贅沢な時間が過ごせる小代に、人が集まるゲストハウスを

贅沢な時間が過ごせる小代に、人が集まるゲストハウスを

都会で生まれ育った女の子が、ひょんなことから小代に。四季折々の小代を体感するうちに「いつか暮らしてみたい」と思うようになり…。数年後には移住、そして小代の男性と結婚、民宿だった空き家を改装して「スミノヤゲストハウス」をオープン。小代に出会い、小代を満喫する田尻茜さん(旧姓:北田さん)に、小代との「馴れ初め」をお伺いしました。

(スミノヤゲストハウス 外観)

 

「4回だけ」のつもりで訪れた小代が「いつか住みたい場所」に

 

茜さんは大阪生まれの神戸育ち。特に田舎暮らしに憧れることもなく、都会っ子らしく成長してきました。そんな彼女が小代に出会ったのは大学生の時。観光学科で学んでいた頃、「香美町の小代というところに年4回行く」という一風変わったゼミのカリキュラムに出会います。「4回行くだけで単位がもらえるなら良いかなと思って」気軽な気持ちで初めて小代を訪れたのが、人生のターニングポイントとなりました。

棚田が広がる風景が美しく「日本で最も美しい村連合」にも加盟している小代。春は桜や菜の花がカラフルに色づき、新緑、紅葉、雪景色…、来る季節ごとに新しい表情を見せる小代に茜さんは惹かれました。

(スミノヤゲストハウスの大きな窓から見える、小代の棚田の風景・5月)

 

「環境の良い村は日本中の色んな所にあります。住んでみたいなと思えたのは、何度も来ることで小代の人と知り合うことができたから。知り合いが増え、小代にどんどん愛着が湧いていきました」

学生時代から茜さんが関わり続けているのが「俺たちの武勇田(ぶゆうでん)」。週末、美しい棚田の風景を守るために地域内の棚田で米作りをする有志の団体です。地域の方に農業を教えてもらいながら取り組む、同じ志を持つ若手の方とのつながりも、茜さんが小代を好きになった理由でした。

(武勇田で活動中の茜さんの様子)

 

地域おこし協力隊から、夢のゲストハウス構想へ

大学卒業後、一度は大阪で就職したものの、小代のことが忘れられなかったという茜さん。そこに入ってきたのが香美町の地域おこし協力隊募集の情報でした。「これはきっかけだ」と直感的に感じ、2ヶ月後には小代に移住。学生時代から知っていた地域の方に相談し、住むことになったのが現在「スミノヤゲストハウス」を運営する物件でした。

「一人では持て余すくらい広くて、でも地域おこし協力隊の活動をしながら、この場所で何かできないかなと考えるようになりました」

 

(スミノヤゲストハウス ダイニング)

 

地域おこし協力隊の任期は3年。でも3年後もその先も小代で暮らしたい。そう考えた茜さんはふと大学時代のことを思い出します。

「ゼミで来ていた頃にも、空き家を借りて拠点にして小代を回っていました。拠点を作ることで人と知り合えたし、村の中にも入っていけて、小代を好きになった。自分もそういう場所をつくることができるかなと」

地域おこし協力隊として関わったのは「木の駅プロジェクト」。美方郡全体のプロジェクトだったこともあり、香美町だけでなく新温泉町の知り合いも増やすことに尽力しました。

「ゼミでお客さんとして小代に来ていた頃と違い、住んでからは地区の仕事もしないといけないし、頼ってばかりじゃなくてこちらもお役にたてるようになりたいと意識が変わってきました」

(スミノヤゲストハウス 寝室)

夢でもあるゲストハウスは、小代に人が出入りしやすくなるための拠点であり、地域のためにできることの一つではないか。そう考えた茜さんは、知り合いを増やしながら自分の思いや夢を伝えることに時間を使いました。

「地域の飲み会も大切にして、会議にも参加して、地区のおばあちゃんたちにいろんなことを教えてもらって。地域おこし協力隊の3年間は、自分を知ってもらうための営業活動の期間でもあると考えて活動しました」

(ある日の朝食。お客様との協同調理で食事をご用意します)

 

「何もしない」贅沢を楽しめるスミノヤゲストハウス

 

ゲストハウス構想をいざ形にするときには、地域の方が集まるサロンにプロジェクターを持ち込み、構想や思いをオープンに説明。茜さんの思いが地域の方にも届き、ゲストハウス改装のためのクラウドファンディングを開始したときには、「インターネットはよくわからないから」と直接茜さんに支援金を手渡しされたこともあるなど、多くのバックアップを受けました。ゲストハウスの改装は「畳を貼るイベント」「床を解体するイベント」などイベント形式で多くの方に協力して貰う形で進め、関わる業者の方も小代で昔から親しまれてきた方ばかり。2019年4月、晴れて「スミノヤゲストハウス」がオープン。大型連休には家族連れや海外からのお客様など、多くの人が訪れました。

(スミノヤゲストハウス プレオープンパーティの様子)

 

「特別なアクティビティがないぶん、絶景を見ながら何もしないという贅沢な過ごし方ができるというのが魅力だと思います。ごろごろしたり、漫画を読んだり、縁側で猫を触ったり。日々忙しくされている方がお休みを満喫できる場所です」

 

(お客様に愛される看板猫 ヨシコさん)

今後は海外のお客様に向けて小代の食材を使ったヴィーガンメニュー(菜食主義者に対応したメニュー)の開発や、小代にまだたくさんある空き家を使ったプロジェクトなど、夢や構想が膨らむ茜さん。小代だからこそもっとできることがあると、日々精力的に過ごされています。

 

  • 店名
    スミノヤゲストハウス
  • 構造
    構造 8畳のお部屋をふすまで仕切った2部屋。男女別ドミトリー。共同調理。
  • 営業日
    金・土・日・月
  • TEL
    080-6122-4014
  • 所在地
    兵庫県美方郡香美町小代区貫田197
  • 宿泊料金
    6,000円/一人 朝夕の食材費込
  • web
手に届く場所で満ち足りる、柤岡の暮らしと仕事

手に届く場所で満ち足りる、柤岡の暮らしと仕事

 

