海辺で読書、海辺のラン、「海の近くに住みたかった」彼女の選択

海辺で読書、海辺のラン、「海の近くに住みたかった」彼女の選択

「地方移住」というと、大きな志を持った人や、地域活動に興味のある人がすること、というイメージはありませんか? 香美町には、直感的に気軽に、お引越し感覚で移住してきた若い方もいます。令和3年から香美町に住みはじめ、自然体のままで新しい生活に向き合う、香住区在住の渡辺美波さんに暮らしの中での気づきをお伺いしました。

 

渡辺美波さん 取材場所: 香美町まちなか移住相談室

 

決め手は「海の近さ」、出会って半年足らずで移住へ

美波さんの出身は兵庫県の西宮市。海が大好きな家族のもとで生まれ育ち、「海の近くに住むこと」は必ず実現したいことの一つだったと言います。子どもの頃の夢は「海賊になること」。幼なじみの友人と家の近くの川で、海賊になりきって遊んでいたのも楽しい思い出です。

高校2年生のときに、母親と初めて行ったオーストラリアへの海外旅行。周りの人の話す英語が全く聞き取れなかったもどかしさから、英語の勉強に興味をもち、大阪にある外国語大学に進学。卒業後は身につけた英語のコミュニケーション能力を活かすため、京都市のホテルに就職しました。

就職して3年たち落ち着いた頃にわいてきたのが「海の近くに住みたい」という思いでした。その思いを知った職場の先輩が、「僕の故郷の香住に遊びに来てみたら」と提案し、美波さんは令和3年の初夏、初めて香美町を訪れます。

渡辺さんが第一印象で気に入った香住の海 撮影:渡辺美波さん

 

香住の第一印象は、雄大な海が近くにあるということ。さらに山もすぐ近くにあり、大自然を身近に感じられる環境に惹かれました。初来訪の際、香美町まちなか移住相談室にも立ち寄り、移住の具体的な話や制度の使い方を知ったことで、香住に住むことが現実味を帯びてきました。

初来訪では小代区うへ山の棚田も訪れました 撮影:渡辺美波さん

 

令和3年10月、初めての香美町来訪から半年も経たないうちに美波さんは香美町での暮らしをスタートしました。直感で決めた田舎暮らしは、楽しさと戸惑いの連続でした。

 

夢見た新生活には、意外なギャップも

「香住に住む」そう決めたらまずは住む物件探し。一人暮らしの美波さんには「海の近くに住む」以外にも「ゆくゆくは犬と一緒に暮らしたい」という想定がありましたが、なかなか希望通りの物件は見つかりませんでした。結局現在はファミリー向け物件に住み、広々とした空間をどう使うか考えながら生活しています。

勤めていた養父市「hatchcoffee」にて 提供:渡辺美波さん

移住当初の仕事は「山の駅SHAKUNAGE」オーナーの松田晃宏さんが令和3年にオープンした養父市のコーヒースタンド「hatchcoffee(ハッチコーヒー)」のスタッフ。オープン当初から関わり、カフェを作ることに参加できたことは素敵な経験になりました。ずっと勤めたいと思える大好きなカフェでしたが、移住にまつわる想定外から、美波さんは転職を考え始めます。

その想定外とはズバリ「雪とお金」。香住から養父市までの通勤は車で1時間程度。遠方ではありますが秋はなんとかこなすことができました。問題は冬。予想以上の積雪量に「ここまでとは思わなくて、二駆の車を買ってしまったので」通勤時に怖い思いをすることもあったのだとか。また車の維持費、都市ガスが通らないのでプロパンガスを使用することなど、想定外の出費もあり、近隣の正社員で働くことに方針転換。ホテル勤務の経験も活かし、現在は香住区の旅館で働いています。

