いいところばかりではありません。それを背伸びせず伝えて、それでも嫁いでもいいよって言ってもらえるように、僕たち旦那や地域の人は超絶頑張って、『いいな』と思ってもらえるところを作っていかなあかんと思います」


(ゲレンデ併設のホテル『Aoitori』)

結婚1年目、2019年の冬は記録的暖冬で、豪雪地帯のハチ北にすら雪が降らず、ゲレンデを営業できたのは2月のみでした。まさに大我さんの描いてきた将来への不安が現実となり、気を取り直して夏合宿の受け入れ体制を整え始めた頃に追い打ちをかけたのがコロナ禍。

「僕たちにとって、スキー場が生活の柱で、雪の多少が生活に関わります。暖冬が増える中、暖冬をしのぎながら来シーズンの雪を願うだけでは厳しいのではないかと」

打開策として打ち出したのが、一年中営業ができ、開放的なハチ北の自然を生かしてできること、つまりキャンプ場の開設でした。「キャンプ」というキーワードから浮かび上がったのが、志帆さんの存在でした。大阪のビル街で広告関連の仕事をする志帆さんから見て、大我さん一家が経営するホテル近辺の森にキャンプ場を作ることは、とても魅力を感じる提案でした。

 

 

3人のスキルと心意気を合わせて始まった「森とぼくの休日」

現在、平日は大阪で会社員として働きながら、休日はハチ北を訪れる生活をしている志帆さん。会社のお昼休みには、注目されている要素やときめくものを探しに街に出ます。志帆さんが都会のトレンド要素からキャンプ場に応用できるエッセンスを持ち込み、デザイナーとしてのスキルを持つ沙紀さんがそのエッセンスを形に、大我さんがそのデザインを元に場作りをする。3人のスキルが合わさりできた「森とぼくの休日」は、都市部のような利便性こそないものの、喧騒から隔絶された大自然ならではの価値を、ときめきとともに感じられるスポットに仕上がりました。

 


(カフェメニュー・「苺とわたしの休日」。アンテナとなる志帆さんが都会暮らしの中からトレンドをキャッチして、カフェメニューにも反映させている。)

 

2020年7月のオープンから、京阪神のお客様を中心に感度の高いキャンパーに選ばれている「森とぼくの休日」。ゲレンデ横のホテルのきれいなお風呂やトイレを使えるなど、キャンプ初心者にも優しい設計で、口コミでも高い評価を得ています。

ゲレンデを利用したキャンプ場で、寒くなるこれからの季節に大我さんたちが提案したいのが「冬キャンプ」。山の中で楽しむ白銀の世界、冬ならではの澄み切った星空、心から温まる焚き火の時間、さらにはスキー板を履いてテントまで来られるというスキー好きにはたまらない魅力も。

(森と僕の休日、冬キャンプのイメージグラフィック。沙紀さんの作品です)

「僕たちは、地域のみんなが真似できるようなことをしたかったんです。子どもの頃から良くも悪くも、僕がやってることは目立つので、みんなにトレースしてほしい。自分のところだけ生き残るんじゃなくて、地域に新しいムーブメントを作りたいと思っています」

ハチ北がもともと持つ豊かな資源を最大限に生かして新しい切り口で発信する。楽しいことが好きな大人が集まってくる。その姿を子どもたちが見て、「大人になったらきっとハチ北に帰って来たい」と思ってもらえるような地域を作ることが、故郷を愛する大我さんが「森とぼくの休日」に込めた願いの一つです。

Info

森とぼくの休日

〒667-1344 兵庫県美方郡香美町村岡区大笹535-1

TEL 0796-96-0757 FAX 0796-96-0803

メールmoriboku.hachikita@gmail.com

ホームページhttps://www.moritobokunokyujitsu.com/

SNS https://www.instagram.com/moritobokunokyujitsu/

 

 

 

 

 

 

 

 

目に見えない香美町の面白さを、人とつながり伝えたい

目に見えない香美町の面白さを、人とつながり伝えたい

香美町で生まれ育った若い方には、進学や就職を機に町外に出て、そのまま香美町には戻らないケースが多くあります。地方育ちのコンプレックスや都会への憧れのほか、長く同じ地域で暮らしていることで、その地域の良さが当たり前に感じられ、積極的に暮らしを楽しむことが難しいのかもしれません。今回出会った伊藤達巧さんは、香住生まれの香住育ち、生粋の香住人ですが、常に新しい出会いとワクワクする計画のある日々を楽しんでいます。何気ないように見える日々の暮らしにきらめきを見つけ出すそのコツをお伺いしました。

(伊藤達巧さん)
(伊藤達巧さん)

 

ずっと香住が一番だと思っていました。でも……、

生粋の香住人・伊藤達巧さんの日々は子ども時代からアグレッシブ。小学生の頃は川で魚を捕まえ、中高生からは毎日海に潜るのが日常でした。シュノーケリングをしたり、小島から海に飛び込んだり、真っ黒に日焼けして楽しんでいました。歳の離れた弟さんがいて、小さい子どもが好きだったことから職業は保育士・幼稚園教諭を選択し、現在は香住区の幼稚園で勤務しています。幼い頃から海を満喫していた伊藤さんにとって香住は誇れる場所です。