香美町村岡区、標高約500mの山上にある集落、柤岡(けびおか)。かつて民宿だった大きな古民家が、木と手仕事の香りが漂うピッツェリアに生まれ変わりました。ゆったりと流れる時間を味わいに、遠方からも多くの人が訪れる豊かな自然を感じる空間。「JINENAN(ジネンアン)」を経営するのは岸本元気さん、葉子さんご夫妻です。柤岡の自然とともに暮らし働く、お二人のライフスタイルについてお話を伺いました。

 

(JINENAN 看板)

豊かな四季折々の風景と営みがある柤岡に惹かれて

(岸本元気さん)

柤岡で育った元気さんと、千葉県出身の葉子さんが出会ったのは東京でした。ものづくりが好きなお二人は、その頃から趣味でパンを焼き、ハンドメイドやクラフトを楽しんでいたといいます。東京で働きながら、長い休みが取れるたび、元気さんの故郷である柤岡へ。葉子さんも元気さんのお母様と一緒に山に入り、季節の手仕事を楽しみ、自然や四季折々の風景を満喫しているうちに、自然と柤岡という土地に惹かれるようになりました。

(岸本葉子さん)

お二人が「柤岡に帰ろうか」と考え始めたタイミングでお母様からも「家業の民宿を閉めようと思う」と発信がありました。現在JINENANがある古民家は、岸本家の持ち山から木を切り出し、村の人達と共に建てた、思い入れ深い建物です。香美町の中でも特に雪の多い柤岡で、冬の間村の人達が集まってものづくりをする、集いの場でもありました。

(JINENAN 外観)

「ここは人が集まる場所だから、お店をしてもいいかもしれない」

それまで東京のイタリアンレストランで勤務していた元気さん。自然と食の豊かな柤岡で、山と自然のある暮らしの中、自分たちの思うお店を作りたいと考えるようになりました。

畑に入り、山に入り、ピッツァを焼く。「JINENAN」でめぐりつながる暮らしのスタート

(JINENAN 内装。木のぬくもり溢れる空間)

 ものづくりがとにかく好きなお二人。和風の民宿をイタリアンレストランにリノベーションするのも、自分たちの手で行いました。自分たちで畳をフローリングに張り替えるなど、見慣れない光景に村の方たちも何度も改装の様子を見に来られました。

「はじめから明確に『こんなお店にしたい』と決めていたわけではないのですが、僕たちが居て心地良い店かということを考え、好きなものを置いているうちに今の形になりました」

(JINENAN 内装。食事を待つ時間も豊かにゆったり流れる)

毎年12月から翌年3月ごろまで、JINENANは冬季休業に入ります。その「冬ごもり」の季節に、毎年少しずつ改装を兼ねて、より居心地の良い空間へと手入れし続けてきました。常連のお客様は、毎春JINENANの新しい表情が見られるのを楽しみにしています。冬期にはお二人の好きなものづくりも行い、レストランの営業日にはご自身の作品やお母様の陶器、近隣の作家さんの作品とともにレストラン内の雑貨コーナーで展示販売します。

4月から11月も、営業日は土、日、月、火の週4日。残りの3日は畑作業をしたり、持ち山の手入れをしたりしています。空気の澄んだ柤岡で育った野菜を新鮮なままに提供することは、柤岡でしか味わえない贅沢です。またオープン当初はピッツァの取扱がなかったJINENANがピッツェリアとしてリニューアルオープンしたのは、山の手入れをしてきたことがきっかけでもありました。

(自家製の薪が美味しいピッツァを焼く燃料に)

現代では持ち山があっても山に入ることが難しく、荒れてしまうケースが課題になっていますが、本来の山は、人と共存しながら暮らしの恵みを入手できる場所でもありました。元気さんと葉子さんは山の手入れで出る薪を、ピッツァを焼く燃料として巡らせることにしました。もちろん、石窯も元気さんの手作りです。

(JINENAN キッチン。左手に元気さんお手製のピッツァ窯が)

ここでしかできないことを、この場所とともに

「香美町は山、川、海がコンパクトにまとまった場所。自分たちの欲しいものはすべてここにありました。」

(パリッと香ばしいピッツァメニューの一例)

国産の小麦粉と、自家製の天然酵母を使って焼き上げるピッツァは生地の香ばしさと食感が大きな魅力です。季節のメニュー「ケビナーラ」はその時そこにある食材をもとにレシピを考案。数週間しか取れない食材もあり、常に「今ここにある」そして「今ここにしかない」季節の恵みを凝縮した一枚になります。具材は野菜の他、香住・浜坂の海の幸や、小代区のNPO法人D.B.Cグループを運営する「峰鹿谷(ほうろくや)」から仕入れるジビエなど、「ここにあるもの」を中心に取り揃えます。

(その時そこにある恵みをふんだんにつかった季節のピッツァ)

「山から切り出した薪を燃料にして、毎日開店して薪を過剰に使い過ぎると、里山の自然環境のバランスが崩れてしまい兼ねません。この村でできることを考えた時、一週間の中でお店に携われる時間は3、4日がめいいっぱいだと感じました。山や畑にいる時間をお金に換算するのは難しいけれど、僕たちの大切な生業の時間です。」

 柤岡だからできることを、柤岡という土地に感謝しながら賄う。目まぐるしい毎日の中でつい置き去りにしそうなことをもっと自然に、丁寧にと心がけて日々の暮らしに精を出すお二人。

「仕事のために暮らしているわけじゃなく、日常の暮らしが豊かになることで充実した仕事ができたらいいね、と話しています」

 緑が芽吹く春には、また新しい自然の恵みが柤岡にやってきます。次の春の訪れを、岸本さんご夫妻もJINENANを愛するお客様も心待ちにしています。

※2019年3月16日(土)営業再開予定です。

  • 店名
    JINEN AN 〜山村の石窯ピッツェリア〜
  • TEL
    080-3206-5033
  • 所在地
    兵庫県美方郡香美町村岡区柤岡632
  • 営業時間
    11:30〜15:00頃(売り切れ次第終了)
  • 定休日
    水、木、金曜日 12月~3月 冬季休業 臨時休業あり
  • web
小代で遊ぶ楽しさ、暮らす楽しさを自ら作り出し発信!

小代で遊ぶ楽しさ、暮らす楽しさを自ら作り出し発信!