「旅館では接客はもちろん、旅館で出しているお米や野菜は自家栽培なので、畑のお手伝いもしています。もともと畑仕事には興味があったので、楽しいです」

勤め先の旅館にリピーターの方が多いこともあり、お客様から香美町のおすすめスポットや美味しいものを教えてもらうことも多く、接客を通して新しくまちのことを知る時間も、楽しいことの一つです。

お客様からのおすすめスポットは休日に立ち寄ります 提供:渡辺美波さん

 

「自分の時間が増えたので」夢を一つ一つ着実に叶える姿勢

様々な想定外はありましたが、それでも、「私はここが好きです」と笑顔を見せる美波さん。スポーティーな一面もあり、小学校からバスケ部に所属し、ランニングを趣味としています。

「今住んでいる場所から海までは走って10分くらい。せっかく海の近くに住んだので、ランニングコースは海の近くを選んでいます。仕事終わりの夕方に走ることが多いので、きれいな夕日を見ることもできます」

冬のランニングコースについては課題ですが、雪さえなければ、いい景色の中で日課のランニングを楽しんでいます。

かえる島を見下ろして 提供:渡辺美波さん

お休みの日は移住のきっかけになった「香美町まちなか移住相談室」伊藤達巧さん宅の犬の散歩を買って出たり、旅館のお客様におすすめされた場所に出かけて趣味の写真を撮ったり、海辺で本を読んだりと、香美町ならではの過ごし方を楽しんでいます。

伊藤家の犬「ろくちゃん」とお散歩中の写真 提供:渡辺美波さん

「移住というと、すごいねとか、地域のために活動してるの? って言われたりすることもあるのですが、私はただ、海の近くに住みたくて引っ越してきただけという感覚で。ご近所付き合いや地域活動に誘われるイメージもありましたが、マンションだからかそういうこともなく、今までの暮らしと差はないように思います」

美波さんに会いに、学生時代や前職の友人が香美町を訪れることも多いようですが、「みんないいところだねと言ってくれます」とにっこり。

豊岡市竹野の雲海 撮影:渡辺美波さん

 

「香美町に越してきて、前よりも自分の時間が増えたので料理も丁寧に作るようになりました。スーパーで買う食材もとても美味しいし、自分の夢の一つに『自分のお母さんみたいな、いいお母さんになること』というのがあるので。いいお母さん目指して、日々料理もがんばっています」

目の前のことにひとつひとつ丁寧に向き合う美波さんの姿勢。これからも香美町でたくさんの「楽しい」を見つけることができそうです。

 

美方大納言小豆×カフェで美味しくたのしい生活発信!

美方大納言小豆×カフェで美味しくたのしい生活発信!

2022年1月、香美町香住区に小豆が主役のカフェ「aoite. azuki. baseアオイテ.アズキ.ベース」がオープンしました。店主の三浦由紀子さんは、香美町の特産である美方大納言小豆の栽培も担いつつ、毎週木、金、土曜日にカフェをオープンしています。前職は香美町役場の職員だったという異色の経歴を持つ三浦さんに、今までのこと、お店のこと、暮らしのことをお伺いしました。

 

「作ってください」から「自分で作ってみよう」へ

(aoite. azuki. base外観)

 

三浦さんが生まれたのは香美町の村岡区。高校までは村岡区で育ち、進学を機に神戸へ。卒業後は「生まれ育ったまちに関わることを」と香美町役場に就職しました。公務員として教育委員会や福祉課など、様々な経験を積んだ三浦さんは、農林水産課に配属され農家の方とやり取りするうちに、「これが一番自分にしっくり来る仕事」と感じたのだといいます。

町内に増え続ける遊休農地や休耕田について、高齢農家さんに「どうか耕作してください」とお願いすることが、当時の三浦さんの仕事の一つでした。「頼んでいる立場だけど、それがどれだけしんどいことか、大変なことかわからなくて心苦しいし、知りたかった。だから自分がちょっとやってみようかな、と」やがて農業を志すようになります。

(三浦由紀子さん)