「ずっと香住が一番だと思っていました。でも、昨年まで小代の認定こども園に勤めていたこともあり、小代区、村岡区の方ともよく関わるようになって、個性的な人が多い村岡区や、人間味溢れる人が多い小代区もいいな、魅力的だなと思うようになりました」

小代区にある貫田うへ山の棚田は日本棚田百選にも選ばれた名所で、雄大な山間の中でカーブを描いて重なる棚田の風景は地域の誇りでもあります。2010年代前半、うへ山の棚田の担い手が高齢化し不足していく現状をなんとかしたいと考えた若者たちが、自ら団結し棚田の保全を目指す「俺たちの武勇田ぶゆうでん」を結成、毎年多世代による米作りを行っています。伊藤さんも棚田の田植えや稲刈りに招かれ、世代を超えて一つのことを成し遂げる喜びと楽しさを実感したといいます。

それぞれのスキルを寄せ合い、さまざまな切り口で人とのつながりを広げる

俺たちの武勇田」 棚田での稲刈りの様子
(「俺たちの武勇田」 棚田での稲刈りの様子)

「『俺たちの武勇田』のメンバーはさまざまな仕事についている人がそれぞれのスキル・技術を持って集まって、人のつながりを作り上げています。そういう人たちはどこか魅力的で協力的で、形はそれぞれ違っても地域に思いを持ち、何かをしたいという志を持っています。そういう場所を自分も香住で作れたらと考えるようになりました」

伊藤さんは同級生や彼にとって頼れるアニキ的存在である「NPO法人TUKULU」の松岡大悟さんとつながり、友人の所有する空き地の草を刈り、整地をして、自然と触れ合う活動を通して人と人がつながれる場所を作ることを目的に大人の秘密基地づくりに力を注いでいます。

「ラフにいろんな世代が関わって遊べる場所があったらと考えています。楽しそうにしていたら自然と人は集まってくるので」

キャンプ、釣り、海泳ぎ、音楽と多趣味な伊藤さんにはさまざまなフックがあり、多くの切り口で人を惹きつける力があるように感じられます。

 

音楽を通して伝える、「地域で活動する楽しさ」

DJひじき ジンリキソニック
(音楽イベント「芝居小屋ROCK FESTIVAL ジンリキソニック」の様子)

音物語
(伊藤さんの友人が企画し、出石町で開催された「音物語」の様子)

伊藤さんの人を惹きつけるフックの一つ音楽活動。豊岡市や出石町のイベントで「DJひじき」の名前で活動を行っています。

「ライブが好きで、京阪神のライブに行くのですが、香美町では高校生もライブの楽しいノリや、その楽しみ方を知らないように感じました。曲の本当の楽しさを知ってほしい、体を動かして音楽を楽しんでほしいと思ったのがDJを始めたきっかけです」

その後、香住高校の生徒たちが音楽をフックに活躍できる場所づくりをしたいという思いが芽生え、半年の構想・準備を経て2019年2月に香住文化会館で開催された音楽イベント「僕らの武道館フェス」へとつながりました。僕らの武道館フェスでは香住高校生や、香美町出身者を中心とした社会人の音楽バンドが出演。SNSを通して高校生の間で話題になり、200名以上の観客が集まりました。

僕らの武道館フェス
(2019年「僕らの武道館フェス」 出演・運営メンバーと)

「高校生がみんな楽しかったと言ってくれて、地域で活動できる場所を作れたという充実した達成感、手応えがありました」

2020年は新型コロナウィルスの影響で同様の形での実施は断念しましたが、準備段階では村岡高校の生徒も関わり、出演予定でした。香美町内にある2つの高校、香住高校・村岡高校のつながりを今後も作っていきたいとさらなる構想を練っています。

「なんにもない場所」に伊藤さんが見出した、キラリと光るものとは

香美町スタディツアー(香美町スタディツアーの様子)

2019年、伊藤さんはアウトドアの趣味を活かし、海や川などの豊かな自然をまるごと楽しむ遊びを提案する「スタディツアー」を企画。川に罠を仕掛けて獲った川ガニや魚を調理して食べる、サバイバル要素のあるツアーは大盛りあがり。まさに伊藤さんのコアな部分でもある自然と人とのつながりを謳歌する機会となりました。

「香美町は、『なんにもないけどなにかがある場所』だと思っています。もちろん目に見えるところでも松葉ガニや但馬牛など誇れるものはあるのですが、知っている人は少ないかもしれないけれど珍しい生き物が川に住んでいたり、狩猟をしている人がいてジビエを楽しめたり、目に見えないけれども人のつながりがとても強い場所です。そんな香美町の、知られてないけれどすごく面白いところを、人と関わりながら伝えていきたいと思っています」

香美町にある、目には見えないけれど確実にそこにある、キラリと光るもの。ただ「なんにもない場所」と断定してしまうのは、伊藤さんが見出すような面白さにまだ気づいていないだけかもしれません。香美町の楽しみ方や面白さをさまざまな切り口で感じ取ってもらえるような計画は、伊藤さんの中にまだまだありそうです。

レンタルスペースglass
(取材場所 レンタルスペースglass)

伊藤達巧さん

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