 

棚田の広がる優美な風景が広がり、2012年に「日本で最も美しい村」連合に加盟認定された香美町小代区。冬場はファミリーを中心としたスキーヤー・観光客でも賑わいます。そんな小代全体の見どころを紹介する「小代観光協会」の中に、モダンテイストのカフェ・バー「山の駅SHAKUNAGE(シャクナゲ)」があります。

オーナーの松田晃宏さんはご実家の家業でもある「民宿 松田屋」の若旦那でもあります。飲食店と民宿の経営を両立させながら、更にアクティブに小代ライフを楽しむ松田さんに、小代暮らしの面白さをお伺いいたしました。

「山の駅SHAKUNAGE」外観

 

 

好きなことを仕事に!ふるさと小代「山の駅SHAKUNAGE」でワクワクを形に

 

前述の通り、小代の民宿で生まれ育った松田さん。いつか自分が民宿を継ぐイメージを持ちながらも、それは第二の人生として、ずっと先のことだと考えていました。大学進学を機に小代を離れ、就職で大阪に。飲食とは全く違う分野で活躍していましたが、大学在学中にアルバイトをしていた飲食業界に再度惹かれ、転職。

松田晃宏さん

 

「飲食業は拘束時間も長く、お店を閉めている時間にもすることが多くあり、傍目から見たら大変な仕事だと思われるかもしれません。でも自分にとってはさほど大変に感じることもなく楽しめて、『好きなことを仕事にする』ってこういうことなのかな」と感じました。

その後も飲食店のプロデュースに関わるなど、大阪で好きな仕事に励んでいた松田さんでしたが、ご家族に乞われ、想定より早い30代で小代に帰郷。民宿の仕事を手伝いながら、「ただ後を継ぐだけでなく、なにか面白いことができないか」と考えていたとき、現在「山の駅SHAKUNAGE」がある物件の前オーナーに出会います。トントン拍子に話がまとまり、飲食店勤務やプロデュースの経験を生かして小代では珍しいカフェ&バースタイルのレストランを開店。2013年に帰郷してすぐのスピード起業でした。

「山の駅SHAKUNAGE」内観 バーカウンター

 

 オープンに当たり、同世代が利用しやすい場所、若い人たちが入ってみたくなる場所をと、手作りの棚などを中心にモダンで落ち着ける、シックな空間づくりを心がけました。夜間は予約営業ですが、柔らかい照明が空間を彩り、結婚式の二次会や同窓会に利用されることもあります。この空間づくりには、松田さんの小代に対するある想いがありました。

 

小代にいる時間をもっと楽しく充実したものに

「山の駅SHAKUNAGE」内観 テーブル席

 

 小代区の民宿は、スキー・スノーボードの季節がメインシーズンです。滝や棚田などの美しい風景や、大自然を体験する野外活動施設など、冬以外のシーズンでも見どころはありますが、観光地としてはハンデもあると松田さんは考えます。

「小代に来る方は、大阪や神戸などの関西圏の方が中心です。車があれば3時間で来ることはできますが、交通の便が良くないのでマイカーありきのプランになってしまいます。その中で小代を選んでくださった方には、スキーやスノーボードはもちろん、小代の滞在の時間を楽しんでいただきたいと思っています」

小代に帰って3-4年目からは家業の民宿も中心となって業務を引き継ぐようになり、大規模改修を行いました。旅行に来られる方の滞在の時間をより楽しいもの、充実したものにしてもらいたいという想いで、民宿の1Fにはカクテルなどが楽しめるお洒落なバーをオープン。そして、滝や棚田を楽しむ帰りにゆったりとコーヒーを楽しめる時間をという想いが、カフェスペースとしての「山の駅SHAKUNAGE」の内装にも表れています。現在「山の駅SHAKUNAGE」は、休日は香美町外の観光客の方を中心に賑わい、平日は地元の人の集まるスペースになるなど、日によって全く違う層のお客様に親しまれています。

「山の駅SHAKUNAGE」内観。照明や手作りの棚にもこだわりが

 

「小代は交通の便がどうしても悪いのですが、だからこそ、不便でもこの場所をめがけて来てくれるような魅力のある場所にしていきたい」

この場所にまた来たい。だから小代に、香美町にまた来よう。そう思ってもらえるような場所として、松田さんは「民宿 松田屋」「山の駅SHAKUNAGE」の場作りに勤しみます。

 

小代に新しい風を吹き込み、自ら仕事も遊びも楽しむ姿勢

松田さんがセレクトした但馬のお土産が棚に並びます

 

 「山の駅SHAKUNAGE」の魅力は雰囲気のある内装だけではありません。メニューに使用されている食材のクオリティの高さも特筆すべきもので、牛肉は地元畜産家である「上田畜産」から仕入れた「但馬玄(たじまぐろ)」を使用。「但馬玄」は上田畜産で月に2、3頭しか出荷されない希少な牛で、融点が低くサラッとした脂が特徴です。旨味や甘みをしっかり感じられ、後味もしつこくない高品質の肉で、海外や東京の高級店など卸先も限られています。和牛のふるさと小代で育った牛の肉でありながら、なかなか小代でも食べることができない但馬玄が、「山の駅SHAKUNAGE」ではローストビーフ丼、ステーキ丼としてランチに予約なしでも食べることができるという贅沢さです。

但馬玄の風味を活かすシンプルな調理で贅沢に ステーキ丼

 

 またお手軽な但馬玄の牛すじ入りのコロッケは、テイクアウトとして散策の傍ら楽しむことができるものをと考えられました。ランチメニューのコロッケを挟んだハンバーガーも、サクサクでコクのある味にボリューム感もたっぷりで人気の高い一品です。それまでの小代では見られなかった新しい方面でのメニュー開発でした。

牛すじコロッケはテイクアウトも可能

 

「新しいものに対して躊躇するような地域の雰囲気もありますが、これから若い人がたくさん来てもらえるような場所にするためにも、新しいものには積極的に飛びついたらいいのではと思います。こんな田舎だから……と謙遜しすぎる面もありますが、小代での暮らしは朝の出勤前にスノーボードをできるというような楽しさもあります。自分の工夫次第で、ライフスタイルはどんどん楽しくできる。それを自分で実践して、発信していきたいと思います」

 

 

 若い世代だからこそ発信できる小代暮らしの楽しみ方。同世代で「若旦那の会」を結成しイベント出店も行うなど、横のつながりも大切にしながら仕事も遊びも楽しむ松田さん。まずは自分が小代暮らしを楽しみ、そのスタイルに共感する仲間たちが増えるのを待望しています。