荒廃した遊休農地を無償で借りられるよう交渉し、女性農業者のグループと共に美方大納言小豆の栽培をスタート。農林水産課に勤めていた経験から、栽培の知識はあったという三浦さんですが、「紙の上では理解していたけれど、実際やってみると想像以上に大変」だったと語ります。そして、「手間がかかっているからこそ、適正な値段をつけてあげたい、高く買い取ってあげられるようなシステムができたらいいな」と実感。その想いから、美方大納言小豆の価値を発信する場として生まれたのが「aoite. azuki. base」です。

地元の美味しい小豆を地元で食べる、等身大のカフェスペースづくり

(2階席からは香住高校のグラウンドが一望できる)

 

香美町で生まれ育った三浦さんも、美方大納言小豆について知ったのは、実は農林水産課に配属されてから。地元の特産品ですが、都会の高級和菓子店に卸されることがほとんどで、地元の人の口に入る機会は少ないものでした。

だからこそ「地元にこんなに美味しい小豆がある」ことを知ってもらえる場になればと一念発起、空き家をリノベーションしてカフェスペースを作りました。

「といっても、ほとんど触っていなくてそのままの形を生かしています。地元の若い大工さんのお陰で、限られた費用で心地よい空間を作ってもらえました」

(店内。以前の記事「香美町若者懇話会」の拠点として利用されていたことも)

 

兵庫県の「女性起業家支援事業」の補助金申請のためプレゼンテーションを行った際も「緊張したけど、それもまた楽しかった。なんでも楽しめるんです」と、前向きに、かつ背伸びしないスタイルでオープンに向けて取り組んでいきました。

オープン後は地元の高齢者の方の憩いの場になったり、インターネットや新聞で知って来た町外・県外の方が足を伸ばしたりと、とても幅広い層のお客様に親しまれています。

 

「aoite. azuki. base」が提案する、まちのライフスタイル

(あんバタートースト 税込み500円/アイスコーヒー 税込み400円)

オープン当初から人気が高いのが「あんバタートースト」。塩気のあるバターと、ほっこり甘いあんこが絶妙のバランスで、サクふわに焼き上げられたトーストとのバランスも最高です。

あんこの炊き方は知り合いのおじいちゃん直伝。あんバタートーストに添えられているつぶあんは、美方大納言小豆の大粒で食べごたえのある粒感を残し、甘さも上品で素材の味を感じることができます。

(あっさりした甘みのさっくり食感スコーンも、あんこと好相性 /スコーン(あんバター添え)税込み500円)

 

(白玉とジャージー牛乳アイスとあんこを口いっぱいに頬張る、美方冷やしぜんざい 税込み700円)

 

おはぎやかき氷など、あんこを使ったメニューがたくさん、季節に合わせたメニューも続々追加。今後は小豆以外にも地元産のものを新しい形で発信して行けたらと、新メニューの提供も考えているのだとか。今後の展望が膨らむ「aoite. azuki. base」ですが、実は三浦さんにはこんな思いも。

「高校がすぐ近くにあるので、高校生が集まってくれるような場所にもなれたらいいな。私自身、高校の帰り道に寄り道したのがとてもいい思い出なので。『たい焼き食べたな』って思い出に残る場所になって、私も地元名物のおばちゃんみたいになれたら、もう最高だなって」

価値ある地元の特産品を、もっと身近に発信するために。そして、地元の素敵な思い出に残る場所であるために。三浦さんは栽培から提供まですべてを担いながら、地域に新しいライフスタイルを提案し続けています。

こだわりの「ご当地アイス」を全国に! 時代とともに変わる事業継承の形

こだわりの「ご当地アイス」を全国に! 時代とともに変わる事業継承の形

村岡地域局のほど近くにお店を構える「やまざと」。まちの本屋さんや、階段を降りて入るタイプの、ほっとできる喫茶店。そして、「ご当地アイス」を中心としたアイスクリームの卸売・ネットショッピングを主な事業としています。今回お話を聞いた田中輝明さんは「やまざと」の四代目。形を変えながら家業の暖簾をつないできた、その内にある想いを伺いました。