女の子目線の雑貨、ブライス人形、地域の内外に「可愛い」を発信する店

女の子目線の雑貨、ブライス人形、地域の内外に「可愛い」を発信する店

JR香住駅すぐ近くにある、色鮮やかな雑貨のお店、「JUNK★」。お店では様々な雑貨のほか、駄菓子の取扱もあり、夕方や週末は地元の小中学生、高校生で賑わいます。また、ブライス人形など独自の取扱商品が呼び水となり、遠方からのお客様も多いというこのお店。オープンしたのは、香住にUターンしてきた久保かおりさんです。

大阪から香住へ、ガラリと変わった子ども時代の暮らし

かおりさんが幼い頃暮らしていたのは香住ではなく、大阪府でした。香住で暮らし始めたのは小学校高学年のとき。香住に来て日常の生活に大きな変化がありました。

「大阪では、友達と公園に行ったり、買い物に行ったりすることが遊びの中心でした。香住に来てからは、海を見ながら友だちとゆっくり話すことが中心になり、放課後の過ごし方が大きく変わりました」

小学校が同じだった友達とそのまま一緒に中学校に進学し、高校は地元の香住高校へ。当時の水産食品科で魚や船舶のことなどについて学びました。高校卒業後は香美町内の就職先が少なかったため、県外に出て、アパレル関係、雑貨屋さんを始めとした様々な職種を経験しました。

帰郷を考えた当初は、雑貨屋さんを経営する計画はありませんでした。ブランド雑貨のネット販売を計画し、そのための拠点となる場所を探していたところ、現在「JUNK★」がある物件に出会います。

JUNK★ 店内の様子

「ここだったら好きな雑貨を揃えてお店ができると思いました。でも、日常的にお客様が来てもらえる場所にもできたらと思い、お店の半分を駄菓子屋さんにすることにしました」

電車通学の高校生や遠足前の子どもたちで賑わう駄菓子コーナー

香美町に駄菓子屋さんが復活したのは25年ぶり。子どもたちはもちろん、かつて香住にたくさんあった駄菓子屋さんを懐かしむ大人からも喜ばれました。

地域内外から人が訪れるワクワクを詰め込んだお店

「JUNK★」がオープンした2016年から2年。普段は地元の子供達が『ワクワク』を見つけに来るスポットとして愛されています。遠足のときのお菓子はもちろん、小学生がお小遣いを握りしめて買い物に来ても十分手が届くようなアクセサリーや文房具、雑貨がたくさんあり、お友達の誕生日プレゼントを選びに来る子どもたちもいます。

子ども向けの可愛いアクセサリーや文房具の取扱も

「今の子どもたちはYouTubeを見て流行をキャッチしています。『YouTubeでやってたあの雑貨おいてる?』と言ってお店に来たり。なので、普段からSNSを活用して情報を集め、お客様に『ワクワク』してもらえるものを取り揃えています」

コレクターの多いカプセルトイなどは、入荷すぐに品切れになってしまうことも。熱心なファンの多い商品は、遠方からもお客様が訪れます。その一方で、地元の子ども会や学校のイベント用にお菓子の詰め合わせを作って欲しいという依頼を受けることもあるなど、地域から求められる商品づくり行っています。オープンから2年を振り返り、かおりさんは起業という面での香美町をこう評します。

「ただ流行っているからとか、都会にあるからというだけでは難しいかもしれませんが、特色のあるお店であれば、香美町はライバルも少ないし、始めやすい場所です」

話題性の高いカプセルトイは、行列になることも
アクセサリーは子ども向けのものから大人向けのものまで。ハンドメイド品も多くあります

その言葉の通り「JUNK★」には、流行のアンテナに敏感であること以外にも大きな特色があります。

ブライス人形、女の子目線…独自のコンセプトが人を引きつける

「JUNK★」のメイン商品とも言えるのがブライス人形。大きな頭が特徴の着せ替え人形で、紐を引っ張ることで瞳の色が変わるなどのしかけもあります。リカちゃん人形との互換性があるためリカちゃん用の服も着せ替えでき、また人形のカスタマイズもできることから、大人を中心とした愛好家の多い人形です。

JUNK★店内に展示中のブライス人形の一部

関連グッズから取り扱いが始まり、現在では人形本体や洋服も多数取り揃えており、ハンドメイド作家の方が作ったブライス用の洋服の委託販売も行っています。

リカちゃん、メルちゃん、ブライスなどのハンドメイド洋服がたくさん

特色ある品揃えが話題になり、県外等からもブライスファンの方が多数ご来店されます。特設の撮影スペースで手持ちのブライス人形の撮影をする方も多いのだとか。

手作り家具などを取り揃えた撮影スペースで、香住ならではのコスプレ写真も

その他の雑貨など取扱商品は「女の子目線」を大切にセレクト。キラキラしたもの、個性的でポップなデザインのもの、小さな女の子から大人の女性まで思わず手に取りたくなるような雑貨がぎゅっと詰まっています。

ブライス人形グッズも人気

「かわいいは世界共通。海外からのお客様も、土地ならではのお土産という感覚ではなく『かわいい』で買っていただけることが多くあります」

失敗を恐れて悩むより、自分のやりたいことをやって失敗してから悩んだほうがいいと語るかおりさん。まずピンときたことを行動に移し続けて、いまの「JUNK★」ができあがりました。これからも、母娘で来て2人とも「女の子目線」で楽しんでもらえるような場所になればと願っています。

 

JUNK★店主 久保かおりさん

県内唯一の海洋科学科をもち、香住という地域の中にある高校として

県内唯一の海洋科学科をもち、香住という地域の中にある高校として

海の見える絶好のロケーションを誇る香住高校。普通科と海洋科学科、2つの学科を設置しています。普通科は香美町在住の子どもたちの主な進学先の一つであり、海洋科学科は県下全域から出願可能です。海洋科学科に入学したことをきっかけに香美町に移住する家族もあり、町の内外から人が集まる教育機関ともいえます。近畿全域でも水産の学びができる学校は2校しかありません。その一つである海洋科学科のある香住高校、その独自の取り組みと生徒さんたちの様子を伺いました。

香住高校海洋科学科で得られる独自の学び

 