 

「家業を継ぐ」ことへの葛藤と戸惑い

やまざと 田中輝明さん

 

「やまざと」でアイスクリームの販売を始めたのは輝明さんのお祖父さんでした。自家製アイスキャンディを作り、自転車で地元の人に販売。当時はたくさんの子どもたちが、お祖父さんの作るアイスを楽しみに待っていたといいます。先代・お父さんの代からはアイスの卸売販売を開始。冷凍車はなく、保冷車で地域のお店に配達していたお父さんですが、アイスを食べ頃のままに小売店に運ぶ、その手際の良さには定評がありました。

「やまざと」の長男として生まれた輝明さんは、当たり前に自分がこのお店を継ぐものなのだと考えていたといいます。村岡高校を卒業後、進学を機に神戸に移り、就職はそのまま神戸でアパレル関係に。やりがいのある仕事に刺激的な毎日、神戸で暮らす田中さんの暮らしには輝きがたくさんありました。いずれ村岡に帰るという思いはありながらも、阪神大震災からの立て直しなど目の前のことも忙しく、神戸で12年社会人生活を送った後帰郷します。帰郷後初めの2年は子どもと奥様を神戸に残して単身赴任のような生活。気持ちが落ち着く場所がなく、また家業にどのように携わればよいかわからず、戸惑いの多い日々だったといいます。

 

ご当地アイスを通して笑顔を届けたい

迷いながらの事業承継でしたが、「アイスクリームが好き」という思いはずっとあったと話す輝明さん。旅行等で地方に行くたびにアイスを食べ歩き、美味しいアイスに出会えたら「地元に帰ったらこんなアイスを取り扱いたい」と思い描くこともありました。また、先代がアイスの卸売をしてきた中にあった丹波篠山の黒豆アイスが好評だったこと、お客様からリクエストもあったことから「他の地域からもこだわりのアイスを仕入れられたらいいな」と考えるようになります。

仕入れやセレクトは、食べ歩きやネット取り寄せで、美味しいと思ったメーカーさんに直接アタック。都会で長く勤務していた経験があるからこそ、それまでの働き方が通用しなくて戸惑ったこともあるといいます。

「今思えば良くない態度を取ってしまい、取引を断られてしまうこともありました。一年経って反省し、再度お願いしたら『そこまで思ってくれるなら』と取引がスタートし、とてもありがたかったです。家業で生きていくに当たって謙虚であることの大切さを学ばせてもらいました」。人と人がつながる中で、輝明さんは新たな学びを得ていきます。

輝明さんが自らの目と足と舌でセレクトした極上のアイス。ただ卸をして販売をするだけでなく、バレンタイン・ホワイトデーなどイベントに適したセレクトセット、ヘルシー素材や美容にいいアイスのセット、小豆づくし・抹茶づくしの食べ比べセットなどのオリジナルセレクトセットとして販売しているのも注目ポイントです。

少しずつ取り扱いを増やしていった結果、やまざとは全国のご当地アイスを取り扱うようになりました。主に都心部や関東圏を中心に、人気を博しています。

「ご当地アイスと一口に言っても、それぞれ味が全く違い、個性があります。ぜひそれぞれ味わいながら食べてもらいたいです。アイスを食べながら怒る人はいません。アイスを食べるというのはあくまで過程で、それぞれの家庭の中にいつもアイスがあり、食べた人みんなが笑顔になる。そういう瞬間を提供したいと思っています」

 

雪国のアイス屋さんの奮闘ぶり

自分らしい形での事業確立に向けて

行き詰まる時に支えてくれるのは村岡の同級生や仲間たちの存在。今、主に喫茶を営んでいる奥様のはからいや人となりもあり、もともとの地元の友人だけでなく、帰郷してから更に人とのつながりが広がったといいます。集まる時には特に商売の話をするわけでもなく、楽しい話でひとときを過ごし、それがまた次への活力へ繋がります。

「今、長男は香美町を離れています。でも、もし長男がここに残りたいと言っていたら、『外に出てこい』と言ったと思います。今自分は、ここで取り組んでいる事業を確立させて、若い世代が『こんな仕事ができるならここに住みたい』と言ってもらえるような事業者になっていかないといけないと思っています」

お祖父さんが提供してきた地域の中での楽しみ、お父さんが築き上げてきた定評だけでなく、地域の人に「あんたがちゃんとやっている」と認めてもらえるように、このまちで事業を確立していきたい。それが今の輝明さんの中にある想いです。

「ずっとアイスに囲まれてきたんで、これからもアイスに囲まれてやっていくんだと思います」。自分らしい形での事業継承を見つけた輝明さん。コロナ禍で今まさしく時代が変化していく中、常に新しい事業や発信に目を向けながら進み続けます。

 

 

 

「自分にしかできないこと」ダンスを通して感動を届けたい

「自分にしかできないこと」ダンスを通して感動を届けたい

「好きなことを仕事にしたい」誰もが一度は考えたことがあるこの願いを、ふるさと香美町で自然体のまま叶えた女性に出会いました。D.S.T(ダンス・スペシャル・チーム)を結成した渡辺絢音さんです。絢音さんは今、香美町小代観光協会で事務の仕事をしながら、香美町村岡区・養父市・豊岡市・香住区など兵庫県北部を拠点にダンス講師を務めています。まだまだ香美町内では珍しい「ダンスの先生」。村岡生まれ、村岡育ちの彼女がどのようにして好きな仕事に至り、また続けているのか、お話を伺いました。

2020年1月19日㈰ 『やぶキッズダンス交流会』

 

憧れから独学で始めたダンス

幼少の頃から体を動かすことが大好きで、音楽が流れると勝手に体が動く子どもだったという絢音さん。ダンスに目覚めたきっかけは、偶然つけていたテレビで放送されていたダンス番組。しかし、ダンサーへの憧れを持ったものの、当時の村岡近辺に、ダンスを習える場所はありませんでした。ダンスという習い事や進路に理解のある時代でもなく、ダンスの専門学校に行きたいという希望も支持されずに断念。テレビ番組などを参考にしながら、絢音さんは独学でダンスを習得し始めます。

村岡高校を卒業後、保育士の資格を取るために兵庫県尼崎市に進学。ダンスのことは一旦脇に置き、資格に向けて歩み始めた絢音さんでしたが、同じ学校でチアダンスの経験がある友人に出会い、文化祭でのダンス発表チームに誘われます。

「一番厳しかった体育の先生が、私たちの発表を見て『ガラッと人が変わったようだった。最初から最後まで、まるで違う人みたいに見えたし、まるで空を舞う天女のように見えた』と褒めてくださって。いつも褒めるような先生じゃないので、驚くと同時にとても嬉しくて、ダンスの道のほうがやっぱり自分に合っているのかなと感じました」

その傍ら、都会での暮らしには息苦しさを感じていたという言葉も。せかせかしている時間の流れ、電車の時間に振り回されるような日々に、「地元に流れる時間が好き」なんだと自覚したと言います。

渡辺絢音さん

 

 

突然のお誘い…イチからクチコミで広げたダンス教室

卒業後は豊岡に移住、保育士として働いていた絢音さん。小さい子どもたちはもちろん好きでしたが、「なにか自分が本当にしたいことと違う」という思いが拭えず退職し、その後様々な仕事を経験しながら自分のしたいことを模索していました。

その中で、まちのための様々な企画を立案している人と出会い、唐突に「ダンス教室を開いてみないか」と言われます。ダンスは独学で、師事していた先生もいない、資格もない。それでもやってみたいことだったから頑張ろうと一念発起。豊岡市の兵庫県立但馬文教府の一室を借りてダンス教室を始めることになりました。