現在海洋科学科に所属する生徒さんは、8割が但馬地域外からの入学。県内唯一の香住高校の海洋科学科には、漁業・操船・船舶の仕組みについて学ぶ「オーシャンコース」、食品の調理や加工などについて学ぶ「シーフードコース」、生物や環境に関する知識や技術の修得を目指す「アクアコース」の3つのコースがあります。香住高校でしか学べない独自のカリキュラムに惹かれ、近年入試の倍率が2倍を超えるなど、人気の高い進学先です。

自宅から通学できない生徒のために、香住高校では「若潮寮」という寮を構えています。平成30年度には高校敷地内に寮を新設。それまで男子のみ入寮可能だった若潮寮も、最新の設備とセキュリティシステムを兼ね備え、女子学生の受け入れが可能になりました。

寮生活で生徒たちが学ぶのは集団生活で培われる協調性と、規則を守って過ごす忍耐力。これらの力は、オーシャンコースで51日間にわたり行われる航海実習での基礎にもなります。

実習船「但州丸」航海実習、見送りの様子

 

海洋科学科で教鞭をとられる篠原健悟先生にお話を伺いました。主にシーフードコースのご担当ですが、オーシャンコースの海洋実習に同行されるなど、海洋科学科全体と関わりがあります。

海洋科学科 篠原健悟先生

 

「香住高校、特に海洋科学科は他の学校と比べても先生と生徒の関係が密になります。特に寮生で親元を初めて離れる子どもたちにはホームシックなど、ケアが必要になることもあります。1年生の4月5月は、できるだけじっくりと話を聞くことを心がけています」

篠原先生だけでなく、香住高校にお勤めの全職員で若潮寮にて交代で舎監を務めます。生活のルールを伝えたり心のケアに努めたりと先生方に求められる対応は幅広いものになります。

その分2年生、3年生には生徒さんたちも大きく成長し、各種・長期の実習を通して「自らの頭で考え、自ら行動する子が増える」と先生方も成長を実感する場面が多くあるのだとか。その他アクアコースは水族館に実習に行ったり、シーフードコースでは地元の旅館の板前さんからの特別授業があるなど、特色ある授業が多彩に展開されています。

シーフードコース 実習の様子

 

地元の子供達にとっても独自の学びがある環境

香住高校 渡邉保幸校長先生

一方、香美町で生まれ育った子どもたちが多く進学してくる普通科も、進学希望や就職希望などそれぞれに将来設計があり、それに応じて合致するカリキュラムの提示を行っています。普通科は多くの生徒さんにとって、小中学校からの友人たちと引き続き学べる安心した環境でもありますが、香住高校ならではの学びがあると、渡邉保幸校長先生はいいます。

「但馬地域で育った子どもたちと、地域外で育った子どもたちは、環境によって文化や気質が違います。それが、香住高校でともに学ぶことでいい影響や刺激を与え合います」

民宿や漁の風景を間近に育った地元の子どもたちに根づいた、お客様をお迎えする丁寧なおもてなしの心に、地域外の子どもたちが学ぶことも多くあります。また、地元の決まったメンバーで進学してきた地域内の子どもたちにとっても、これまでになかった価値観や人間関係を育成する機会になります。

 

 

グローバルに、ローカルに、未来への舵を取る

アクアコース タツノオトシゴの餌を分別

 

香住高校の多彩な学びに多大なバックアップをよせるのが、地域の方々です。例えば、「魚を食べよう!」を合言葉に魚食普及を推進している香美町で開催されるイベント「ととフェス」。このイベントで香住高校はシーフードコースの手がけた缶詰などの販売や、アクアコースの手がける香住高水族館の展示などを行います。ととフェスの運営を、香住高校と手を携えながら中心になって行うのが「香美町とと活隊」です。「香美町ふるさとづくり青年隊」と一緒に、学校側で手の回りにくいイベント運営の部分を担い、香住高校の活動を全面的にバックアップしています。

「香住高校に赴任して4年、校長としては3年目になりますが、地域が学校を支えてくれているという実感がひしひしと湧いている状況です。支え合い、助け合いの大切さ、それがとりわけ強いのが香住という地域だと実感しています」

地域の中の学び舎として、格別の応援を受ける香住高校。地域の皆様からもたくさんの学びを得て生徒たちは未来への一歩を踏み出します。

アクアコースの生徒たちが手がける水槽

 

生徒さんたちが香住高校で育むのは、自分の夢を見据えて、志した分野で輝くグローバルな視点と、地域を守り豊かにするローカルな視点。香住高校卒業生の進路は普通科、海洋科学科どちらも国公立大学、私立大学、専門学校、就職等多岐にわたります。香住高校で香住というローカルな視点を深め、地域で活躍する力。香住高校独自のカリキュラムで身につけた水産の知識をもってグローバルな視点で業界に貢献する力。生徒さんたちがどちらに舵を取っても輝けるよう、香住高校の先生方は尽力されています。

 

自分の力を信じて自ら輝く生き方 燻製を通して伝えたい

自分の力を信じて自ら輝く生き方 燻製を通して伝えたい

香美町村岡区、国道9号線沿い「道の駅ハチ北」近くにある燻製工房「香味煙」。代表取締役…ならぬ、「代表戸締役(お名刺より)」の井上利夫さんは、燻製の知識がゼロのところから一代で燻製工房をたちあげました。町外など遠方からもリピーターの多い香味煙。味わいや品質もさることながら、井上さんの人柄や言葉に触れるべく、人々が訪れ続けています。

生活工房 香味煙 外観

すべて失った自分に、怖いものはなかった

村岡区(当時の美方郡村岡町)に次男として生まれ育った井上さん。一度は故郷を離れ、大阪府茨木市で就職しました。ご実家は大規模な養鶏場の経営をしていましたが、外国からの安い卵の参入や飼料の値上がりなどの背景を受け経営が難しくなり、ある日井上さんは「一家離散するしかない」という手紙を受け取ります。一生懸命働く両親の姿を見、尊敬して育った井上さんは「故郷がなくなってしまってはいけない。親孝行がしたい」という思いで帰郷。その後結婚し、家業を立て直すために東奔西走しましたが、事業は傾いてしまいました。「海に飛び込み、保険金で賄うしかない……」極限まで追い込まれた井上さんでしたが、崖の上で佇むうち、マグマのような強い気持ちが湧いてきたのだといいます。
「人は、漠然と生まれて生きているわけではない。僕は事業に失敗したが、そのことで天は僕に何をさせようとしているのだろう。飛び込ませようとしているわけじゃない、なにか僕が生きている意味があるはずだ」
追い込まれた井上さんにとって、最後の力となったのは家族の存在でした。まず自分を支えてくれている家族のために頑張ろう。45歳から井上さんの新しい挑戦が始まりました。