2019年6月2日㈰ 『ようかJAM』

SNSやクチコミでゆっくりと広がりながらチームメンバーが増えてきました。

現在は村岡の「スターリットスカイ」、豊岡市但馬文教府の「トラックス」、養父市おおやアート村ビックラボの「ディーエスティー」、香住の「トゥインクルオーシャン」など各地にチームを結成。

特におおやアート村ビックラボのチームは練習時間も3時間と長く、ダンスをとことん楽しみたい発展コースとしてレベルの高いチームになっています。村岡のチームにもクラス分けがあり、自分のレベルに合ったダンスを楽しめます。絢音さんは教室を運営しながらダンスのライセンスも取得し、指導の技術にますます磨きをかけてきました。

2021年12月5日には養父市民交流広場のホールにて生徒さんの第1回目の発表会を開催。講師は絢音さん一人という状況で舞台を作るのはとても大変でしたが、頑張っている子どもたちの姿を見た保護者からも感謝の声が絢音さんに届けられるなど、子どもたちにとっても絢音さんにとっても達成感のある一日になりました。

 

ダンスを通して子どもたちの心を解き放つ

2021年12月5日㈰ 『Dance Special Team発表会』 

「習いに来る子は保育園児から高校生まで。特に保育園児には年齢的に教えるのが難しいときもありますが、保育士として勉強してきたことが役に立っています。対面で子どもと左右逆に指導することや子どもたちとのコミュニケーションの取り方・指導の仕方など勉強してきたことをフルに使って子ども達が楽しく踊ることができているので勉強したかいがあったと思います。」

子どもたちにとってダンスの先生は、親とも学校の先生とも違う一人の大人。ふるさとで開いたダンス教室で、絢音さんはアットホームに子どもたちと関わることを心がけています。

できない、わからないと泣いている子どもには、できることから教えて、できたときには「できたやん!」とハイタッチをして勇気づけたり、「〇〇ちゃんならできると先生信じてるよ」と励ましたり。小さい生徒さんがぐずっていたら抱っこして落ち着かせることもあります。

2019年10月13日㈰ 『ハチ北ミュージックフェス』 

ダンスの楽しさを伝えたい。その傍らで、きちんとしなければいけないところも教えたい。ただ子どもと向き合うだけでなく、そこにダンスという要素が加わることで、絢音さんは子どもたちが成長していく姿を間近で感じられ、嬉しさと手応えを感じるようになりました。

「習い始めの頃の子どもたちは自分の気持ちや意見が言えなかったりしていたけど、続けるうちにやる気がどんどん出てきて『次はこれやりたい!』と主張したり、表現したりできるようになってくる。子どもたち一人ひとりとコミュニケーションを取って、できることを一つ一つやっていくことで、みんなで成長していきたいと思っています」

ときには自由な表現を促し、感情を込めたダンスを踊って欲しいと伝えることも。ダンスを通して言いたいことを言い合える関係づくりにも注力しています。

 

観光協会の仕事とダンス教室、2つの仕事をこなせる力の源は

小代観光協会内部。EVサイクルのレンタルも行っている

 

 

昼間は香美町小代観光協会で事務員を務める絢音さん。知り合いの紹介で勤めることになりましたが、この仕事に就いて改めて地元を新しい目線で見るようになったといいます。

「地元のことは意外と知らなかったんだなと。これまであまり足を運ぶことのなかった観光名所に実際自分で行ってみてると地図ではたどり着くのが難しいなと気づいたんです」

小代には秘境のような名所や見ごたえ抜群の滝などもありますが、オンラインマップでもたどり着くことができないような場所にあり、観光に来た人が迷ってしまうことも多々。

「今まであまり行ってこなかったからこそ、観光者目線に立って自分で行って写真を撮って、初めて来た人でもわかりやすい地図を作りたいと思っています。そして、もっと地元の良さを知ってもらうためにいつか観光地とダンスを融合させたプロモーションビデオ制作を実現させたいです。」