井上利夫さん

自分の光を信じて ゼロからのスタート

「人の席を奪わず、人を押しのけず」という考え方を愛する井上さん。もう一度頑張ろうと決めた井上さんは、人の席を奪わない「但馬地域で他の誰もしていないこと」を仕事にしようと考えました。新しいジャンルの仕事を起こすことで、但馬に新しい文化ができたらという思いもありました。井上さんが目を留めたのは燻製。「ヨーロッパ的で、オシャレで、どこかエキゾチックな要素がある」燻製はまさしく当時の但馬地域にない、新しい文化でした。燻製についての知識は当時全くなかったと語る井上さんですが、一から独学で勉強。味も香りも良く、日本人にも親しみやすい燻製のレシピを自分の力で開発しました。

工房の中は煙の良い香りが漂います

一度追い込まれたあとで立ち上げた事業は、それまでとは心持ちが違いました。
「多くの貯金があっても、人を助けたり人の役に立つために使わなければ意味がない。お金という意味の豊かさはなくても、好きなことに一直線に挑むことに豊かさがある」
香美町のような自然豊かな環境で、自分の旗を掲げて生きること。それには自分の能力を信じることだと井上さんは言います。
「今自分のいる環境は他の誰のせいでもない。でも窮地に追い込まれたときに人は力が出る。惑星のように何かの光を受けて光るのではなく、自分自身が恒星となって輝くこと。光が当たらなくなったら暗くなるのではなく、小さくてもいいから光が出るまで強い思いを持つこと」
内側から光る強い熱い思いを胸に、井上さんは80歳を迎えようという今も挑戦を続けています。

香味煙さん取扱商品の一部。チキンや合鴨などの定番のほか、味噌やたくあん、梅干しなど懐かしくも新しい商品展開も

但馬地域を燻製王国にするのが夢

ゼロから自分で燻製の技術を身に着けた井上さんですが、現在燻製教室の講師も行い、自分のレシピのすべてを多くの人に伝えています。現在井上さんのお弟子さんは全国に70人いらっしゃるのだとか。
「面白いことに、燻製のレシピを100%教えても、作り手によって違うものができてしまう。燻製講座はボランティアのようなものだが、人を育てる、人との関係を作ることが大切だと考えてやっている」
そう語る井上さんの目標は、「但馬地域を燻製王国にすること」その第一歩が息子さんでした。息子さんもまた故郷を離れて暮らしていましたが、帰省の際に楽しそうに燻製をつくる井上さんの姿を見て「親父楽しそうだな。僕も参加させてよ」と、家族とともに帰郷してきたのだそう。5年間香味煙で修行したあと「男はスケールを大きくもたないといけない」という井上さんの考えのもと独立し、現在は燻製レストランを経営しています。

井上さんの人生訓が書かれた紙が、工房のいたるところに

「辛い時もあるが、絶えず喜ぶこと。それを見ていたら自ら『楽しそうだから、自分もやってみたい』と思う人が出てくる」
広い豊かなフィールドに自らの旗を立てて生きることの豊かさや楽しさを知ってほしいと願う井上さん。「せっかく生まれたんだから、自由に生きてほしい」と、お店に来る人やお弟子さん、出会う人達にエールを送っています。

井上さんを支える奥様 とみ子さんと

教育の世界から「隠れ家」へ、地域とつながり続ける場に

教育の世界から「隠れ家」へ、地域とつながり続ける場に

子どもとふるさとが大好きな森脇眞理子さん。教師になる夢を追いかけて香美町を離れ、兵庫県内の各地で教鞭をとったのち、30代で帰郷。その後50代で全く違う業種である飲食の世界へ飛び込み、地域内外の方の居場所でもある「森ちゃんの隠れ家」をオープン。彼女の人生のターニングポイントについてお伺いしました。

森ちゃんの隠れ家 外観

 

教育の仕事から離れ、癒やしの場「森ちゃんの隠れ家」オープン

森脇眞理子さん

村岡区で生まれ育った森脇眞理子さんは、高校を卒業後、夢だった教職につくために京都市の大学に進学。その後、兵庫県内で西宮市、加東市、三木市などで教壇に立ちました。帰郷後、村岡小学校、兎塚小学校、射添小学校に勤務。小代区出身のご主人も同じく教師として各地で活躍し、合併前の旧美方町の教育長を務めていました。

「主人は地域への思いが強く、住民と学校教育の連携を図る地域連携センターを作ったり、ふるさと教育を推し進めたり、学童保育を始めたりと美方町の教育を良くするために熱心に取り組んでいました」

しかし、市町村合併で教育長から離れ、ご自身の思う形で地元の教育に関われなくなったご主人は、「この地域に男の隠れ家、女の喋り場になるような場所をつくりたい」と一念発起。現在の「森ちゃんの隠れ家」に至る構想を練り始めました。自然豊かな香美町だからできる、庭木が豊かで薪ストーブもある、多くの人たちの癒やしの場。ご主人の構想を聞くうち眞理子さんは「今一番、主人が私を必要としている」と感じ、ご自身も教壇を離れる決意をされました。

開放的なテラス席

 

 

男の隠れ家、女の喋り場

落ち着いた雰囲気の樹や緑を身近に感じる内装、長居する人も多いという「森ちゃんの隠れ家」。「長居してくださったほうが、居心地がいいと思っていただけるようで、私たちは嬉しいんです」と眞理子さんは微笑みます。

入り口から左手には広いギャラリーがあり、地域の方の絵や手芸等の作品展やコンサートを開催、フラダンスのクラスも、眞理子さん自身がインストラクターとして行っています。生き生きとフラダンスを生徒に教える眞理子さんを見てご主人は、「根っからの教師やな」と評したのだそう。

寒い季節には薪ストーブが灯ります

 

2007年のオープンから数年後、一度は教育の現場を離れたご主人が再度香美町の教育長に就任することになりました。既に多くのお客様の居場所となっていた「森ちゃんの隠れ家」を守るため眞理子さんと、そして眞理子さんの息子さんのお嫁さんである里佳さんとでお店を切り盛りすることになりました。里佳さんは大阪で生まれ育った美容師さんですが、「田舎が好きだから」と快く移住。「森ちゃんの隠れ家」の隣に同じく美容師さんである眞理子さんの息子さんが美容院「Blum」をオープン。