観光案内にSNSの発信、運営費用の管理など昼間も多くのタスクをこなす絢音さん。

二足のわらじを履くのは大変ではないのでしょうか。

「それが、どんなに疲れていても、どんなに悪天候でも、レッスンに行きたいと思うんです。自分にしかできないことだと思っているんで、子どもたちのやりたいという気持ちを汲み取って続けていきたいと思います」

一人で学び、一人で立ち上げ、一人で作り上げてきたダンス教室。子どものころ持っていた「こんなふうに習いたかった」を絢音さんは形にしてきました。忙しい暮らしの中でも、ダンスへの気持ちが、彼女を前向きにしてくれます。

 

  • 香美町小代観光協会SNS
  • FB
  • instagram
  • ダンス教室
  •  
    スターリットスカイ 毎週火曜日18時~22時 村岡中央公民館
  •  
    トラックス 毎週水曜日19時~21時 豊岡市但馬文教府
  •  
    トゥインクルオーシャン 月2~3回木曜日19時~21時 香住区中央公民館
  •  
    ディーエスティー 毎週金曜日19時~22時 おおやアート村 BIG LABO
  •  
  • ダンスについてのお問い合わせは、おおやアート村BIG LABOまで。
  • 所在地

    〒667-0315

    兵庫県養父市大屋町加保7番地

  • 開館時間
    9:00~17:00
  • 休館日
    水曜日 (ただし祝日の場合はその翌日)年末年始 12月28日~1月3日
  • TEL
Youtuberとして全世界に・次世代に発信する小代のプライスレスな魅力

Youtuberとして全世界に・次世代に発信する小代のプライスレスな魅力

デバイス一つで全世界と繋がる時代。故郷を離れて暮らす大人たちも、ふとした瞬間に幼い頃に過ごした場所を振り返ることがあります。懐かしいその地名を手もとのデバイスで検索してみても、多くの場合は基本的な情報のみで、今そこで暮らす人の雰囲気を感じるコンテンツにはなかなかたどり着けないものです。その点、香美町小代区出身の人はラッキー。地元暮らしを目一杯楽しむ7人の男たちの姿がすぐに目に飛び込んでくるからです。

 

地元のつながりから生まれた新しいコンテンツ

You Tubeで発信を続けている「ド田舎暮らしオジロちゃんねる」。普段は代表の西村太一さん、田尻和幸さん、長瀬優也さん、橋目恭男さん、井上弘貴さん、岡村俊貴さん、小林一樹さんの7名をキーメンバーに、小代を舞台とした遊び方やキャンプ、但馬牛の話などを等身大の目線で発信しています。

「小代の魅力を世界に発信!」というコンセプトの動画作成は、小代にある自然豊かな光景を楽しめるのはもちろん、7人の男たちのワチャワチャ感や仲良し感、友達と話しているような身近さを感じられるのも魅力です。

今回お話を伺ったのはメンバーの中でもキャンプ場の管理人をしている西村さんと長瀬さん、家業の葬儀場を後継した橋目さん、以前WONDERKAMIでも取り上げたスミノヤゲストハウスを運営している田尻さんの4人です。

(左から、長瀬さん、橋目さん、田尻さん、西村さん)

 

メンバーは全員小代・村岡出身の同年代。それぞれ進学・就職などで一度は故郷を離れたものの、様々なきっかけでUターンしてきました。幼い頃から一緒になって遊んできた仲間、また友達の友達としてなんとなく顔見知りだった彼らは、消防団や村のイベントなど、帰郷後に顔を合わせる機会が増えました。そして小代のスポーツチーム「ぴゅあ♡ぴゅあ」に所属し、バレーボールや野球を楽しむうち、新しいコンテンツとして「You Tube」というキーワードが出てきたといいます。

 

「香美町 小代」で検索したら出会える7人の男たち

「みんなでYou Tubeをやろう」そう言い始めたのは代表の西村さんでした。西村さんは小代生まれの小代育ち。大学進学を機に小代を離れて生活しているとき、度々故郷を恋しく思うことがあったといいます。

「なにかふるさとに繋がる情報がないかなと動画を検索しても、ライブカメラの映像しか出てこなくて、懐かしむこともできない。でも、同じような気持ちで検索しているのは僕だけじゃないんじゃないかと思った」

いつかふるさと小代に帰ったら、小代の何気ない暮らしを発信できるような動画を作りたい。大学時代に思いついたアイディアの種は、帰郷後しばらく温められ続けましたが、メンバーの結婚式余興ムービーを作ったことをきっかけに芽吹き始めます。

いつも笑いが絶えない7人のノリをそのままに、グルメ紹介や小代クイズなど、多彩な情報が届けられ、チャンネル登録者は1380人(2021年12月時点)。脚本のない素のままのトークが好評を呼んでいます。地元関係者には欠かさずチェックする視聴者も多く、コメント欄には故郷を懐かしむ声が書き込まれることも。

「今まで小代と全く繋がりがなかった方からも、『動画見てます』と声をいただけるとすごいな、うれしいなと思う。小代を離れて働いていたときの友人からも、『偶然動画を見つけた』と連絡をもらうこともあります」と、7人の動画が広がりつつあるのを実感している様子。

もちろん、小代で幼少期を共に過ごし、今は都会で働いている同年代からは「見てたら帰りたくなるわ」という率直な声も届くなど、離れていても地元に繋がれるツールとしても動画が役立っています。

 

結婚、子育て…忙しいライフステージで彼らが発信を続ける理由

メンバーで牛飼いの小林さんが語る、牛飼いの仕事のホントのところ。但馬牛が絶対食べたくなる食事シーンも見逃せない!

結婚や子育てなど、メンバーそれぞれのライフステージの変化から、結成当初のように頻繁な動画撮影は難しくなっているものの、動画のアイディアはたくさん湧いてくるというメンバーたち。収録を重ねるごとにカメラにも慣れ、動画を作り上げる意識が高まり、より多くの人に楽しんでもらえるものを、と様々なコンテンツにチャレンジする意欲が出てきています。

15年間放置された廃墟露天風呂をグランピングに! 長編シリーズです。

「今後は、香美町の面白い人や、村のおじいちゃん、おばあちゃんとなにかするムービーなど、人にフォーカスする動画も撮っていきたい。僕たちは動画を通して場所だけでなく、人を発信しているので」

素晴らしい自然や景色、おいしい食べ物もさることながら、小代の「人」にあるプライスレスな魅力を彼らが発信し続けるのにはわけがあります。

「『小代の魅力を世界に』と思う一方で、一つの大きなターゲットとして、小代にいる小・中・高校生がいます。子どもたちが動画を見て、自分たちの将来像を思い浮かべてもらったり、一度ふるさとを離れたとしても、『大人になって、小代に帰ってきて、楽しそうに生活している大人がいたな』と思い出してもらったりするとうれしい」

子どもたちが「地域でおとなになる自分像」として身近に描けるビジョンを映像で届けるのもド田舎暮らしオジロちゃんねるの一つの使命です。

子どもの時から自然と触れ合ってきたメンバーが挑む、筋金入りの川遊びは、レベルが違う!

 

「移住をしたくなるまちというのは、僕たちのように地元で育った人が、一度出てもまた帰りたくなるような場所でないといけない。住みたくなる場所を目指す前に、『帰りたくなる場所』を目指して発信をしていきたい」

楽しく、熱く、面白おかしく。様々なライフステージにありながらも、7人の発信に向けるエネルギーはとどまるところを知りません。