美容院Blum外観

 

息子さん夫妻の移住のきっかけはお店のことだけでなく、教育長に就任したご主人が大病を患ったこともありました。

 

 

地域に「あってよかった」と思ってもらえる場所に

「一度『森ちゃんの隠れ家』のカウンターに入ったことで、主人はより良い仕事ができるようになったと思います」

地域の方と直接触れ合う機会が増え、香美町の教育に必要なものを再確認したご主人は、地域の灯りである学校をなくさないように『香美町学校間スーパー連携チャレンジプラン』を導入しました。

その他、障害のあるお子さんが地域で生きていくためにと、特別支援学校(兵庫県立出石特別支援学校みかた校)の開校にも尽力。しかし、2015年、開校を目前にして、地域の教育に情熱を燃やし続けたご主人は亡くなり、開校式には眞理子さんが代わりに出席しました。

「主人の話を聞いた特別支援学校の卒業生が親子で『森ちゃんの隠れ家』に来られ、『学校があるおかげで地元で生きていくことができるようになりました』と、感謝の言葉をいただきました。この店にも、香美町の教育にも、主人の仕事は残っていると思います」

ご主人は香美町でお店を開くことについて、「成功はお金儲けじゃない、家族やお店に来てくださるお客様が幸せじゃないと成功じゃない」という価値観を持っていました。

「同じ価値観を持ち、人との関わりや自然との関わりに幸せを感じたり価値観を見いだせる方であれば、香美町で楽しく暮らしていけるのでは」と眞理子さんは言います。

森ちゃんの隠れ家 全て手作りの週替わりランチ

 

眞理子さんやご主人の教え子が訪れたり、地域外からランチ巡りの一環でお客様が来られたり、地元の方のコミュニティスペースになったり、地域と繋がり続ける「森ちゃんの隠れ家」。「この地域にあの場所があって良かったな、と思ってもらえる店であり続けたら嬉しい」と眞理子さんは語っています。

左・次男のお嫁さん、里佳さん 右・オーナーの森脇眞理子さん

海と、魚と、人と、関わり続けること

海と、魚と、人と、関わり続けること

海とともに暮らしてきた人たちが、海のある暮らし、魚のある暮らしをこれからも続けていくために、魚とともに生きてきた日本の食の風景をこれからも続けていくために。

魚食普及の活動が地域に浸透し、各地学校等からのオファーが絶えない「香美町とと活隊」。隊長の濱上栄作さんもまた、海と魚介とともに育ち、香住を離れてから故郷に帰ってきた一人でした。

 

魚がずらりと並ぶまち、香住(浜貞商店)

濱上さんのご実家であり家業の「浜貞商店」道沿いの看板

 

濱上栄作さんは香美町香住区生まれ香住区育ち。現在ご自身が代表を務める魚類加工業「浜貞商店」がご実家でした。香住駅を出れば堤防にずらりとイワシが並ぶ、魚の存在感があり続けるまちのなかで、加工をはじめとした魚のお仕事をしているお家は珍しくありませんでした。

「子どものころの遊びはとにかく海で遊ぶこと。潜るのが得意で牡蠣やサザエを見つけたり」

浜貞商店 加工風景。シーズンの魚介類を惣菜や干物に

 

シーズンにはカニが食卓に並ぶことも日常で、ベニズワイガニの略称「ベニガニ」については、「またベニ?」という言葉が子どもから出るほど。今では考えられないような贅沢な話ですが、それほど魚やカニのある食卓が「当たり前」の風景でした。

進学を機に香住を離れ東京へ、大阪で就職。ふるさとの家族とともに「浜貞商店を閉めるか、続けるか」の決断に迷い考えた結果、奥様とともに香住にUターン。魚類加工職人としての新しい一歩を踏み出しました。

特注の網で手焼きに。昔ながらの変わらない美味しさと技術が光ります

 

魚食普及活動「香美町とと活隊」活動の喜び

 

濱上さんの子ども時代と、Uターンされてからの香住区はどのように変わったのでしょうか。

「漁師の数や漁船の隻数自体は減ってはいますが、平均年齢はそれほど上がっていないなというのが実感です。若い子が自分の船を持って漁に出る姿も見られます」

それでも、日本の食卓の風景はずいぶん変わりました。食卓のメインが魚でなく肉中心になり、データ(水産庁平成24年度水産白書)によると魚食の落ち込み率が最も高いのが30代から40代。「このままでは親から子へ連鎖してしまう」という危機感を感じたといいます。

平成26年4月に、『香美町魚食の普及の促進に関する条例(通称:香美町とと条例)』が制定され、毎月20日を「魚(とと)の日」と定めました。この条例の制定に伴い魚食普及を推進するための活動を行うボランティア団体として生まれたのが、「香美町とと活隊」です。

活動内容は小中学校向けの料理教室や子育て支援の場でのイベントの開催、お祭り等で出店し行うPR活動など多岐にわたります。

香美町とと活隊 活動の様子(とと活隊Facebookページより)

とと活隊の活動開始当初は、毎月20日に何を行うか悩む日々でしたが、現在は活動が住民に広く知られ、月に何本もイベントや料理教室の依頼が来るのだそう。海洋科学科のある香住高校とは常に連携を取り、水産物に興味のある高校生たちの学びの場になるとともに、海とともに生きる大人と高校生たちとの大切な交流の場にもなっています。

とと活隊の活動に喜びを感じるのは、生の反応が帰ってきた時。

「料理教室で教えたハタハタのレシピを早速その日の夕方家族に振る舞ったという話を聞いたときなど、手応えを感じて大きな喜びがありました」

魚に触れることから、食卓が少しずつ変わっていく。その実感がとと活隊の方の元気の源になっています。

香美町とと活隊 活動の様子(とと活隊Facebookページより)

 

 

魚とともにある暮らし 地域に居場所のある暮らし

 

とと活隊の活動を通して濱上さんたちが達成したいこともまた、多岐にわたります。

まずひとつは、魚が支えてきた、日本伝統の食生活の姿に戻っていくこと。そして魚食が普及することで「香住に帰ってくる、移住してくる若い人たちの仕事を作っていきたい」という想い。香住ならではの魅力的な海の恵みを少しでも多くの人に知ってもらうことを大切に考えています。

また、とと活隊の活動を通して地域の子どもたちと触れ合うことにも重要な要素があるといいます。

「せり体験なども行いますが、漁師さんたちもとても協力的です。子どもたちに気前よく魚やカニを持って帰らせたり。それは、地元の子どもたちが可愛くて仕方ないという気持ち、仕事場に子どもたちが来てくれるのがうれしいという気持ちもあるのではないかと思います」

地域にある仕事に子どもたちが触れる機会。そして、まちの中に顔を知る、話せる大人がたくさんいるということ。濱上さん自身、青少年健全育成のための補導活動もされていますが、

「関わり続けることが大切だと感じています。道端で話ができるおじさんたちがいることで、地域にその子の居場所ができる。継続した関わりがあれば、一度故郷を出ても、その事によって見えるものが変わってきて、この空気の中に帰ってくるのではないかと思っています」

特別なことではなく、地域の中で育まれる子どもたち。当たり前に魚がある、当たり前の風景を続けていきたいと願うように、いつも地域にある子どもたちの居場所づくりも、濱上さんにとって一つの使命となっています。

Information

濱上栄作さん

浜貞商店(水産加工業)

兵庫県美方郡香美町香住区香住1806-4

 

香美町とと活隊の最新の活動情報はこちらから

Facebookページ

https://www.facebook.com/totokatsutai/

 

 

 

想いをカタチにする仕事を小代でもっと心地よく

想いをカタチにする仕事を小代でもっと心地よく

小代の美しい風景や素敵なスポットを一冊にぎゅっとまとめたパンフレット「恋するおじろ旅」。小代の魅力を「小代愛」全開で表現したこのパンフレットを始め、小代地区内、はたまた香美町内外のあらゆる業種についてチラシ、パンフレット、ウェブなど多彩な方法で「伝える」ことのお手伝いをするデザイン事務所が小代地区にあります。古民家を改装した「デザイン紡」にて、クライアントの想いの聞き取りから企画、制作とトータルでものづくりを行う中村美和子さんにお話を伺いました。

 

小代地区にゆるやかに生まれた「デザイン紡」

中村さんは大阪府生まれ。小学生から高校時代までは和田山町(現兵庫県朝来市)で過ごしました。幼少期を都会で過ごしていたからか、緑豊かな環境に馴染みにくかったという子ども時代でしたが、結婚・子育てを機にご主人の実家のある小代区に。和田山町以上に大自然を身近に感じる環境で、はじめは「ここに住めるかな」と不安が大きかったといいます。

(ご自宅兼事務所のある古民家)

大学卒業後は豊岡市にて、地域の情報誌を作るデザイン会社に所属。営業に向かい自らカメラを構える日々に、「想いを伝える」ことの楽しさを知りました。またチラシやパンフレットという媒体で「誰かの想いを形にする」ことにやりがいと喜びを感じていました。

「何もないところから企画を作り上げていくのが好きで、何をしていても楽しい仕事でした。でも、小代に来たらこんな仕事はできないのかなと考えていました」

小代区の自宅で子育てに励みながらも、知人の依頼などで個人的に制作の仕事をこなしていく中、地域のネットワークから中村さんの仕事ぶりが話題に。やがて多くの案件を抱えるようになり、末の子どもさんが幼稚園のときに「デザイン紡」の屋号を名乗るようになりました。

「『よし、やるぞ!』という気概があったわけではなく、ゆるく流れに任せていたら今の形になったという印象です」

心地よい風に吹かれるように、軽やかに好きな仕事をする、そのために環境を整える……、中村さんの想いの旗は、とてもゆるやかに小代の地に根付いたものでした。

 

好きな「ものづくり」の仕事と、日々の生活が溶け込んだ暮らし

自宅で働くことは、中村さんにとってメリットの大きいものでした。

「家にいることができるので、子どもたちにも安心はあったのかも。制作の仕事は夜が遅くなることがあるけれど、自宅なら一度切り上げてご飯を作ることもできる。仕事と家庭の区切りをあまりつけずに曖昧にしながらも、夕食から寝るまでの時間は子どもたちとたっぷり一緒に過ごすことができました」

また母親として小代の子育て環境についても中村さんは太鼓判を押します。

「みんなここで子育てしたらいいのに、と思うくらい。保護者だけじゃなく、地域に子どもたちを知る大人がたくさんいるからか、子どもたちが素直に真っ直ぐに育っているように感じます。競争心が育たないのでは?という心配もありましたが、目指すものがあれば大学にも行けるし、競争心より大きなものを育んでくれたんじゃないかな」

小代区に住む方に見られる「小代愛」は子どもたちの中にも確実に育ち、進学等で離れても「やっぱり小代が好き」と、故郷を肯定して育つのが小代の子どもたちなのだそう。当初住むことに不安のあった小代でしたが、

「思わず撮影したくなるような美しい風景がいっぱい。人も本当に親切なので、たくさんの方が移住してくれたら嬉しいです。『地方には働くところがない』というイメージがあるかもしれませんが、そこでできることを探して仕事を作るくらいの感覚をもってもいいのかも。私も実際やってみて、『意外と一人でできるんだ』と感じました」

と、今では同じようにこのフィールドで何かを始める仲間を待っています。

 

小代の地でもっと想いをカタチにしたい

「小代では一人とつながったら、地域のネットワークで一気につながりますよ」

仕事が人のつながりであっという間に広がったことをこう振り返る中村さん。

(作品は地域に根ざしたものから遠方のもの、業種も多岐にわたる)

 

「色々させていただいていますが、でも、まだまだだなと感じてます。小代を盛り上げている人のお手伝いをもっとしたいし、それだけでなく様々な地区の様々な業種の方と制作の仕事を通じて関わっていきたいと思っています。新しいことを始める人のエネルギーに触れるとき、話を聞いているときが一番ワクワクするので、想いのある方とどんどんつながりたいと思っています」

また、事務所のある古民家をフォトスタジオにしたい、せっかくある広いスペースを有効活用したいと、現在している仕事以外にも夢がどんどん広がっていく中村さん。写真撮影、チラシやパンフレットの制作、ウェブづくりなど想いを伝えることをオールマイティにこなす中村さんは、小代というフィールドでますます楽しみを広げていきます。